第497話
スイスはドイツ語が主力だ。フランス語やイタリア語も公用語として通じる場所が多い。だがチューリヒはドイツ寄りなので、解らないと咄嗟の場合に困るだろう。
「取り敢えずは二人ですぐに向かいます。エーン中佐に兵を借りるとしましょう」
どうせ幾らか抱えているでしょう。言われるとそんな気はした。居なければ居ないで次善の面々を飛ばすと請け合う。
「こっちで何かあっても俺がどうにかするさ」
「ですな。くれぐれも奥方の機嫌を損なわないように、とご忠告差し上げましょう」
これだから家庭もちは大変ですな、笑いながら空港に逆戻りしていった。
「レティアか、そうだな。大事が起きればエスコーラの手を借りることになりそうだ」
やれやれと部屋を後にする。行き先はホテルの自室、今頃ロサ=マリアとテレビアニメでも見ているだろうか。
「ボス、夕食はレストランを予約しておきます」
「済まんなサルミエ、どこか適当に取っておいてくれ」
一人で行けとの意味だろう、同じホテル内なのでエレベーターに乗り上へあがる。どう切り出そうか悩む島であった。
◇
ルワンダにギャングスターの一団が入国してきた。裏を知らない治安機関は神経を尖らせることになる。
それがそっくりそのままプラスに働くなど、普通ならば考えもしないだろう。
「カガメは義理を果たした、あたしゃそいつを知っている」
キガリ入りをしたエスコーラ、今回はドン・ラズロウは来ない。数百の犯罪者を束ねるのはボス・ゴメス、直下で指揮を執るのはマルカから引っ張ったボス・ジョビンだ。
ゴメスファミリーのボス、序列で行けば二次団体のナンバーツーでしかないが、ルワンダに在るエスコーラは全てがゴメスの指揮下なので逆に都合がよい。
「ジョビン、ドンの命令だ。コンソルテを支えろ」
「シ ボス・ゴメス!」
構成員らの所属はバラバラだ。ソマリアだけでなく、ブラジルやパラグアイからもやってきている。ドン・プロフェソーラからの招集ということで半端な手下を送ってきてはいない。
最初は地域に慣れるために全力を注ぐ、大事が起きるまでそう時間は無い。
いつもとは真逆の行動、国家の守護など思いもよらない。だがパラグアイでミリシアを経験した面々はそうでもなかった。エスコーラは膨大な経験を積んできている、成長中の勢力なのだ。
◇
フォートスターはあまりにも多くの難民が集まり区画を無視して住み着く者が増え過ぎていた。このままでは秩序を維持できない。司令官執務室で都市、民兵の指揮を統括代行しているブッフバルト少佐が頭を悩ませる。
毎日百人単位で難民が増加、勝手にそこに居を構えていく。物資が不足しだしたら最後、あっという間に治安は悪化するだろう。流通の管理まで手配をしなければならない。
「俺はブッフバルト家を後にしてここに居ることを望んだ。この程度で音をあげてたまるものか」
山積している書類を一つ一つ処理していく。毎日ほぼずっとそうやって過ごしていた。おかげで現場を見回る時間が一切ない。
真面目が故の行動、それは正しいのだが適切というかと問われると返答に詰まる。
公道五号から陸路運ばれてくる物資輸送団、それが行方不明になっていると急報が入った。ついに来たか、心を落ち着けて主要な将校を招集する。
マケンガ大佐、シュトラウス少佐、ヌル中尉が集まる。階級は下でも指揮権を握っているのはブッフバルト少佐ということになっている。
「先ほど輸送車両団からの連絡が途絶えたと報告があった」
事実のみを端的に明らかにする。それにより何が起こるか、それぞれが思考する。
「空輸の便は滞りなく」
シュトラウス少佐がそちらで最低限の補充が可能だと示す。難民の分までは無いが、フォートスター内の部分で困ることはないだろう。
「難民同士の奪い合いが起これば、かなりの混乱が見込まれるな」
はじめは小さな喧嘩から、それがどんどんと渦を巻いていき、ついには民族紛争の類になる。マケンガ大佐はそれが誇張ではないことを知っている。
「全ての輸送団を完全に護衛することは出来ませんね。補給を阻害するのは何も毎回でなくても良い」
兵糧攻め、供給を無しにするわけでは無い、不足させればそれで充分。消費は毎日増えて、供給が一時的にでも止まれば備蓄を食いつぶしてしまう。対応の機会が多いとは考えられない。
「選択肢は二つ。消費を減らすか、物資を増やすかだ」
何とも解りやすい提示をする。物資を増やせないならば消費を減らすしかない。ではどうやってそうするかが問題になって来る。
そもそもが会議を進行するような立場になかったブッフバルト少佐だ、解決へ導けというのは少々荷が重い。その為にマケンガ大佐が島に付いていかずにここに残っていた。
「公道の警備は本来国軍の役目。閣下の名義をお借りして、警護団を派遣してはどうだろうか」
国軍司令官だ、守備範囲に問題があるとしても国土の警備に乗りだすこと自体は正当な行動と言える。とはいえ部隊をそれに割いては戦力の低下が懸念される。すでにAMCOとして結構な数が街を離れているのだ。
「大佐殿、どの隊を出すつもりでしょうか」
決して頭が固いわけでは無い、生まれ育った環境の違いだ。物事には枠があり、ルールが定まっている、ドイツではそれが常識なのだ。
「難民を武装させて首都までの中間地点、カヨンザ市にまで進出させる」
消費を減らして物資を増やすために使う。両方の要件を満たす素晴らしい案は、複数の不都合を孕んでいる。それと知って口にしている以上、どうとでもなるのだろうが。
「軍管区司令官や市警に抗議を受けるのでは?」
難民が国内を勝手に動き回る、許されるはずがない。口にしてはっとした。
「拘束されればまた別の隊を派遣すればよい。あちらで食わせると言うならそれでも構うまいよ」
難民を捨てる。それも自身の手を汚さずにだ。マケンガ大佐の言っていることは整合性がある、もし難民集団に島と関わり合いがある人物が居ないならば迷惑を被ることもない。
だがブッフバルト少佐は言葉に出来ない何かが胸に在るのを無視出来なかった。
「統括代理としてその案を却下する」
かといって代案があるわけでは無い。マケンガ大佐は「承知」短く返事をするのみだ。
「倉庫を開放することで、七日程度は維持できるでしょう」
備蓄と凡その消費を脳内で素早く計算して、ヌル中尉が猶予期間を口にした。先延ばしをして名案が浮かぶ保証はないが、不備があるのに実行するわけにはいかない。
結局解決を見ないまま一旦会議を解散することにした。その間にも報告がたまってしまい、大幅な残業を背負うことになってしまった。
部屋の扉をコンコンコンとノックして入って来る者が居た。緑のアフタヌーンドレスをまとっている。
「あなた、宜しいかしら」
「クリスティーヌ、どうした」
毎日帰りが遅い夫。輸送団が消えたと情報を得た彼女が心配してやって来たのだ。城の中で暮らしているので直接は関係ないが、聞き流すには大事だった。
「お仕事が溜まっているようですわね」
机にある書類を見て今日も遅くなると予測した。それを責めるつもりは無い。
「俺が任されている。文句は無いさ」
若僧に責任を預けてくれた、それを嬉しいと思えど嫌になどならない。
「ワタクシはあなたの妻ですわ。お手伝いをさせていただけますか?」
クリスティーヌも島により主要な人物と認められている、受け入れても悪くはない。
「申し出は有り難いが、これは俺の仕事だ。お前は家で待っていて欲しい」
「……はい、そう致しますわね」
彼女は笑顔で部屋を出ると視線を落とした。
「何か大変のようですが、ワタクシでは頼って頂けないご様子……」
胸に手を当てて扉を振り返る。今は無理に手を貸して夫のプライドを傷つけるようなことをしてはいけない、信じて帰宅することにした。
◇
深夜三時、ようやく職務を終えたブッフバルト少佐。司令官室を出てフォートスター内にある自宅へと帰る。
夜警が真面目に警備をしている姿を一瞥し頷く。城内の担当はコンゴ民兵団、キヴ州より遥々やって来た男たち。マイマイ所属だった者が多い。
「あなた、お帰りなさいませ」
「クリスティーヌ、まだ起きていたのか」
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