第450話


「クァトロ・ヌル中尉です」


「ニカラグア軍グレゴリオ少佐だ。イーリヤ閣下の?」


「イーリヤ少将は自分の主です」


 上官ではなく主だと断言したのに驚き、近くに他に人が居ないのを確めて近寄るように仕草で示す。


「本国からは協力を禁じるよう通達があった、これは独り言だ。明後日のマグレブが期限で、要求が通らねばアルシャバブに身柄が移されるそうだ」


 決裂を熱望するイスラム教徒の有力筋の発言だから、まず正確なところだろうと補足した。


「グレゴリオ少佐殿、誠にありがとうございます。このご恩はいずれ返させていただきます」


「政府もああは言っているが、本心はすぐにでも動きたいはずだよ。我々はここを離れられないが、閣下をお助けしてくれ」


 小声での話を切り上げ「場所違いだ、四番倉庫の事務所は下の階層だ」少佐がとってつけたように返答するのであった。



 格子が嵌められた小さな窓がある部屋、机と椅子と寝台が置かれていて、あとは僅かな空間が残されているのみだ。とても重要人物を住まわせるような環境とは言えないが、牢獄に入れと言われたらそうするしかない立場なのも勘案し、二人は黙って従っていた。


「どう思う?」


 あまりに漠然とした一言、だがしかしイタリア語を使ったので、監視にばれないようにする話の中味だとすぐに勘づく。扉の外に常駐する兵士は現地語の他にアラビア語を話す程度で他はまったくであった。


「早晩我等の灯火は吹き消されるでしょう。脱走しますか?」


「余計なことをして監視が強まれば、ロマノフスキーに叱られちまうな」


 ――あいつらのことだ、来るなと言っても救出に来る。大事件に発展するのは避けられん。


 下手にお願いして成立するなら大いに結構だが、百のうち九十九は上手くいかないのが目に見えている。


「三日月島から船でマルカに到着して、ここに来るまでは明日あたりでしょうか」


 どの時点で知り得たかにもよるが、オリヴィエラが未着を放置しなければ程無く知り得るはずだと読む。


 ――レティアの提案を素直に受けて良かった。些細なことで人生、右にも左にも向くものだよ。


「今日が安息日か、アルシャバブが何かするなら明日だな」


 イスラム教徒の安息日は金曜日なので、土曜日には何かしらの決定が下されるはずだ。各国政府も土日がお休みになるならば、金曜日に変化がなければ土曜日を無事に過ごせると考えるのは甘い見通しになる。


「逆に言えば今夜はぐっすり眠れますね」


「お前も大分図太くなったな、パラグアイの時には肩に力が入りっぱなしだったが」


 環境に順応したのか元からそうだったのか。妹が卒業する見通しがたち、あとは自力で生きていけると確信したのも大きいのかも知れない。


「アルゼンチン軍を抜けて以来、パラグアイで絶望を味わいました。今の自分は胸を張っていつでも死ねますから」


 ――成長したわけか。俺にしたって昔なら消え入りそうな声で境遇を呪ったかも知れんな。


「明日は夜が長くなるかも知れないな」


 仕掛けるならばどのタイミングになるか、ざっくりと予測をしてみる。


 ――今晩間に合えばまず未明だろう、しかしそれでは最初から俺がここに居ると知っていて、即座に出撃せねば上手くいかない。真っ昼間にって話も無かろう、昼寝時間を狙うにしてもだ。余りに遅すぎたら全てが終わる、明後日の未明では土の中かも知れんな。


 じっと考え込む島をみて「奥方が乗り込んでくるのではないでしょうか?」指摘する。


「そいつを忘れていた」


 ――ロマノフスキーだけでなくレティアが仕掛ける可能性か。そちらは今夜かも知れない。より直接的に関係者を取っ捕まえてゴールに辿り着きそうだからな。


 エスコーラの強引さと、クァトロの無茶をミックスして、軍基地を攻め落とすつもりならばと思考を展開してみる。


 ――トップは押さえるにしても、次席以下は容赦なく奈落に突き落とすだろうな。虎の尾を踏んだと気付いた時には刃が喉元に来る、その時にどうするかだ。


「絶望に恐怖するのと、健やかなる死を迎えるのと、お前ならどちらを選ぶ?」


 ろくな選択肢ではないのを承知で提示してやる。どうせどちらも選びはしないだろう。


「絶望に立ち向かい恐怖に打ち勝つ努力をします。決して自ら死を選ぶような真似はしません」


「結構だ」


 満足な回答を得て大きく頷く。


 ――中将がサルミエの半分も勇気を出したなら、絶望を抜け出す為に恐怖を受け入れるだろう。俺が取りなしたところで結果が変わることはないだろうがね。ソマリアでの大事件、暫く大人しくしていないと更に迷惑を振り撒くことになる。


 そんな自分が身を落ち着かせることが出きる場所、どこかと考えてみる。誰もが追求するより放置した方がまだ良いと考えそうな先。


 ――結局戦わずに暮らすのは許されないわけか。


「サルミエ、どうやらゆっくり出来るのは今だけみたいだな」


「出たら出たで忙しくなりますからね。で、どちらに向かうご予定で」


 出国は出来ても入国が出来ない可能性が高くなる。島流しどころか陸から追い出されてはたまらない。


「俺より厄介な相手が居る国か、反政府武装勢力を追い出すと売り込みでも掛けるか」


 アフリカに身を置くことを想定し、残り少ない静かな時間を過ごすことにした。



 ソマリア軍基地。広場で訓練する兵を二階の窓から見下ろしている。


 ――身体能力はコンゴの奴等と変わりはない。ついでに精神構造まで同じではやるだけ無駄だろうな。


 一向に部隊としての戦闘力が上がらないので心中で悪態をつく。それでも軍事教官として来たからには、一定の結果を残さねばならないのは事実であった。


「マケンガ大佐、例の男ですが明日には処刑の見通しです」


「そうか」


 興味なさそうにそっけなく返事をする。司令官から雑用係りに付けられたのだが、監視されてるも同然であった。


 ――キシワ少将か。一時は俺と同じ舞台に立っていたが、地獄を這いずり回るうちに抜け出せなくなったようだ。


 一旦リタイアした自分と比べてみて、どちらがよりよい現在を迎えているか悩んでしまう。


 ――俺には自由の時間が出来たが、奴は心と体をすり減らし続けてきた。果てはこんな場所で最期とはつまらんな。


 ンタカンダ大将が国を替えてのびのびと悪事を働いているのが羨ましいわけではないが、納得いかない何かを抱く。


 訓練基地に見慣れない人影が入ってくる。兵と並んで歩いているので侵入者というわけではない。


「あれは何者だ?」


「確認して参ります」


 別に基地の防衛を命じられているわけでもないので、そんなことを気にする立場ではないがやけに落ち着かなかった。


 ――もう少しで契約が終わるが、効果が出ていないと指摘されたらどうにもならんな。無給でただ飯といった結果か、中間管理職が俺の限界だったのかも知れん。


 すっかり気落ちしたが、ルゲニロ司教が無心に来るわけでもなく、頭を押さえられるわけでもなく、ストレスはさほどでもなかった。


「あれはベレンダシマという商人で、買い付けにきたようです」


「ベレンダシマ? ソマリ人の姓名なのか」


 聞いたことがなかったのでついつい尋ねてしまう。


「わかりません」


「買い付けとは?」


 売り込みにくるならばわかるが、買いにきても兵器しかないのだ。まあそれも頷ける内容と言えるが。


「トラックや小型の武器を必要としているようです。アフリカ連合の視察も兼ねているとか」


 ――理由ありだな。まあ俺が知ったことではないが。


「そうか」


 また興味を喪った風を装い返答した。あまり食い付くと変な疑いをかけられてしまう。


「今晩だが、夜間訓練を行う手配をしておけ」


「今日は安息日ですが」


 軍隊にいて一般勤務中に安息日もなにもあるかと怒鳴り付けたかった、だがそれをぐっと押さえ込む。

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