第424話


 ――初等教育基金を積んだとか聞いたことがあるな、あいつか! パラグアイの株式を割ったのに、まだ続けていたわけだ。


「その四ツ星がクァトロのマークだ。ボスが、イーリヤ准将が初等教育を受けられない子供の為に、ずっと前から基金として提供し続けている。我々は裏切らず、退かず、見捨てず、ニカラグアの未来に向かい進む者だ!」


「あれは税金じゃなかったのか……」

「俺のとこのガキも使ってるぞ」

「無料の講習も確かそうだったはずだ」


 左右の者同士で言葉を交わす。身近な何かに色々と見られると。毎年三千五百万コルドバが教育局に寄付され続けていた、農村や貧困層への教育補助に。チョンタレスの山間部などは、守備範囲のど真ん中だ。


「知らずに世話になっていた訳か。俺達はオルテガに貸しはあっても借りは無い。いいぜ、戦ってやるよ!」


 俺もだ、やるぞ! 殆んど全てが協力を約束してくれた。一部は他人を殺めることに反対する敬虔なキリスト教徒が居たので、それらには看護を依頼する。怪我人を助けろと言うならば承知しました、と快諾を得た。


 ――やはり軽いようでやたらと重いものだな、この軍旗は。


「ここは頼んだ。クァトロ中隊、トラック中隊、出るぞ!」


 北側の公道への通路が解放され、本隊が離脱して行く。残されたのは一個分隊とビダ先任上級曹長だけだ。


「軍曹は指揮所に入れ、上等兵を小隊長に任用する、一等兵を班長にし分隊を編制しろ!」


 まさか自分が小隊長になるとは思ってもいなかった四名が「りょ、了解!」驚いて返事をした。


「グズグズするな、編制次第塹壕を掘り返せ! 土嚢を積め! 弾丸を運べ! 動け、動け!」


 トラック中隊を連れ北へと走る。先程の陣地を抜けるとチョンタレスの哨戒すら見掛けなくなった。


 ――やはり兵力不足をきたしている。これを解決するためには俺ならどうする?


 車を走らせている間は特にやるべきことも無い。想定可能な事柄を様々検討してみた。


 ――この地を捨てはしまい。フェルナンド大佐が意地悪く抵抗しなければ、話は丸く収まるな。だがオルテガ大統領にはなびかない、ならばどうだ? 大佐を消す、か。ロシアの暗殺者集団が狙うとしたら、リストの上位にいるだろうな。


 島を含めて五人以内に確実に、と考えをまとめる。補給だけでなく情報を進呈すべきだと結論付けた。それを聞いたとき大佐がどう反応するか、これからといったところで報告が上がる。


「前方に哨戒部隊視認。訓練基地の旗を掲げています」


 本物か確認しろとは言わない。そんなことは視認した部隊の指揮官が発すべき命令だ。本隊の足を緩めて周囲に偵察を走らせる、トラック中隊も間を空けて停車させた。


「将校がこちらに向かうようです」


 軽車両を走らせ司令部にやってくる。マリー少佐は車を降りてそれを待った。向こうも単身姿を現し歩み寄ってきた。


「意外な場所で意外な顔合わせになったものだ」


 マリー少佐は黒く塗られた顔を綻ばせてやってきた少佐に敬礼した。彼も声を聞いて気付いたらしく、笑顔で返礼する。


「訓練基地に左遷中のロドリゲス少佐だ。覚えていてくれたかね」


 首都の警備部隊指揮官だったはずが、何故か田舎の訓練基地に配属されてしまっている。反オルテガは伊達ではないようだ。


「戦友を忘れるはずがない。記憶は崇拝されるべきだからな」


 外人部隊の教訓にあった一つでもある。トップが替われば人事権で都会から山の中など良くある話だ。


「まあまずは基地まで案内しよう。フェルナンド大佐が待っている」


 クァトロをどう思っているかは知らんがな。ロドリゲス少佐が肩を竦めて茶化す。複雑な感情があるのは想像に難くない。


「さっさと補給を済ませないと、ちょっと野暮用があってね」


「お前も働き者だな。見えないところでサボる位気にすんなよ」


 そうは言いながらも、常にきっちりとやることをやっていたので、軽く同意するに留めた。


 ――オルテガ大統領はフェルナンド大佐を元より従うまいと解って反対派を集めたか? それとも大佐に監視をさせるために、わざわざこんな場所に?


 やはり直接話してみなければ解らないことが解った。そこから訓練基地まではすんなりと辿り着く。やはり補給自体は問題の少ない行為だったと言えそうだ。目的がこれだけならば、子供の使いでしかない。


「他地域からの輸送部隊だ、通るぞ」


 ロドリゲス少佐が門衛に一言告げて、やけに物々しい輸送部隊とやらの通過を許す。クァトロは万が一の事態に備え、戦闘状態を解除しながらも、直ぐ様再武装可能な様にしていた。先方もそれには目を瞑る。幕僚将校のみ入城を許可すると言われたが、マリー少佐はたった一人の通信伍長のみを伴い司令部に入る。


「他は良いのか?」


「少佐、良いも何も将校は俺一人でね。あとは軍曹以下しか居ない」


 トラック中隊には存在しているが、第四コマンドのクァトロ中隊には確かに今は他に居ない。


「相変わらず狂気の沙汰だな。良くもまあ指揮できたものだ、尊敬するよマリー少佐」


 半ば呆れながらも、軍曹らが有能なのを認める。無論、マリー少佐が指揮するのが大前提だが。


「転属大歓迎だ。適材適所ではあるがね」


 わざわざレオン軍に突撃した猛者だとは言わずに話を切り上げる。司令室では五十代半ばか後半位の男が待っていた。マリー少佐が敬礼し申告する。


「北部軍第四コマンド、マリー少佐です」


「当訓練基地の司令官、フェルナンド大佐だ。遠路遙々ご苦労」


 南から現れたことには一切言及しない、慎みを持った態度に見える。


 ――らしいと言えばらしい将校だな。孤独を貫くタイプにも見えるか。


「諸般の事情により、補給物資の一部が欠減。詳細はこちらに」


 運搬内容をまとめた報告書を提出する。一瞥して大佐が受領にサインした。


「有り難く頂戴する。貴軍の司令官に宜しく伝えて貰いたい」


 表情を変えずに過去の柵ある者へ伝言を、と発した。書類を返還しマリー少佐を見詰める。運命とは解らないものだ、殺しあっていたはずなのに、今は対面し平気で話をしている。


「我々はこれよりチョンタレスで作戦を行います。大佐殿の許可を戴きたく思います」


 敢えて内容を伏せてそう申し入れる。フェルナンド大佐は無表情で意図を数瞬のうちに見抜く。年季の差ばかりは中々埋まるものではない。


「許可する。あまり派手に街を壊してくれるなよ」


「可能な限りそうする所存」


 短いやり取りで真意を探り会う。チョンタレスでの何かが目的ではない、それだけは互いに確信が持てた。


「マナグアにロシアの暗殺者が入ってきております。大佐殿もご注意を」


 片方の眉だけをピクリとさせて、わかったと応じる。フェルナンドも一言。


「いずれ別の場所で会うだろう。死ぬなよ、若者は順番を守ろうとはしないからな」


 ――この人は反オルテガ派だ。何か時機を待っているに違いない!


「望まぬ死を得るのは、今少し先にしたいと考えます」


 マリー少佐が敬礼し踵を返す。補給物資の積み替えに時間が掛かるのを待つわけには行かない。その辺りの取捨選択には慣れていた、それこそ幾多の経験がモノを言う。広場で荷下ろし作業している面々に声高らかに告げる。


「補給部隊に命じる、空荷のトラックのみを引き揚げ、作業中のものは置いて行く。速やかに分乗し出撃するぞ!」


「ヴァヤ コマンダンテ!」


 トラック中隊の中尉が拝命した。すぐさま五台に兵員を別けて分隊を編成する。やけに重武装なのは様々勘案した結果であった。


 ――防戦中のビダと挟み撃ちにしてやる。まずは西にか、道に迷ったら終わりだな。


「よぉ、ガイドは要らんか?」


 指揮車のドアを手のひらで叩いて軽く声を掛けてくる。供が二人で曹長と軍曹だ。


「物資と交換でロドリゲス少佐の助力が得られるとは、大佐も随分と高い代償を支払ったものだ」


「評価して貰えて嬉しいね。こっちは大佐殿だけで充分らしい」


 元よりゲリラ戦のみに移行する必要が無いくらいに、抵抗可能な勢力を抱えていると説明した。


 ――ある程度の用意はしてあったわけか。ん、もしや?


「お節介な垂れ込みでわざわざ田舎に、というやつかな」


「さあな。俺はオブザーバーだが、オルテガのケツを蹴りあげることが出来るなら何でもやるさ」



第十七章 傾く天秤



 チナンデガの軍司令部、島のデスクの前にグロック大佐が立っていた。進捗状況の報告である。


「補給は順調です、各所に潜入した者も時機を見計らっております」


 完全に予定の通りならばわざわざやって来ない。何を言うためにやってきたかを予想する。


「都合が悪いとすれば、中国軍でも介入してきたか」


 何処から非難されようと、中国ならば正面切って手を出してくるだろう。そうなれば圧倒的な数で沈黙させられてしまう。


「彼の国は米ロ両方から釘を刺され、政治的介入を限度としている様子」


 ――やるなと言われてもそうやってちょっかいをかけるわけだ。


「オヤングレン大統領でもパストラ首相でもないか、ならばオルテガ大統領の側だな」


 ロシア名物の消去法である。可能性を潰して行き残ったものを掘り下げて行く。


「首都のエージェントが、オルテガ中将が総司令部に入ったと伝えて参りました」


「閣下が復職した?」


 ずっと軟禁状態にあり、頼みの部下やサンディニスタ運動党の面々は、大統領についてしまっていた。力を駆使して返り咲いたわけではないとすぐに解る。


 ――無理矢理にやらされているのか、転向したか。いずれ事実として総司令部入りを果たしたなら、何らかの変化が出てくる。

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