第425話


「俺の軍管区司令官解任命令でも出たか」


 それが正しい発令先なのは、政府がどこでも変わりはない。ニカラグア軍はニカラグア軍であり、オルテガ中将が唯一の総司令官なのだから。


「騒乱に略奪等の罪で、ロメロ大佐に出頭命令が出されています」


 オルテガ大統領は民に仇なすような指示は発していない、ロメロ大佐の独断である、と。つまりはトカゲの尻尾切りと同時に、島にボールを投げ掛けてきたわけだ。


 ――少なくとも中将閣下は自らの意思で指揮を執っているわけか。俺にしたっていつまでも大佐を拘束してはおけない、これを機に面会してみるか。


「ロメロ大佐と直接話をしてみるさ。で、そうなると態度を保留していた奴等もあちらに靡くわけだな」


 一気に圧力が強まることになる。実務部隊だけでなく、官僚や地方公務員の類いにも影響が及ぶだろう。これでパストラが退けば、完全にアウトだ、それとてこのままでは遠い未来ではないだろう予測がつく。


「オルテガ中将が表面に出るに際し、海軍と空軍がどうするかが要注意です」


 三軍の総司令官である、内戦とはいえ対外的な防衛や、賊への対応に動けと命じられればそうするだろう。一度命令を受け入れれば、後は流れに従うようにもなる。


 ――分水嶺をどちらに行くかで全てが決まる。ここで俺が立ち止まるわけにはいかんぞ!


「ニカラグアはどこへ向かうのが幸せだろうか」


「……愚問ですな。幸せへ向かうのではなく、向かった先に幸せがあるようにすべきでしょう」


「なるほどな」

 ――ゴールを定めて駆けるのが当たり前ではないわけだ。向かった先の中で結末をより良く選ぶのも有りか。


 政治的な臨機応変さは必要だ。どこかを立てれば必ず皺寄せを受ける部分が出てくる、それを均すことで擬似的な同効果に導ける可能性が高い。


 ――チナンデガは、北部は自らの意思で現状での道行きを決めた。彼等は自力で歩んでいけるはずだ。


「パストラ首相の隠し事を暴かねばならない時期になったとは思わんか」


「旗色が大分鮮明になりましたからな」


「リバスと接触をはかる。俺が直接出向く」


 司令官がやるべきことではないのは解っている、だが目を見て話をしたいと強く願った。上官がそう考えたならばそれを叶えるのに知恵を絞るのが参謀長の役目である。


「何も成長してない小僧だ、また綱渡りを望むか」溜め息をつくが口許は微かに笑っていた「まあそれも良かろう。三日待て、必ず首相に会わせてやる」


「確たる答えを絶対に見付けてくる、約束しよう」


 ふん。鼻を鳴らしてグロック大佐は部屋を後にした。島はデスクの内線を使いエーン少佐に「ロメロ大佐と面会する、準備をしろ」短く用件を伝えた。


 ――パストラ首相ならば、オヤングレン大統領の奇行の理由も知っているはずだ。何を隠しているのか、聞き出さねばならない。最悪俺がリバスに拘留されても良いように、こちらの始末もつけておかねばならんな。


 引き出しから命令書を取り出し幾つか振りだしておく。日付を先にして自らサインし、元の場所に戻す。使われることがあれば、ニカラグアは泥沼の混戦に陥っていることになるだろうことは、現状からも明らかであった。



 ホテルの一室、扉の前には二人の衛兵が常に居た。ロメロ大佐の監視と雑用の係として。司令官がやってくると耳にして、非番の兵も召集し軍曹がフロア入口で出迎える。


「司令官閣下、お待ちしておりました」


「ご苦労。大佐と話がある、案内してくれ」


「はっ」


 特別警護の班員から離れて軍曹が廊下を歩く。エーン少佐もアサド先任上級曹長も、常に味方をも無表情で警戒しながらである。広目の角部屋、ヒノテガから連行されてきて以来ルームサービスだけで閉じこめられていた。ラジオもテレビも没収され、音楽や書籍のみを与えられている。


「大佐殿、失礼致します」


 エーン少佐が四度ノックしてから扉を開ける。大佐には何も知らせていなかったので、複数の来訪に異常を感じたようだ。少佐の後ろに将官服の島が見えたので、椅子から立ち上がり敬礼した。


「ロメロ大佐、イーリヤ准将だ。貴官と話がしたくてやってきた、少々時間を頂けるかな」


「閣下、どうぞお掛けください。時間ならばありあまってましてな」


 皮肉を込めて椅子を勧める。エーン少佐とサルミエ中尉が左右に立ち、アサド先任上級曹長は出入口に陣取った。


「何か生活に困ってはいないかね」


 小さくやり返してから話を進めようとする。過去の経緯からロメロ大佐を好ましく思って居ないのがはっきりと伝わってきた。


「快適に暮らさせていただいております」


 若僧が。そんな風に視線が語っているように見える。


「それは良かった。さて大佐、貴官にはマナグアの総司令部に移って貰うことになった。総司令官が出頭を求めておられる」


「マナグアに?」


 島がオルテガ大統領についたのかどうかと疑問が生じた。そうだとしたら大統領が准将と大佐、どちらを残すか彼には自信が無かった。


「ヒノテガでの罪を問うとのことだろう。事実は事実だ、私も大佐の移送に異存は無い」


「しかしあれは大統領閣下の指示で――」


「貴官はそれを証明出来るのかね」


 ピシャリと言葉を遮る。言った言わないなどどうとでもなるのだ。


「……」


 命令書などどこを探しても見付かりはしないし、電話口で命令を受けたのも大佐本人で、当然録音などしていない。略奪も戦闘も事実あったことで、不利な証拠ならば山ほどあった。


「結果を恐れてはいけない。もしオルテガ大統領が自ら指示を認めれば、大佐は軍人として拒否不能な命令を遂行したにすぎん」


 仮にそうだとしたら、退役して拒否を貫く選択肢もあった。だがどれだけの軍人がそのような態度をとるだろうか、極めて少数でしかない。事実上の死刑宣告をされたも同然である。ロメロ大佐は浮かない表情のまま黙りこくる。


「総司令官は公正な判断を下すだろう。大佐はそれに従うべきだ、違うかね」


「……」


 沈黙のまま様々な考えが巡っているのだろう、少し呼吸が浅く速くなっている。


「オルテガ大統領がこのまま政権に返り咲くか、そうではないか。もうすぐわかるだろう。だがその前に貴官をマナグアに送る。軍人として事実を告白して欲しい」


 以上だ。島が一方的に話を切り上げて部屋を出る。側近は一言も口にせずそれに従った。大佐がどのようにしようとも、それは最早関知すべきことではない。


「サルミエ中尉、三日でリバスへ行く。不在はグロック大佐に任せるからな」


「スィン」


 突拍子もない一言に、勢い良く応じるサルミエ中尉であった。



 マナグア国際空港。軍の監視を背にした空港職員が入国者の旅券を厳しく改めていた。ブラジル経由でやってきた機には、様々な人種が乗り合わせている。国際線が著しく少なくなり、入港可能な便が絞られた結果であった。


「ネーデルランド。入国の目的は?」


「マナグア自治大学教授とセッションがあってね。社会心理学教授のルッテだ」


 アムステルダム大学の証明書を提示する。確かに学者のようで、行き先も妥当だった。


「プロフェッサー・ルッテ、どうぞ良いご滞在を」


 職務で仕方なく笑顔を見せる。希にいる不適格者を弾くのが功績になるため、正規の入国など何も面白くなかった。


「ありがとう」


 微笑のまま彼は一人でゲートを抜ける。中央にあるホテルへチェックインするためタクシーに乗り込んだ。ホテル・マナグア。在り来たりではあるが、国賓を受け入れられるようなサービスを展開している。受付を済ませてロビーに向かうと、彼を待っている二人組がいた。スーツ姿ではあるが、立ち振舞いがすっきりしていて軍人なのがルッテにもすぐに解った。


「教授、初めまして。ワリーフ・ハラウィです」


 笑顔で右手を差し出す。ルッテもそれを受けて自己紹介する。


「ルッテです。いやはや興味深い場所ですよ」


 クーデター真っ最中の首都、それも極めて流動的な市民の思想がどうか、誠に興味深いと繰り返した。


「危険なことを頼んで申し訳ありません。義兄もしっかりと陳謝しておいてくれと言ってました」


「構わんよ。イーリヤさんも大切な者を私の為に派遣してくれている、気持ちは理解しているつもりです」


 立ち話も何ですから、お二人ともこちらへ、とリュカ曹長がカフェスペースに案内する。食事の時間から外れていて、客があまり見当たらない。


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