第368話
「喜ばしいことだ。色々あったがな」
苦労をぽつりと漏らすゴメスの肩を軽く叩き、笑みを向けて頷いてやる。お互い大変なものだと。
山荘との呼び名がしっくり来るような場所にやって来る。ぱっと見はそうでもないが、警備は厳しく行われている様子が窺えてくる。何せあちこちにカメラやマイクが設置されているのだ。
「省力化をしないとうるさいと怒られちまうからな」
助手席にしか聞こえないような小声でゴメスが呟く。適切な配備を誉めて、植木による囲いも有効だと意見を投げ掛けた。物騒だったのは緑の有刺鉄線を中に這わせるとの部分で、随分と気に入ったみたいで近いうちに用意すると話が纏まったようだ。
「レティア!」
声を上げて喜び勇んで家に入るが、あっさりと出鼻を挫かれる。赤子を抱いていた彼女に睨まれてしまったのだ。
「今寝たばかりだ、大きな声を出すな!」
「す、すまん」
将軍形無しの情けない顔で平謝りする。随員は気をきかせて隣の部屋でビールでも飲むことにしたようで姿を見せない。
「名前は?」
少し色が薄い褐色で、日に焼けた日本人で通りそうな面持ちをしている。髪は母親に似て波うっていた。といっても赤子は大抵そうだが。
「ロサ=マリア」
「娘だったのか!」
「見たら解るだろ馬鹿かお前は!」
「すまん」
謝るのが何度目になったのか、自身の娘の顔を覗き込む。きっと母に似て美人になるだろうと思いを馳せる。
「ロサ=マリア・レヴァンティン・島だ。日本国籍を取らせてやりたい」
片方の親が日本人ならば産まれた場所を問わずに、血統で国籍を求めることはできたはずだが、出産からの日数にも制限があったような気もした。
「そうか、そうしよう」
寝息をたてる娘を飽きもせずに見つめ続ける、ただの親が二人そこにいるだけであった。
ベビーベッドにロサ=マリアをそっと置いて布団をかけてやる。無意識に握っていた物に気付いて、島が手土産を渡そうとした。
――ただでさえ大きいのに母乳のせいで胸が爆発しそうだな。
「アルコールはよくないんだ」
酒瓶を見てまさかの言葉が返ってきた、想定外も良いところである。
「そ、そうか。すまん」
「そんなに謝るな、気持ちはありがたく貰っとくさ」
ようやく笑みを見せた。悪気がないのを解っているので尚更だった。
「なんだか久し振りだな」
ルワンダで別れてから何ヵ月だったか計算する。確かに出産するには充分な時間があったなと納得した。
「あたしは一日を短く感じていたよ。平凡な幸せをね」
――レティアにはそれが無かったからな。浸らせてやりたい、幸せに。
「俺の方は大体一息ついたところだ。暫く一緒に居るよ」
ロマノフスキーはわざわざ指示を出しに行かずとも上手いことやるだろう。島は次の予定をキャンセル可能だと判断した。
「嬉しい、あたしでもこんな気持ちになれるものなんだな」
「なれるさ何時でもな。これからはずっと」
そっと肩を抱き寄せて現実であることを強調する。血と硝煙の臭いが渦巻く戦場があれば、優しさと暖かさが溢れる家庭もあるのだと。
――俺も争いを忘れられる場所が欲しかったのかも知れんな。
満たされる何かを感じてつい微笑んでしまう。きっと今この瞬間は、世界中の誰よりも幸福だと言えるほどに。
「なあロサ=マリアが立つようになったら、海が見える場所に移らないか」
地中海沿いのより穏やかな場所のどこかに、そう誘ってみる。山の奥に住んでいるよりも彩りがある人生を送れそうだと彼女も同意した。
「泳ぐのは御免だが眺めるのは嫌いじゃない。ゆっくり探そう」
「そうだ焦ることはない、色々訪れてみて気いった場所に住もう」
平穏とは程遠い二人であったが、絵にかいたような平和な時間を過ごした。元来こんな時は長くは続かないものだが、意外と何事もなく季節が巡った。
長期休暇といえばそうだったのか、そろそろ働かねばと感じたところでサルミエ中尉が姿を現した。
「ボス、こちらをご覧ください」
説明もなしでノートパソコンを開いて動画を再生した。ロサ=マリアを抱いたままレティシアも一緒に島と画面を覗き込んだ。
「私はクーデターにより国を追放されていたが、正統な大統領である。現時点を以てオヤングレン政権を賊軍と見なし、これに従う者を徹底的に排除する!」
緊急ニュース速報を記録したもののようで、キャスターが驚きながら原稿を読み上げている。
「ただ今入った情報によりますと、中米ニカラグア共和国に於いて内戦が始まった模様です。前大統領のオルテガ氏がサンディニスタ民族解放戦線党を従え、首都マナグアの宮殿で政権奪取を宣言いたしました。オヤングレン大統領は現在行方不明で、政府からの公式声明も出されておりません。軍の多くもオルテガ氏を支持したようで、国際空港や各公館を占拠しているようです。続報が入り次第詳しくお伝え致します」
信じられないような物を目にした顔で島が口を開く。
「何てことだ、折角国が上向いてきていたのに!」
日付は不明だが極めて最近のことなのは想像出来る。
「パストラ首相らとも一切連絡が取れません。全てが規制されてしまっているようでして」
物理的な規制が行われた部分と電子的な部分とがあるだろうが、湾内に居る艦艇から転送されただろう放送以外は稀に漏れてくる程度らしい。
――どうにかして連絡をつけなければ! マナグアを追い落とされて何処に行くだろうか。国外に出てしまえばオルテガの思うつぼだ、現政権の支持が厚い地域だろう。パストラ首相が居た南部はコスタリカの支援もあって拠点になるか。
「在外公館との連絡を確保しておけ、引き続き首相らとの接触を試みるんだ」
「スィン」
――ここに居ては状況が見えない!
目の色を変えてあれこれぶつぶつ漏らす島を見てレティシアが背を押した。
「行きたいんだろ、いけよ」
「ん、いや、しかし……」
「ふん。お前が黙って座ってられないことは解ってんだ、悶々としてられたらこっちが迷惑だ!」
言葉こそきついが顔は笑っていた。まさにその通りであり返す言葉も無い。
――座して結果を待つような真似はしないさ。
「すまんレティア、必ず戻る」
「ったり前だ、ロサ=マリアを父親知らずにするんじゃないよ!」
「ああそんなことはない、約束する」
レティシアに口付けをし、次いでロサ=マリアにもそうする。
「サルミエ中尉、ホンジュラスへ飛ぶぞ。チョルテカに本部を設置する、召集を掛けろ!」
「はっ、してどの範囲に召集を?」
「クァトロだ!」
「スィン ドン・ヘネラール!」
――第十一部完――
テグシガルパ空港で入国手続きを済ませる。管理官らの視線が煙たい。何せ隣国ではまた内戦が始まったので迷惑を被っているのだから仕方ない。そのニカラグア旅券にスタンプを捺して返す。
「余計な真似はしてくれるな」
苦笑して小さく頷いてやる。揉め事を起こしにやってきたとは口が裂けても言えない。習性である、四人グループで行動をしているのに互いに知らん顔でバラバラに通過した。
無言でタクシー乗り場に向かう。東洋人、中東人、アフリカ人、南米のそれと共通点はない。あるとしたら内三人が同年代だという位だろうか。
「長距離だ。チョルテカまで」
運転手は東洋人だと思っていたが、やけに使い慣れた丁寧なスペイン語のためメスチソ――混血なのだろうと勝手に解釈した。何しろ丸一日分の売り上げが保証されたのだからご機嫌である。
「旦那、こちらは初めてで?」
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