第369話


 三十代後半ではあるが若く見られるのが日本人の常で、恐らくは三十歳手前に思われているだろう。それほど東洋人は幼く見えるものらしい。


「いや、前に住んでいたことがある」


 島龍之介。彼は十年程前にニカラグア共和国サンディニスタ政権を転覆させる為に、事実ホンジュラスに滞在していた。幾つもの苦難を乗り越え、喪い難いモノを喪い、ついには政権を入れ替えることに成功した。


「そうでしたか。大分前ですがね、チョルテカに割の良いアルバイトがあったんですよ。あれは忘れられないね」


「どんな仕事?」


 穴だらけの国道を器用に走らせて南へ南へと進む。距離を隔てて三人も同じ街を目指している。


「テグシガルパからチョルテカへのトラック運転手でして。食料品や日用品を満載してね」


 だから通い慣れた道でタクシーでもこの通り、とすいすい走る。理由はともあれガタガタの道で振動がやけに少ないのは事実だ。


「そうか、惜しい仕事を無くしたな。またあったらやるかい?」


 冗談混じりで男は運転手に微笑して尋ねた。タクシー運転手を続けたいならばそれはそれで良かったが。


「やりたいねぇ。でも解散しちまったららしいからな。名前何だったかな……オズワルデ商会だったか……」


 遥か昔に仕事を与えてくれていた会社が何だったかを思い出そうとする。


「オズワルト商会?」


「そうそれだ、オズワルト商会! そこの娘が可愛くてね、今や貞淑なる人妻ってやつでしょう」


 当時二十歳前後だった彼女は女盛りに踏み込んで、黙っていても男が列を成して寄ってくるだろう。その部分は島も同意した。


「彼女はニカラグアでオズワルト商会の社長を引き継いでるよ」


「へっ? 旦那、お知り合いで?」


 ルームミラーで後部座席を見て不思議そうな顔をする。


「父親の方とね、仕事の関係で」


 なるほどと納得して、暫くしてからオズワルト商会の父親が当時の社長だと気付く。どうやら余り勘が良くはないらしい。


「着きました」


 メーターよりも余計に支払い釣りは取っておけと笑顔を見せる。物価のさして高いとは言えない国で、アメリカドル紙幣を更に一枚つけてやった。知り合いの娘を誉めてくれた礼だと。


「ところで名前は?」


「ガリンクソンで」


「そうか。ガリンクソン、トラック運転手のアルバイトがあるんだがやるか?」


 狐に摘ままれたような顔を見せてこくこくと頷く。そんな彼に後日の再会を約して街中に消えていった。


 十年経てば廃墟を緑が覆い、全て過去のことだったと思わせる。後方基地があった場所を眺めて、初めてこの地を踏んだ日の気持ちを甦らせる。


 ――何かに打ち込みたくて仕方がなかった。今の俺は随分と守りたいものが増えすぎちまったな。


「閣下、ここを再度整備致しますか?」


 黒人が島に尋ねた。彼もまた若かりし日に共にこの地を踏んだ一人である。プレトリアス族の若者頭、次期族長になることが決まっているプレトリアス・エーンだ。南アフリカからレバノンに移住した三世で、島を生涯の主と決め付き従っている。


「エーンならどうする?」


 これからのことである、どちらでも良かった。選択肢は無限に広がっているように見えて、実は様々な枷に縛られている。


「今さら旗色を気にすることも無いでしょう。堂々とここを再建して、オルテガに喧嘩を売るのはいかがですか」


 ――存在そのものが知れ渡ればクーデターへの対抗になるか。俺もオヤングレンも隠れていたんじゃ始まらんからな。


「ではそうしよう。ここにクァトロの軍旗を掲げるとするか!」


 ピクニックにでも行くかのような調子でそう方針を定める。隣国とは言えかなりの圧力が向けられるのは間違いない。

 一方で唯一まだ二十代の若者である、南米アルゼンチン産まれのサルミエ中尉は、何から手をつけたら良いか解らず困惑していた。


「中尉、ホテルの手配を」


「あ、はい、ボス」


 ぼーっとしていたのを見られ恥ずかしさで声が裏返る。だが島は見て見ぬ振りをして続ける。


「基地が出来るまではホテル暮らしだ、後続の分もきっちり確保しておけ」


「スィン ドン・ヘネラール」


 彼にとっては母語であるスペイン語で応じる。作戦地域であるニカラグアも同じくスペイン語地域であるが、意識して簡単な単語を選んで利用するよう努める。

 黙って島の斜め後ろに侍り辺りを警戒している男が、遠くの繁みに人が隠れているのを見付けた。


「ボス、不審な人影が」


 仲間に注意を喚起してゆっくりと歩み寄る。驚かせないように一歩ずつ。エリトリアが故郷の彼はスペイン語が今一つではあるが、小学生が喋る程度の片言の単語は理解している。


「誰?」


「近くの家の子」


 未就学児だろうか、汚れた衣服を纏い木陰から外国人を覗いている。危険は無さそうだと男が引き返してくる。


「近所のガキでした」


 真面目な顔でそう報告する。それをどう扱うかは上の者が判断したら良いのだ。

 島はポケットに入っていた乳児用の菓子を取り出して少年に近寄る。


「君の遊び場だったか?」


「うん」


「そうか。これからここでは遊べなくなる、悪いな。ほらやるよ」


 たった一袋だけではあるが、ロサ=マリアに与えようとしたら妻に「まだ早い馬鹿者が!」怒鳴られてしまい、行き先がなかったので丁度良かった。


「ありがとう!」


 凄く喜んで大切そうにお菓子を受け取る。頭を撫でてやりもう一度遊び場を使えなくして悪いと謝った。


「おじさんは誰?」


 ――おじさんか、前はショックだったが今はそうでもないな。


 苦笑して心境の変化を素直に受け入れる、誰しもがいずれは歳をとるものだと。


「俺か、俺はなクァトロのダオだ」


 意味を理解せずに少年はへぇと聞き流した。帰宅して親にそれを話した時、チョルテカに風が吹き込むのであった。


第一章 クァトロ再び


「いやぁ、懐かしい限りですな!」


 青い瞳に白い肌の巨漢、スラヴ系の男が基地を眺めて感想を口にする。


「全くだ。しかし、良くぞ俺達みたいな小者を覚えていてくれたものだ」


 クァトロのダオが再び現れて、チョルテカに基地を建設している。噂が噂を呼び人が集まってきた。

 あるものはせっせと建材を運び込み、あるものは食事を提供し、あるものは昔同様雇ってくれと申し出た。大混雑しているところにホンジュラスの役人がやってきて、即刻解散するよう命じた。


「不穏分子の国外退去を命じる!」


 尤もな命令であるが、はいそうですかと従う訳にはいかない。準備を整えてからニカラグアに進入せねば、一網打尽に壊滅させられるのは解りきっているからだ。

 アメリカ国務省でも当然この騒ぎは承知していた。ニカラグアがまた頭痛の種になり、どう処理するかで紛糾していた真最中である。何せ内戦となれば当該国人が表立ち解決する必要があり、アメリカの手駒にニカラグア人は極めて少なかった。


「ホンジュラスにクァトロを名乗る集団が挙兵しました」


 古株の国務省職員は小躍りしそうになり報告を再確認する。それが十年前にもサンディニスタ政権に対抗した勢力と同一であると知ると、直ぐ様ホンジュラス政府に当該勢力を支持するよう要請が出された。

 多大な援助を受け入れている側にとって、要請は命令となんら変わりない。ドミノを倒すように頂点から全て同じ方角を向く。


 「不穏分子」三日前にそう呼ばれていた一団は、あれよあれよという間に「外国人集団」を経て「クァトロ」と名を改めて認識されるようになる。


「ロマノフスキー、部隊は任せるぞ」


「ダー。フィリピンの三日月島ですが、バスター大尉に留守番させてあります」


 ロシア語を喋るロマノフスキー中佐もニカラグア国籍を持つ一人である。一方で外国人に当たる要員は置いてきたと語った。


 ――ニカラグア国籍を持たないのはアサド先任上級曹長か、どうしたものかな。


 自身の護衛を外してしまうと困ることもあるだろうと悩む。だが永年紛争ど真中に身を置き続けた島は答えを導き出す。


「アサド、死ぬな、そして捕まるな」


「仰せの通りに」


 ――人の割り振りだけ済ませておこう。今回は正規戦だ、現地人に多くを任せる必要がある。


 良くも悪くもニカラグア人の戦いなのだ。外国人は陰で支援に徹するか、精々脇役でなければならない。


「部隊にマリー大尉とブッフバルト中尉を配属する」


 当時の幹部で現在召集に掛かったのはその二人だけである。ハラウィ少佐とプレトリアス一族はここには居ない。


「一人でもやってやれないことはありません、両腕をいただき恐縮です」


 軍歴二十年になろうというベテランである、実務に関しては総じて問題は見られない。二人の部下も長年連れ添った気の置けない奴等だ、様々な役にたつだろう。


「司令部にエーン大尉、サルミエ中尉。ビダ先任上級曹長はそちらだな」


 現状で五人もの将校を抱えているのを再確認し、クァトロの根がどこにあったかを思い知る。


 ――プレトリアス一族には動員を掛けたくないが、恐らくはやってくるんだろうな。差し止めはしないが呼びもしない、意思に任せよう。


 プレトリアでの傷が深いのを鑑みて敢えて黙っていた。何よりエーン一人がここに居るだけで満足している。


「ゲリラと違って軍隊は金が掛かります。予算の目安を決めて下さい」


 ――レンピラだけでなくコルドバ・オロか。今自由になる資金は幾らだったか。


「サルミエ中尉、シュタッフガルド支配人に可処分資産の確認を。オズワルト中佐にもだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る