第365話
体力にだけは自信があった、怪我も病気も全然記憶にない。それだけに掛かるときには大事と決まっていた。
「むっ」
起き上がると背中に軋むような違和感があった。心なしか吐き気もする。
――変な体勢で寝てしまい船酔いでも併発したか?
鏡で顔を見てみる、特に異常は無い。いつもならば少し走ってビールを飲めば体が目覚めるのだが、流石に船にいてはそうもいかない。
筋肉を使ってトレーニングをしようと色々やってはみるが今一力がみなぎってこなかった。諦めて食堂へ足を運ぶ。
「ボス、お早うございます」
「おう」
――居眠りではなく丸々寝過ごしたか。こいつは由々しき事態だぞ!
体の変調に時間感覚まで喪失しているとは、疲れただけでは済まされない何かを感じとる。
簡単なものを軽く胃袋に収めて医務室へ向かう。途中ルワンダの下士官とすれ違うが、怪訝な視線を向けられただけであった。軍服ではなかったからだろう、何者かわからなかったのだ。
「済まん、ちょっといいかな」
ノックをして医務室へ入る。やけにポケットが沢山ついた白い服を着た医師がどうぞと招く。
「初顔ですな、ゆっくりしていきなさい」
一般医師から船医になったようで、動きに素早さは見られない。物腰柔らかといえばそんなものだろう。
「熱に吐き気、背中の痛みに虚脱感が」
「先ずは目を見せて、口も」服をまくる仕草をして「心音を……ふむ」
表情を読もうとしても全くわからない、そこは医者特有のポーカーフェイスである。
「風邪の諸症状といえばそうですが、健康体の働き盛りが駆け込むのだから他の疑いをすべきでしょうな。君はずる休みするような人物には見えないから」
苦笑いで検査を依頼する。当然医務室にそんなご大層なものがあるわけではないので、上陸してからの精密検査とビタミン注射を処方された。
「気が緩んだら熱が出たようなものでしょうか」
「それもあるだろうが、少しは体を労りなさい。酷使したり休まらない生活は寿命を削るよ」
――耳が痛いね。永らく生き続けたいのよりも、役に立たなくなるのを先伸ばしにしたいあたりか。
「有り難く注意をいただきます」
「素直が一番だが、相手を選んで病気がやってくるわけじゃないからな」
こういった人物は必要である。人対人として付き合うような。
アラートが響き渡る、放送が流れた。「第二種警戒態勢発令、自室待機を命じる」それが二度繰り返された。
「君は自室で休んでいなさい、私が勤務不能だと署名しておく」
「それがそうも行かないものでして」
規則正しい歩幅の足音が聞こえてくる、手早くノックをしてから扉が開き、黒人が敬礼する。
「閣下、司令室へお越しを」
無言で医者と視線を合わせて微笑を浮かべる。ありがとうございます、そう残して医務室から出ていった。
「海賊船でも大挙して現れたか」
そんなわけあるまいと自ら打ち消すも、にこりともせずに「はい」と答えられ目眩を覚える。
「海賊組合でもあって俺を困らせようとしているのか?」
「アッラーの思し召しでもあったのでしょう」
したり顔で切り返す。
「そいつは参ったな」
切れがない返答をして司令室へ入る。ウッディー中佐が副官と打ち合わせをしていた。
「閣下、警備司令官から通報を受けました。ソマリアから多数の船舶が船団に向かってきています」
そんなものが品行方正な民間船なわけもない。
「司令官の命令は」
全て間を省略してド=ラ=クロワ大佐の考えから裏読みしようとする。
「高速艇による識別、全艦での迎撃を見越しております」
「確定待ちか。司令船に繋いでくれ」
連絡がきているのだから交信は可能だろう。アンテナが高い場所にあるのは伊達ではないのだ。
「ド=ラ=クロワ大佐、イーリヤだ」
「ボス、一つ山場を迎えております。百近い数が一直線に船団に近付いてきてます」
少なくとも百キロの彼方からやってきて辿り着くだけの性能は持っているだろう。それが百隻にもなれば少数の護衛だけで漏らさずとは行かない。
「ケニアの連絡員に航空支援を要請させるんだ」
こんな時の為に事前にサイトティ大臣に話をしてある。周囲に軍艦が居たら報告をするだろうから、近くの海域には海上警備行動をとっている国は無い。
「そうさせます。巻き込んでしまい申し訳ありません」
「ド=ラ=クロワ大佐、これは俺の仕事でもある。軽く蹴散らしてマルカで祝杯を上げようじゃないか」
「はい、ボス」
交信を切ると大きな波があり足元がふらついた。倒れそうになるところ、エーンが島を支えた。
「接触まで二時間はあるはずです、お休みになって下さい」
ウッディー中佐が様子がおかしいのを見抜く。大丈夫だ、島が口を開く前にエーンが肩の手に力を入れて「閣下、こちらへ」機先を制して連れていく。この呼吸は彼にしか解らないタイミングだろう。
「済まん、部屋で休んでいる」
諦めて自室へ戻ることにする。手を借りて歩かねばふらつくなど、居ても足手まといになるのは目に見えている。
「警備司令官に全てお任せ下さい」
――口出しはケニアの件だけで止めておくか。大佐もやりづらいだろう。
「わかった。少し横になる」
扉を開けたままに固定して、エーンは廊下に椅子を持っていき座る。船体が歪むほどの打撃で扉が開かなくなった、そんな話を聞いたことがあったらだ。
過剰なまでの配慮がいかに大変な行為か、パラグアイで身をもって体験した島は小言を止めた。大尉に任せておけば間違いないと。自身でも熱っぽいのが解る、本格的に発症してきた。
何かが爆発する音で目が覚めた。船は未だに航行の最中である。
「エーン、何か大きな音が聞こえたが?」
「現在海賊と交戦中です。ご心配なく」
「何だって! 何故起こさなかった!」
急いで起きようとして体勢が崩れる、思うように力が入らない。寝汗でびっしょりになってしまっていた。
「閣下はご病気です、お休み下さい」
――俺はこの一大事にベッドから出ることすらかなわんのか!
息切れをして熱が高い。人前に出ても心配させるだけだろう。
「上手く推移しているか?」
「ケニア空軍による海上攻撃で半数が沈没、迎撃防戦によりかなりが爆発炎上しております」
「民間船は」
「一部が戦闘中、護衛兵が奮戦しております」
――討ち漏らしたか! 一隻でも沈められたらこちらの敗けだ。
窓の小さな枠からたまたま空を飛んでいるものが見えた。艦載ヘリとは柄が違う。
「空軍のチョッパー?」
「あれは民間放送局です、どこからか知ったのでしょう」
――きな臭いぞ、こうも上手いことやってこられるものか?
「どこの局だ」
「調べます」
アサドの声が聞こえた、一緒に張り付いているらしい。この頃サルミエは司令室で戦況を確認している。
――こちらの虐殺だと報じられては面倒だ、公式な報告書をまとめられるように手配をせねば。
しかし考えがまとまらずどのようにすべきか言葉がでない。アサドが戻ってきて、ヘリの正体がラジオ・モガディッシュだと伝えた。
――よくない風向きだ、あそこは俺に悪感情があるはずだ。
「どうぞ気にせずにお休み下さい。まずは体調を整えてからです」
様々な反論はあったがこの体たらくでは確かにいかんともし難い。仕方なく目を瞑る。どのくらい時間が流れたか、気付くとヘリの音がやけに近くに聞こえてくる。
「閣下、マルカに移ります」
「入港したのか?」
「いえヘリで一足先に」
戦いの音は聞こえてこないので上手く乗りきったのだろう。甲板にヘリが着陸している、パイロットはモネ大尉だ。サルミエらがぎゅうぎゅうになり乗り込む。変な浮揚感で吐き気が強くなり戻してしまう。何だか少し黒いものを吐瀉する。
規制があり自由区域で着陸しなければならなかった。そこから救急車にあたるヴァンで中央病院に搬送される。
――そんなに大事だったか? 赤っ恥じゃあるまいな。
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