第364話

 マスターが久し振りの顔を見て話し掛けてくる。


「工場の進出が上手くいきましたか?」


 ――そう言えばそんな筋書だったな。


「どうにも治安がね。まあウマル少佐らの活躍で内陸の一部は改善されたみたいだが」


 身内を誉められて笑顔を浮かべる。世界で共通した感覚だろう。その少佐がそろそろ顔を出すと漏らした。

 十分としないで入口から浅黒い肌の男が私服でやってくる。鋭い視線が新参の一団に突き刺さった、が。


「こっ、これはイーリヤ大佐殿」


 滅多に動揺しないウマルを珍しそうにマスターが見詰めている。客席に居るのが大佐というのも初耳であった。だが追求はしない。


「やあウマル少佐、ここの店は最高の味だよ。一杯奢ろうじゃないか」


 座るように椅子を勧める。何となく見覚えがある取り巻きであった。


「大佐殿はニカラグアからまた駐在武官に?」


 たったの一日だけその地位にあったのを思い出す。本当に無茶をしたものだと自嘲した。


「いいやニカラグア軍は除隊したよ。今はパラグアイ軍退役憲兵准将だったことになるか?」


 席の後ろで起立しているアサドに何となく視線を向ける。


「はい、閣下」


 ウマルが信じられないとの表情を滲ませる。また偽装が過ったが、調べても自分が驚くことになるのだろうと今だけを見ることにする。


「その閣下が何故ここに?」


 彼もまた職業病である。理由を問い掛けてから自分がその適切な立場にないことに気付く。


「ソマリア海賊から民間船を守る役目でね。そうしたらイエメンでようやく工場が作れる」


 嘘か真かマスターにも微笑みかける。当然工場については誰も知らない。エーンが耳をピクピクさせて言葉の意味を探る。


「そうでしたか。質問ばかりで申し訳ありません」


 湯気をたてたコーヒーが差し出される。敢えて「こちらの方からです」とマスターが笑いを狙った。客商売の彼に二人が感謝する。


「正味のところ海は苦手でね、だから見に来たって表現が正しかろう」


 万能は居たとしても世に全能は居ない。それこそ神である。神にしたってアッラーは伝え忘れるし、キリストとて絶対の教えではなかったから分派もすれば、新興宗教も現れる。


「それでモカでしたか。閣下は海賊をなくすためにはどうしたら良いとお考えで?」


「少佐はどうしたらと」


 自分の考えを明かす前に所見を述べさせる。答えなど定まってはいない、ただ話の流れからである。


「海賊が割りに合わない行為だと知らしめる必要があります」


 なった者をやめさせるより、これからなりたい奴を減らす方針だと言う。


 ――増加しないだけでもそれはかなりの違いがある。問題はその手法だ。


「して、どのように?」


「徹底的な処罰によって。ただ死ぬよりも苦しいような罰を与えて。罪の重さを民に浸透させるには衝撃がなければ」


 ――過激だがテロリスト相手に生きてきたならそうもなる。地域によって大分対応を変えなければ上手くは行かなそうだ。


 興味深そうに頷きながら話に耳を傾ける。


「海賊になろうとするのを減らす考えには俺も賛成だ。ただしそれだけではなく、海賊以外の選択肢をより魅力的にするなどして、相対的に価値を減らすのも視野に入れたいものだ」


 より社会全体に悪影響と好影響を与える可能性を考慮すべきだと諭す。誰の言葉でもなく島の言葉で語るものだから胸に届く何かもあった。


「同じ結果を目指しても、道は無数に延びていると」


「楽しくなるだろ、まさかと思う経緯が後ろを見るとついてくるんだ」


 ――まるで俺の人生のようにな! 道が途切れた時は死ぬときだろう。


 モカコーヒーを口に含む。酸味と苦味がバランスよく香りが極めて強い。どれでも同じと言われては形無しであるが、嗜好品としてみれば素晴らしい物なのは確かだ。


「まさか、ですか。そうですね……」


 彼もそれを体験させられた側である、何を言いたいのかは少しだが理解できた。


「だが後ろを振り返るのは最後の最後で構わない。人は皆前を向いて生きているんだから」


 ――下ばかりを向いて生きている奴等の顔を前に向ける。目標だ!


 サルミエ中尉の携帯が鳴った。迎えの船が入港したらしい。


「ボス、ウッディー中佐の船が到着しました」


「よし、行くとしようか」


 サルミエが紙幣を置いて清算を済ませる。空港で最初にやるのが現地通貨の調達になっていた。そのうち各地のものを使うよりカードが早いことに気付くが、キャッシュが不要になることはついぞなかった。


 モカ港にお馴染みの中佐が姿を現した。本名を知るものは誰もいない。正確には知っても覚えようとはしない。


「ボスのお越しをお待ちしていました」


「上司はいない方が仕事がはかどるものじゃないのか」


 軽口で返して船に乗り込む。イエメンからマルカへ向かう帰路であるが、最高速度で少し寄り道させた。ヘリよりもこちらを向かわせた方が監視で劣る部分が少ないとの判断である。


「三度目の団体の帰路ですが、タンカーに油以外を積んでいましてね」


 足が遅いのですぐに追い付くらしい。空荷で動く輸送船など考えられないが、縦割りの軍隊には昔あったそうだ。特に戦時には信じられない命令が平気で出されるものなのだ。


「油でなくてもタンカーに一律保険料を課すので困っていたようです」


 船体を見て被害に遭うわけだから保険会社の言い分ももっともである。だが利益がなくて費用だけともいかない。そこで船団保険を格安でなど聞かされたら無視する方が不思議だ。


「業界で口コミがあれば元はとれるさ。そこは大目に見てやろう」


 何を積んでいるかは聞かないが、空荷よりは少しでもと努力したようなものだろうと考える。個人的な荷物すらついでに引き受けていても驚きは少ない。バラストを積み降ろしするより遥かに経済的行為なのは確かだ。


「半日で合流します。その後は三日でマルカ港に入港です」


 一日余計に掛かるのはタンカーが遅いからだ。多くの船乗りにとってそれは苦にならないことらしい、船足が遅い側に合わせるのは当たり前なのだ。大人が子供の目線に合わせるように。


「と、言うことだ。船上だが休暇を与えることにしよう」


 三人の側近にそう宣言する。完全に味方の領域ではあったが、船員の反乱を含めてエーンは意識の幾分かを必ず割くつもりで了解した。それはアサドも同じであった。


 島は操舵室に入り景色を眺めることにした。何ら変わらない風景の中で、たまにぽつりぽつりと船とすれ違う。といっても視認出来るのではなくレーダーで掠める程度だ。


 ――俺が次にやるべきことは何だ? ロマノフスキーらの訓練でも見に行くか。あのあたりの海賊を能動的に攻撃させるための下地を作らねばな。フィリピン海域なら良いが、やはりベトナム海域では逃げられてしまうか。


 目を瞑り椅子に座っていると波のうねりが感じられた。そのうち不規則な揺れが気持ちよくなりうとうとしてしまった。


「ボス、どうぞお部屋に」


 一等航海士が声を掛けてきた、一瞬どうしたかわからなかったが「ああ」と生返事をして状況を思い出す。

 疲れが溜まっていたのだろうか、こんな目覚めは殆んど無かった。部屋に入るとしっかりとベッドメイクされていたところへダイヴする。


 ――少し息苦しいな? 鬼の霍乱か。風邪だとしたら小学生以来だぞ。

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