第279話
「ウマル、何故そう考えたのだ。推測を後押しする何かがあったか?」
叱責でもなければ反対でも同意でもない。自分が間違えたのかとドキッとするが、無言が一番いただけない為、意識して大きめに声を絞り出す。
「それは保険が掛かっていなかったからです」
トゥルキーは振り向いて目で先を促した。
「妻の血縁ですが、港湾で船や積み荷の損害保険を扱っています。海賊被害にあったシーサーペント号ですが、何故か船体の保険には入っても、積み荷には掛けていませんでした」
ソマリア海域での海事保険の類いは、異常に掛け金が高く設定されていた。海賊が日常茶飯事のようにあちこちで暴れているのだから、わからなくもない。単なる移動やさして金額が張らない荷物ならばそれも良い。利益がどれだけ残るかの差が大きいからだ。
しかしテクニカル三両ともなれば、そんな小さな数字ではないのが容易に想像がつく。逆にソマリア仕様のテクニカルならば、手近なところに払い下げれば済んでしまう。武器輸出に抵触する可能性は残るが。
「価値があり危険があるとわかりながら、船体にだけ保険を掛ける意味は」
「積み荷の保障はしなくとも良いと、了解があったのではないでしょうか」
――つまりそれをわざと奪わせて、持ち帰ったところを攻撃したと言うわけか。これは辻褄が合うぞ。
「その船員らは助かったと言っていたな、ヤパーニが救ったと」
「はい。ですが以来姿を現しておりません、人道的配慮とかで保護を続けているそうで」
精神面のケアが必要だとか、理由は幾らでもある。船員らが負傷していたとかでも。
「ナイロビの会議だが、ニカラグアやヤパーニは参加するのか」
「ヤパーニは間違いなく、あの国は会議と名のつくものには必ず出ますので。ニカラグアについては早急に調査致します」
変なことを進言して追放されるかと怯えた瞬間もあったが、どうやら受け入れられたようだと、今度は胸が熱くなってくる。同僚達の間から一歩前に進んだ感じだ。
「もし両国が参加するならば私も出席する、手配をしておけ」
まさか将軍が出るとは思って居なかった為に、聞き直そうとしてしまい堪える。
「そのようにさせていただきます。わかり次第報告に上がります」
頷いてからまた窓の外を眺める。トゥルキーにはこの地こそが全てであった。
◇
マリンディに入ると、アフマド曹長と言葉を交わす。オズワルト中佐のところからやってきている事務兵は、どうやらしっかりと働いているらしい。
「何か不足はあるか」
「御座いません。ですが予備下士官が居れば、若手との繋がりも保てるでしょう」
数年で五十の声が聞こえるだろうアフマドより、これからという人物が顔繋ぎするほうが、有益だとの指摘は間違いない。
「わかった、誰が適当だと思う」
その任に在る人物に直接後任を指名させる。気付かない何かが見えていることもあるだろうと。
「オビエト伍長が適任と思われます。言語面で自分は厳しいですが、若手との意思疎通に問題はありません。何より観察力を感じました」
――基地に一緒にいたオラベルではなくオビエトか。大した顔を合わせても居ないのに、そう感じたからには何かしらの才能があるんだろう。伍長が一人異動したところで何ら影響もない。
「サルミエ少尉、オビエト伍長の異動を手配するんだ。上勤伍長にしてやれ」
「はい閣下」
素早くメモをとって備えておく。
「駅までお送り致します、こちらへ」
運転は兵が担当するが、その場への案内はアフマドが行った。儒教国家の影響を受けている日本。産まれ育ちがそれなだけに、軍隊で長いこと過ごしはしたが、年長者との距離感が未だに掴めないでいる。
将軍座乗の旗を車に掲げて道路を走らせる。全て儀礼上の事柄であるので、島の一存ではどうすることも出来ない。
――こいつはいかん、昇進しすぎて息が詰まってきたぞ。
眉をひそめる島を見て、サルミエが何か不興を被りでもしたかと不安になってしまった。程なく駅につくと、首都まで一本の列車に乗り込む。庶民じみていてそれを嫌がる者もいたが、案外それが気楽な彼である。軍服は着用している、それが義務でもあるので仕方なく。移動も公務のうちだと説明されて、渋々従ったのだ。
――ケニア北東部もアルシャバブの勢力圏だったな。結局のところ住民の支持があるので力を保っているわけだ。外野が何と叫ぼうと暮らしている者にとってみれば、イスラム法を厳しく掲げる奴等でも、治安さえきっちり確保するなら歓迎なわけか。
アメリカが指定テロ組織としているのは、幹部らがアルカイダを公然と支持したり、要員を訓練するなど反社会的行為をとっているからだ。イスラム社会にしてみれば、正しいと考えられる確信犯だから、話がややこしくなってくる。
「少尉は自分の考えと、世界の常識が食い違ったらどうする?」
「は?」突然わけがわからない質問をされてしまい、素直に「まずは自分の正義を押します」
――そうだよな。昨日までの自分を、今日いきなり否定することはない。人間誰しもが自身を認められたいだろうし、より良い未来を求めたがる。答えなんてどこにもない、だから悩むんだ。
腕組をして黙ってしまったので、さて何だったのだろうと首を傾げる。ふと視線を反対の座席に座るエーンに向けたが、彼も小さく左右に首を振るだけで何も言わなかった。
仕方なくサルミエは本を手にし、静かに読み始めた。それは初等の英語教材で、立派な大人が真剣に読んでいる姿は微妙にミスマッチだった。しかし誰一人としてそれを冷やかすものは居ない。数時間その一帯にはレールの継ぎ目の音だけが流れていた。
各自に同時通訳用のイヤホンが渡され、広い部屋でテーブルを丸くして座る。所定の位置につく前に、会場がざわついていた原因に視線をやった。
――あれがトゥルキー将軍か、六十前後だったな確か。まさか敵対勢力の幹部が出てくるとはな。
島がじっと見ていると、トゥルキーも島に視線を返した。所属国を確認するとおもむろに立ち上がり近付いてくる。念のため色つきの眼鏡をかけていた島だが、それを外した。すぐそばにまでくると、トゥルキーが英語で話し掛けてきた。
「君がニカラグアのイーリヤ将軍かね」
「そうだがあなたは」
少しでも喋らせようと質問を返す。
「ラスカンボニ旅団のトゥルキー将軍だ、そのうちゆっくりと語らいたいものだよ」
それだけ告げると自らの席にと帰ってしまう。
――何故俺なんだ? 用事があってわざわざ出向いてきたのか?
印象を変えるための小道具をかけて座る。無表情を装うが、頭の中はパニックを起こしかけていた。何ら接点がない二人が言葉を交わすことになった理由を探ろうと。
揺れた雰囲気のまま、座長である国連ソマリア担当特別代表の代理である、タンザニアの大使が開始を宣言した。そもそもが特別代表はマヒガ事務長が兼任の為、滅多に首座につくことなどない。各国の代表を一人一人紹介してから議題へと移った。呼ばれて起立したのは軍人らが主である。
「主題はソマリア海域の海賊対策です。陸地の拠点を幾つか喪い、現在近隣に身を寄せている海賊を含めて、モガディッシュ以南の地域から一掃すべく場を設けました」
本来ならもう幾人か招く予定であったのも明かし、どの方向を目指していたかを詳かにして国際的な体面を保つ。主旨説明を終わらせると、主導権をソマリア連邦政府の代表にと渡した。
あれこれと無駄と思えるような状況報告が続いた末に、予想通りソマリア軍ではブラヴァ付近の競合地域へ出兵は、不可能だと匙を投げる。
「アメリカ軍は海上より万全の支援態勢を約束致します」
期待の眼差しをものともせずに、ジョンソンがアメリカ軍の意見を見せ付ける。不満はあれど誰もそれに対して意見をぶつけることはなかった。
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