第246話



 手を休めて暫し注目していると、確かに姿が大きくなってきているではないか。


「あれは敵だ! モハメドに、いやヤセルに知らせるんだ!」


 この距離では、よしんば弾丸が届いても貫通はしないだろうと、近付いて来るテーブルを睨むしかなかった。徐々に傍にやってくるのを不気味に思いながら、遮蔽物の角度を変える。上から撃ってはくるが、階段からは一向に降りてこないので、おかしいなとは思っていたのだ。廊下の奴が主目的だったのだろうと考えが及んだ。


 ヤセルは部下を連れてすぐに南側廊下へ向かった、その頃にはかなり近くまでソレが来ていて渋い表情を作る。


「反対側から二人進んで挟み撃ちにするんだ!」


 幾つテーブルがあるかはわからないが、回廊なので数分で挟撃可能だと判断して走らせる。


 ――どこから入り込んだんだやつらは!


 疑問はあっても目の前の状況こそがすべてだと、階段正面の防備を少し割いて廊下へと引き寄せるように命じる。

 今までじりじりと動いていた物が、一気に加速して突っ込んできた。遮蔽物にそのまま突っ込むと、派手な音をたてて転がる。同時に隠れていた者たちに異変が起きた。湯が飛び散り粉が舞う。残りのテーブルも勢いよく衝突して、混乱に拍車がかかる。そこを狙って銃撃がくるが、くしゃみが止まらずに中々狙って反撃が出来ない。


 ――熱湯に胡椒と小麦粉だと!


 我慢しながら発砲を続けるが、狙いがそれて窓ガラスを撃ち抜くなど、あさっての方向に飛んでいってしまう。ようやく迂回の二人が回りこんだ時には、何がどうなっているかまったく不明の状態になってしまっていた。


「グッジョブだポワティエ」島が短く若者を褒める。


 狙いを大してつけずに乱射しながら、廊下の防衛部隊をスルーして、階段下で対応しているやつらを横から一気になぎ倒す。敵を間に置いての射撃は同士討ちが懸念されるので、一瞬躊躇したのが最後だった。

 橋頭堡を確保したので大声で上の連中に伝える。先頭が階段を下りたところで、島らはフロント先にある事務所に向かった。流石にこうまできたら無理を悟ったのか、ガルバニ――モハメドも通信妨害を解除して爆破をしようと作業に集中していた。

 一斉に突入し「アフ!」と島が叫ぶ。短機関銃の一連射が迎え、それぞれが机の影に身を隠す。その間にも器械のシャットダウン処理が行われていて秒読みに入っている。

 モハメドが数秒を稼ごうと、もう一度連射をして反撃不能になるよう室内を制圧射撃する。拳銃では到底対抗出来ようはずもない。


 ――距離は十メートル以内だ、目くらましにはなるだろう!


 ポケットに入れていたヘアスプレー缶を手にして全員に視線を送る、次の瞬間天井近くにまでふわりと放った。拳銃で一斉に射撃するとそのうち一発が缶を貫く、ガス爆発して蛍光灯の破片を降らせる。


 片手で咄嗟に頭を庇おうとする男を島が撃ち抜く、手にしていた短機関銃のトリガーが指に引っかかり、部屋中に弾丸が撒き散らされた。

 焦げ臭い中をマロリーが飛び出して、倒れている敵をうつ伏せに拘束する。ベッケンは伏せていた中年男性の傍に寄って、他に敵がいないかを警戒した。発信直前で準備されている携帯電話を、ポワティエが確保する。


 ロビーが一気に騒がしくなった、拳銃ではなく口径の大きい銃声が聞こえてくる。扉から「カラビニエリだ!」と軍警が突入してきた。黒地に赤線の入った制服が特徴的だ。

 一階のテロリストらは掃討されて人質が保護される、二階からも婦人らがぞろぞろと降りてきた。


「武器を持っている関係者はここに集まれ! 事情を聞かせてもらうぞ」


 厳しい口調で将校が文化遺産の破壊行為を責め、君らも加害者側だと戒める。ベッケンに支えられて中年紳士がやってきた。


「助けてくれてありがとう御座います。ネーデルランド元公使のルッテです」


 異臭漂う島に丁寧に礼を述べる。


「結果として助けられただけです。ニカラグアのイーリヤです」


 自身の艶姿を鑑みて、握手や抱擁は控えようと苦笑した。


「チャイニーズかと思いましたが、ニカラグアでしたか」驚きを浮かべる。


「良く――」

「良く言われます、でしょ」


 島が言葉を先回りされて、女性の声がする方を振り向いた。どことなく見覚えがある姿である。


「パラグアイでは私が助けられましが、今度はお父さんを助けてくれて、ありがとうございます!」


「あ、君はあの時の!」


「アンネ・ルッテです」


「何と君が娘の恩人のイーリヤさんでしたか! その節は世話になりました感謝しています、いやもう言葉だけでは表せません」


 元公使がうーむと唸る。島にしてみても何故彼女がこんな所にとの疑問が尽きない。


「何をしているか貴様、早くロビーで並べ!」


 軍警軍曹が高圧的に注意を行う。横柄な態度を見てマロリーが割り込む。


「ロイヤルネイビーのマロリー少尉だ、軍曹案内しろ」


「失礼しました、少尉殿」


 こちらへどうぞ皆様と先導を買って出た。


 ――やれやれ無かった事して出国出来そうにもないなこいつは。


 ロビーには志願して戦った者たちが、まるで犯罪者のような扱いを受けていた。


「お前らもここに座れ!」


 中尉の徽章をつけた将校が振り向きもせずにそう命令する。


「おいアヴァロン中尉じゃないか?」


 島が横顔を見て思い出す。カッシーニ大尉が死亡して、昇格したのを覚えていた。


「ん、誰だ? ……あ、イーリヤ中佐殿!」


 相手が誰か気づいて遅れて敬礼をした。マロリーらも驚いて島を見る。


「これはどういう仕打ちだ?」


「は、文化遺産を破壊した下手人でして」


「それでは俺がその筆頭だな」


 中尉が難しい表情を浮かべる、そこへルッテが進み出た。


「私はネーデルランドの元公使ルッテだ。中尉、彼らは私を助けるためにテロリスト相手に奮戦してくれたよ、その間イタリアは何をしてくれたかな?」


 非常に答えづらい言い方をされて、中尉が尻込む。一度追い出しはしたが、マスコミが外に多数うろついているので、判断を誤るとすぐに取り返しがつかない報道が世界に広まってしまう。


「では……自分はどうしたら?」島とルッテの間を、視線が行ったりきたりする。


「なあ中尉、英雄になってみないか?」


「は?」


 イタリア放送協会、RAI――ラジオテレヴィゾーネイタリアーナは大々的に事件を報道した。国家軍警察のアヴァロン大尉(当時中尉)指揮する特殊部隊が、ホテルを占拠したイスラム主義武装組織を撃破。人質を全員保護したと。


 中でもネーデルランド――オランダ元公使が含まれていたことで、オランダ政府マルク・ルッテ首相は、遠縁の同族を救ってくれたイタリアに強い感謝と支持を与えた。文化遺産を破壊したのは残念ではあるが、人命には替え難いと声明をまとめると、民衆はそれを受け入れる。

 むしろイタリアでは事件の裏がどうとか文化遺産がどうではなく、新たに生まれた英雄についてのみ盛り上がっていた。国民気質と言うのだろう視点が違う。


「イーリヤ大佐、自分はあなたに会うたびに昇進するようです」


 笑みを浮かべて、創られた英雄が握手を求める。


「なにその場に居合わせたのが君で大助かりだよ。もし石頭なら、俺たちは今頃留置場だろう」


 それでは大尉、と別れると待っていたルッテが声をかけてくる。


「ねぇイーリヤさん、国に戻るのだけど、このまま遊びにきませんか?」彼女がそう言うと父親も大歓迎すると言ってくれた。


「どうするレティア?」


「別に予定なんて変更しても構わないさ。来てくれって言うんだから、行こうじゃないか」


 海沿いで温暖な地域だと説明されたので、それならと納得する。


「ではご一緒させて頂きます、閣下」


「閣下はよしてくれイーリヤさん、ルッテで結構」いやそうなると娘と被るか? 等と呟く。


「じゃああたしをアンネって呼べばいいわけね!」そうしましょうと喜ぶ。


 ――まあそういうことにしておこう。それにしてもどこへ行っても俺は争いばかりだな。


 そんな悩みをずばり見抜いたレティシアが言う。


「退屈しないでいいじゃないか、トラブルは起きるものだよ」


「別に毎度起きなくても俺は構わんのだが」


 肩をすくめてそう自嘲する。今思えばダストシュートから外に逃げるだけでも良かったと。そうなれば全員が無事かどうかはわからないが。


「そういう宿命なんだろう」


「厄介ごとが手を繋いで歩いて来るわけだ。ご大層な宿命だな」

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