第244話
モハメドがそれを承認する。長引くことはなく、三十分と掛からずに副官格の男――ジュベが戻る。
「奴はフレデリック・ルッテ。ネーデルランドの公使級で待命休暇中です」
公使とは大使の一つ下の呼び名であり、ほぼ同等の権限を与えられる役職である。即ち大使や公使は領事の類いとは違い、一人しか置かれない高級外交官なのだ。
――人質に公使がいるとアピールするんだ、すぐにイタリア中が大騒ぎになるぞ。奴らは事件が大好きだからな。
事件の行方よりも騒ぎが起きているそのこと自体が興味深いだけで、中身に対する考察は置いてきぼりである。
自爆は何時でも出来る。可能な限り主義主張をしてからにしようと決め、手始めに新聞社に電話を掛ける。
「セニョール、公使人質事件が起きているんだが――」
◇
弾倉に何発あるかを確認させる。一度も発砲していなかったようで、目一杯入っていると返事がある。
「一発だけマガジンから抜いておくんだ」
「何故?」
オルロワだけがそう疑問を口にする。
「バネに無理がかかり、不具合が起きないように余裕を持たせるためだ」
訓練ならば怒鳴られているだろうが実戦の最中である、簡単な理由もしっかりと説明する。思い付く注意点は何度となく繰り返す。
ふと思う、外人部隊に残っていたら、今もきっと曹長としてこのように訓練でもしていたんだろうなと。グロックがそうだったように、下士官はどこまで行っても下士官として扱われるからだ。
戦時に特別な功績を得たならば話は違ってくるが、将校とは他の者と全く違った立場で、クァトロのようにそう簡単に持ち上がるものではない。
階段の踊り場から下を窺う。かなりの人数が集められているようだ。じっと耳を澄まして漏れてくる会話を聞こうとする。当然ながら喋るなと命じられているだろうから、人質の声は聞こえてはこない。
客室にあった小さな鏡を使って、二階を少し覗いてみる。階段のすぐに隣がエントランス部分で、やや広目にスペースがとられていた。大きな両開きの扉の先にパーティーホールがあり、そこに皆が押し込まれている。
――下から増援されたらこの位置が有利だな。かといってホールで展開する人数を減らすのは出来ないぞ。
「外まで逃げられますかね?」
どうにか解放しようと考えていた島が、逃げるとの選択肢を出されて意外な感覚を受ける。ベッケンもオルロワの方を振り向き、驚きの眼差しを向けた。
――この場合は逃げるってのが一般人の感覚って訳か。ということは強盗団もこちらが逃げようとするのを想定するわけだ。
「あちらの意表を衝こう。逃げると思われてるなら、反対に立ち向かうんだ」
「それで人質を盾にされたら?」
「無視する。俺達が気にする必要はない、こちらも被害者で自分の命が最優先だ」
矛盾するような気もしたが、背中から撃たれる位ならば立ち向かう方が、生き残る可能性が高いと考えれば納得行く。抵抗して他の人質が害されれば、それはその者の運命だろう。
その時にホールから十数人が纏まって出てくる。最後尾に二人、拳銃を持った者が続いた。何やら布をすっぽりと頭から被っている。
――トイレットか、各個撃破するチャンスだ。あの布を被れば、ホールに戻った時に数瞬自由が得られるぞ! その為にはやはり拳銃を使ってはならないが、どのように待ち伏せるか。
ホールからトイレまでの通路を確認する。二人の犯人のうち、一人が中まで監視に行くとしたら、もう一人が廊下を見張るしかない。二度廊下を折れるので奇襲することが可能だ。
――人質が声を出したら気付かれる、俺達が味方だと知らせねば。これだけ離れていれば多少の声は平気だが、悲鳴は勘弁だ。男のグループの時に行くときにするか。
「作戦は決まった、ここがイタリアなのを加味して、皆に一言ずつ協力願うよ」
殊更簡単だと思わせるために軽くいい放つ。踊り場から三階に戻り、声が漏れないよう気を付けながら見取り図を指して動きを指示する。戻るまでの時間を計るために鏡で見ていたが、犯人の手袋と袖の間がチラリ。
――アラビアンか!
十分程すると、今度は男性グループ十人余りが移動を始めた。服装から覆面が先程の二人だとわかる。島が先頭でベッケンが最後尾になり、廊下を進む。絨毯以外を踏まないよう注意を払う。角を曲がった所に給湯室がある、パーティーホール脇の出入口の側だ。
死角となるためその給湯室に潜んで息を殺す。狭い場所なので出入口の脇に置かれた衝立の裏に、レティシアらを潜ませる。
――人質らが気付いても反応してくれるなよ!
一発勝負でやり直しが効かないために祈る。だがどの神を頼りにしたかは、本人も解らずじまいであった。女性グループよりも早くに引き返してくる。足音が近付きすぐ隣を通りすぎる。一人が島に気づいてぎょっとするが、口に人差し指を立てて静かにするように、ジェスチャーで伝える。男は頷きもせずにそのまま通り過ぎた。
拳銃をぶら下げた見張りがすぐ後ろに続くはずだ。給湯室が進行方向の左手にあるため、銃を向けるには体勢を変える必要がある。小さな、これ以上は無いくらいに小さな有利点を計算に組み込む。
二人が覆面をしていて視界が狭いこともあり、姿が現れた瞬間に島が奥の側に躍りかかるも気付くのに遅れる。次いでベッケンが手前の奴の喉に向かい、ナイフを突き立てる。
「ポリス!」
「ポリツァイ!」
「ポリシーア!」
「ポリツィーア!」
四人が分担して人質を落ち着かせるよう、警察だと声をあげる。どうみても違うがその瞬間だけ落ち着いて貰えたらそれで構わない。命脈を断ち切り給湯室手前に集まるように呼び掛ける。
「中に犯人は何人いるか、武装はどうか、階下にもいるか、人質はどうしているか、手短に説明可能だろうか」
ぱっと見てフランス語で問い掛ける、何者だと尋ねたかっただろうが時間を浪費する愚か者は少なかった。
「八人の覆面が拳銃を持って、四隅と出入口に二人テーブルに二人。人質は奥に固められて椅子に囲まれている。下はわからない」
「四隅の覆面を倒してください、拳銃が四丁あります」
上で奪った物と、今手に入れたうち半数を志願者に渡す。
「入口とテーブルのはこちらで倒します。ご婦人らには伏せるよう、直前に知らせてください」
ナイフ四本も別の四人に渡す。それらも四隅に散るよう言っておく。倒したやつを身ぐるみ剥いで服を着替えるが、一部に血糊がついてしまっている。
洗っている暇がないので、タオルを巻き付けて誤魔化す。レティシアらにホール外にいてもらい、銃声と共に増援するようしておく。一分で打ち合わせを終わらせて足早に戻る、不審に思われてはならない。ホールに戻ると中の様子を把握するよう努める。
――人質が固まっている、これなら邪魔にならずに済むな。覆面は情報通りだ。テーブルに居るのが指揮官だろうが、少し距離があるな!
突撃銃ならばまだしも、拳銃では十歩離れたら命中させるのが難しくなる。着座しているのがせめてもの救いだろうか、仮に転げ落ちて避けたとしたら、一秒や二秒は立て直しに使うだろう。
各位がまちまちの武装なのがむしろ特徴的である。男性グループの先頭が人質の輪に入ったところで、島の背に拳銃が突き付けられる。
「血の臭いがするがどうした?」
まだ周りの誰一人として気付いていないが、たまたま匂いに敏感な奴だったらしい。
「生意気なやつが居たから、少し思い知らせてやったんだよ」島が小声のアラビア語で答え、チラリと後ろを振り向く。
――しめたコルト1919半自動拳銃だ!
声は違うがアラビア語なので、仲間だったかと一瞬首を傾げる。背中につき出された拳銃に向かって一歩下がる、すると銃口がカチリと音を立てた。今度は前に歩き出して、おもむろに拳銃をテーブルにいる指揮官に向けて発砲する。「伏せろ!」と人質の輪で声がすると同時に、準備していた男達が近くの覆面を一撃する。
入口のうち一人はベッケンが即座に無力化した。島の背に発砲しようとトリガーを引くが弾が発射されない、廊下から現れたレティシアがそいつを弾く。島は弾倉が空になるまでテーブルにいる奴等を撃ち続ける。
部屋に悲鳴が響く、落ちている銃を拾ってから三人を上の踊場に位置させた。四人の男が出入口にまで駆けてきて、テーブルを荒っぽく引き倒し遮蔽に使する。のそのそと志願した者が武器を手にして、雰囲気で加わる。
「落ち着いて下さい、まずは皆さんの協力に感謝します。騒がずに伏せているように」
銃声がしたものだから下から増援が現れる。バリケードが目に入り何事かと思った所で、踊り場から真横に射撃を受けてその場で動かなくなった。
「四人ごとに別れて、ホール横から廊下に避難して下さい。戦える者はこちらに」フランス語で呼び掛け、英語にして最後にスペイン語で繰り返す。
「下には短機関銃を持ったやつが居るようです」
島が覆面を取り外した。マロリーですと自己紹介しながら情報を持ってくる。
「人数や他に状況が解るものは居るか?」
マロリーが気を利かせて英語に翻訳したので、島はスペイン語で尋ねる。イタリア語が不自由な為に、一人が現地語をカバーする。
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