第236話
マリーが言う下準備とやらに幾ばくかの時間が費やされた。受けた傷が徐々に回復し機運が高まる。
国軍は東部の軍管司令官に、戦いを控えるように指導を勧告した。命令を出せない弱味である、現場から受理はしたが相手次第だと突っぱねられてしまう。それも当然で仕掛けられてから追々反撃に移るようでは、圧倒的に不利なのだから。そうと知りつつ専守防衛などと掲げるのは、極めて異端な様である。
他方でルワンダ解放民主軍も、苛立ちを抑えるのに躍起になっていた。何せ身に覚えがない非難を受けて、正規軍とまた衝突寸前とは穏やかではない。だからと言いなりになったり弱気では、影響力に陰りを見せてしまう。
折角コンゴ民主党――人民防衛国民会議軍が遠ざかったのにその機を利用できないとなれば、指導者の鼎の軽重を問われてしまいかねない。本国を離れて支持者からも見放されては、再び陽が昇る前に埋没してしまう。非常に難しい舵取りをさせられて意識が一方に向いた、その時を待っていたマリーがついに島のオフィスの扉を叩く。
「司令官、時期が到来しました。潜入部隊によるルワンダ解放軍首脳部排除作戦の実行を進言致します」
ここに至るまでに様々なケースを想定した人選と訓練が行われていた。潜入部隊の長にエーン少尉を指名してくる。
「護衛の長を敢えて外して、囮を目立たせる発想は悪くないな。だがエーンを喪えば彼に属している部族が不満を持つぞ」
「それですが、ドゥリー曹長と見分けがつく人物は少数でして」
にやりと意味ありげな視線を送ってくる。
「替え玉か!」
――となるとドゥリーが部隊を仕切る実力があるかどうかに掛かってくるわけだ。指揮能力面では劣るだろうが、これを乗り越えれば一皮剥けるのも事実だぞ。
「黒人を中心にレオポルド伍長など、ルワンダ関係者を一部含めました」
「ルワンダの偽装難民が混ざってはいないだろうな」
バギャンブの言葉が頭を過った、何せ騙しあいなのだ後手を踏んだら最後、成功は遠退く。一瞬眉をひそめてから苦い表情を作り「疑わしい者は外して入れ替えます」と答える。言語面で理解しない人物を混ぜるわけにはいかないのだ、分母は小さい。
「いや違うぞ大尉」否定して少し考える間を与え「怪しいのを外すのではなく、信頼できるやつを用いるんだ」
大丈夫だろうと思っていたやつが実は、なんてことになれば目も当てられない。能力の疑問は作戦の立案でカバーする、自身が現場に居ないのだから自然とそうなる。
「人選を改めます。外すやつは疑念を持たれないよう、事前に集めて一日眠らせておきます」
「うむ」
――眠らせておくか、それは気付かなかったな。寝て覚めて終わっていれば諦めるかも知れんからな。下手に害するより名案だぞ。
「エーンには俺から話しておく、というよりドゥリーから知らされているか」
「それはありません。一切の口外を禁じていますので」
――するとエーンが知っていたら、作戦自体を練り直す必要があるな。一切とは俺に対しても禁ずるわけだから。
マリーも一種の試験のようなものだとして、箝口令を出したのだろう。
「わかった。では明日一番に報告するんだ、そのまま実行させる」
「ダコール」
指揮官は常に試されている、島も例外ではない。
夕刻にたっぷりと睡眠をとって真夜中に起床させた。部隊は大尉に率いられて闇に溶け込んでいく。
下士官の軍服を着たエーンは、いつもと変わらずに島の傍に待機していた。
――罠は二重、三重に張らねばなるまい。
今日の居場所は司令官室である。何か小細工するには周りにばれずに丁度良い。コロラドに一つどんなものかと打診してみると、やってみる価値はあるだろうとの反応が得られた。早速こっそりと準備するように命じる。
――ロマノフスキーなら後方で座っていることもあるまい、イワノフ中佐がいる限りはな。現場あるいは前線に出て指揮を執るとして、どんな要件を選ぶか思考をトレースするんだ。
目を瞑り腕組をしたまま黙る島を目の端で捉えたまま、エーンも同じように沈黙を保つ。一度抜き差しならない動きが起これば将校に早変わりする予定であるが、それまではドゥリー曹長を演じる。
子供騙しではあるが、より重要なのは潜入部隊に選抜されているといった部分なので、効果は既に発揮されている。どこかに混ざっている裏切者を介して、反対勢力も知り得ているだろう。
無線を封鎖したままハマダ少尉の中隊は、ブカヴ駐屯連隊の基地近くに進出していた。同じ頃にブッフバルト少尉も、ルワンダ解放軍の縄張り近くに待機していた。
そこから少しはなれてエーン少尉に扮したドゥリー曹長が、潜入部隊を闇に伏せさせ混乱が起きるのを待っている。
中間に指揮所を構えて予備兵力を控えさせたマリー大尉が、夜光反射塗料が塗られた時計を確認していた。
「開始まであと五分か。異常がなければ早晩始まるぞ」
中止の判断をするかどうかは大尉に任されている。だが実行は時間が来たらそのままとの取り決めで皆が動いている。
寝静まってから二時間か三時間位、隣の人物の顔すら判別できない新月の夜。放射冷却のせいで肌寒いはずなのに、額には汗が滲んでいる。秒針が最後の数秒を消化して、何事もなく時を刻み続けている。
「始まったな……」
数分であちこちの無線を傍受出きるようになるだろう。そこに割り込んで火に油を注ぐのが本部の役割でもあった。
遥か昔から存在する策略が成功するかは、その時にならねば仕掛けた本人にもわからなかった。
「やれっ!」
闇に控えていた兵士が、一斉に手榴弾を投擲して後に銃撃を加える。被害を与えるのが目的ではなく驚かせるためだ。
適当に進出し道路に爆弾を設置する。運悪く車両が飛び出せば、先頭が引っくり返る寸法である。
声は上がるが反撃は鈍い。ハマダは全体を見渡して、もう少し粘れると黙って攻撃を続けさせた。寝入っていた兵士が慌てて飛び出してきて、銃を忘れてきたことに気付くと舞い戻る。下士官が声をからして反撃を叫び続けると、ようやくルワンダ解放軍が夜襲してきたのだと知らされる。
日夜嫌がらせを続けてきていよいよ攻撃をしたかと納得し、将校が命令を下すまで基地に拠って戦うよう指示した。ある程度の数が抵抗に加わってきたので、わざとルワンダ解放軍の旗や装備を置き忘れて引き下がる。
少数ながら保持が確認されていたグレネードを撃ち込んでから、一目散に縄張りがある方角へと逃げ出して行く。襲撃者が居なくなったのを感じて偵察が進出、置き忘れた装備を回収して報告を行ったまでは少尉らにもわからなかった。
偽の部隊は誘き寄せるために完全に突き放してはいけない。少し離れては攻撃を仕掛けて、追撃を振り切る努力を繰り返す。次第に釣り出されて疑念を抱いた者が、襲撃者の数がやけに少ないのを指摘した。
司令官の指導を思い出して、一旦は連隊長に伺いをたてようと通信機を手に取る。その傍らで複数箇所から配置につけだの、敵を発見しただのと聞こえてくる。
大佐に繋がった瞬間に近くで爆発が起きる、グレネードが着弾したのだ。どうするかではなく、反撃の許可を申告すると即座に了承が返ってきた。
装甲車を前面に押し出して、軍用の照明弾が打ち上げられる。遠くにハマダ達の姿があるのが明らかにされた。軍用のものは凡そ四十秒ほどあたりを照らし出す機能が与えられている。方向性を決めて詰め寄る先を確認するには、充分な時間が確保された。
ルワンダ解放軍の傍で待っていたブッフバルトが動いたのは、その頃である。遠巻きに迫撃砲や機関銃で攻撃を加える。正規軍が扱っている武装を真似て選択した武器は、一部が代用であるが誰も気にしなかった。
平時であれば耳ざとく、発砲音が異なるものが混ざっていると指摘したかもしれない。だが寝起きでそんなことが出来るものは居なかった。
警備だけでは対応不能だと、総員起こしがかけられ、わらわらと人が現れる。進出してくる歩兵が見え始めると迫撃砲や歩兵の一部――重装備の者を一足早めに下がらせる。
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