第166話

「軍人としては少佐か中佐が対象で、大佐への登竜門に位置付けされていたはずです」


 ――今更ながら飾りで参謀肩章を与えられてはいたが、中身を伴ってこいとの仰せなわけか。


 高度な話についていける自信は全く無かった。何よりその後にどうするかも決まってはいない。階段を下るとミランダが待っていて伝言があると駆けてくる。


「お婆様からの言伝てです。皆でうちにいらしてください、ささやかながらお食事の用意をしてますわ。お姉様もいらして下さいね」


「あ、あたしも?」


 はい、とにっこり笑顔を残して去っていった。


「君も仲間ってことだよ、さあ行くぞ」


 パストラ宅には政府や軍からも招待客がありごったがえしていた。主に内務の局長らや、クァトロに関わっていた面々である。


「いらっしゃいダオさん、お疲れさまでした」


「夫人、お招きいただきありがとうございます。末席を汚す無礼、ご容赦下さい」


 社交辞令は必要である、それが近しい相手ほどに。首相は少し遅れてから参加するそうだ。


「うちの旦那様はあなたが帰ってくるのが嬉しくて堪らないのですわ。もう一人孫が出来たみたいだと喜んで、何なら本当にそうなってもらっても良いのだけど」


 言ってから、「あら、お嬢さんに失礼だったわね、ごめんなさい」などとレティシアに謝っている。複雑な顔をしてから「腹が減った!」と会場に一人で行ってしまった。


「自分みたいな根無し草を気にかけていただけるだけで充分です。そうそう、お土産があります」


 鞄から半分に割れて穴だらけになった石を取り出す。


「パラグアイで初めて確認されたチタン鉱石です。ニカラグアとの交易の歴史の一つとして譲り受けてきました」


 博物館は首相の管轄なので大統領ではなくパストラにと持参してきたのだ。


「面白いお土産で嬉しいわ。あの人に渡しておきますわ。さあ皆さんお楽しみ下さいな」


 島の許しを得て部員が思い思いに散っていった。


「イーリヤ大佐殿、また勇名を馳せたようで」


 笑いながら声をかけてきたのはロドリゲス大尉であった。


「悪名千里を駆けると言うからな。まあ生きている証拠だよ」


 正規軍で治安維持に活躍しているようで、首都の部隊勤務の章を襟につけている。


「オルテガ派の抵抗はどうだ?」


「オルテガ中将が糾合して抑えていただいているので、現在のところは穏便に済んでいます」


 ダニエルが失脚して海外に亡命してからも、ウンベルトは政府との間に入り連絡役として働いている。軍人として国家のために尽くす、これを是としているようで目下のところ双方に影響力を有しているようだ。


「それは長生きしてもらわねばならんな。もし柱が欠ければまた争いが起きかねない」


「厳重に注意いたします」


 挨拶を済ませると敬礼して去っていった。パーティが盛り上がるとパストラが現れて乾杯の音頭を中程でとる。不思議なもので、何度でも乾杯は受け入れられる。島を見付けてやってくるとそこでもグラスを掲げた。


「閣下、お招きいただきノコノコとやって参りました」


「来てくれねば困る、大佐の為に開いたようなものだからな」


 ご機嫌で杯を傾けた。この機会に先に言わねばならないことを告げておく。


「閣下、ニカラグアは教育の面でパラグアイにすら大きく遅れをとっております。教育予算が半分の比率では今後の差は開く一方かと」


 パストラも気にかけていたようで同調する。


「長く圧政があり、国民は知らぬが扱いやすい歴史があった。これから徐々に改善していくよ」


 何年先になろうとも必ずと思いを馳せる。


「それですが、自分から年間三千六百万コルドバを、初等教育基金として寄付致します。首相のご裁下をいただきたく――」


 パストラは目を瞑り空を仰ぐ。脇に控えていた秘書に、教育局長を大至急呼んでくるようにと命じる。安定しての収入ではないことを注意しておく。慌てて駆けてきた五十代の男が首相に一礼する。


「局長、大佐が教育基金を設置してくれる。初等教育での識字率はどのくらいだ」


「はっ、十年前は六割、現在は八割を越えました」


 胸を張ってそう答えるが高い数字ではない。読み書きが出来ねばろくな労働が期待できない。


「残る二割、経済的な理由で就学出来ない児童を教育補助するのだ」


「ですがそうなれば、三千万コルドバはかかります。予算が……」


 幾らなんでも基金だけでは賄い切れまいと島をチラチラと見る。


「大佐が手当してくれる、彼はニカラグアの英雄だよ。これからは子供たちの英雄にもなるな」


 なんと! と驚いて再度金額を確認する。概算より余裕があると知らされると、使いきって良いかを尋ねた。


「倉で眠った金は何も産み出さない。国民の教育水準が上がるのは全てに優る、そう自分は考えています」


「尤もじゃ。未来のニカラグアは子供達が背負う、ありがたく使わせてもらう」


 パストラが両手で握手を求めて笑顔で頷く。島も彼が喜んでくれて嬉しかった。


「ところで閣議の結果じゃが。大佐にはアメリカから帰国後に特命が下ることになった」


 通常の部隊に配されるとは考えなかったが、特命と言われると身が引き締まる。


「すると?」


「包括的見地により、大佐独自の判断で国家に将来的な利益をもたらすだろう地域で任意の活動をする命令が下るよ」


 真剣な顔から一転して平たく説明する。


「つまりは好き勝手どこにでも行ってこいということじゃよ」


「そ、それは――」


 言葉にならずに口をパクパクしてしまう。パストラは軽く腕を叩いて「帰る場所はある、行けるところまで走り、疲れたら戻れ。君はもうそれだけの働きをした」と会場に歩いて行ってしまった。ロマノフスキーが頃合いを見計らってやってくる。


「次はどんな無茶振りをされました、差し支え無ければ小官にも教えていただきたいものですな」


 単身アフガニスタンに行けと言われても、そいつは参りましたな、と付いてくるだろう男である。最早一蓮托生、痩せても枯れても島の隣にはロマノフスキーしか居ない。


「好きにしろと言われたよ」


 肩を竦めて自嘲気味に要約して伝える。


「猛獣の放し飼いは感心しませんな。一つ自分がしっかりと見てなければならんでしょう、あと十人ちょっとも」


 部員全員を代表して供を申し出た。


「猛獣とは少佐のことだろうな。サルミエ軍曹だが、ニカラグア国籍に変えて少尉で抱えることにしたよ」


 そうほいほいと国籍を与えて良いものかとも思うが、そうしてくれたら有り難いので、オルテガ中将には感謝を伝えた。


「ブッフバルト、ビダ、サイード、オラベルは多大な功績を上げました」


「昇進を約束するよ。ブッフバルトだが、将校へ上げたい」


 若手の中でも堅実で有能だと見ているので、これを期に推薦したいと少佐に相談する。


「異存ありません。ビダにプレトリアスをつけて兵を任せましょう」


 どうやらビダ軍曹も部員に仲間入りしたようで中核に据えるよう進言してきた。


「プレトリアスだが、軍曹三名を間違えそうになる。悪いが彼等には新しい名前を名乗ってもらうことにしよう」


 少尉に伝えとくよ、と後に回してしまう。ふらふらとどこからかいつものようにコロラドが現れた。


「お取り込み中すいません」


「どうした、また誰かが俺を狙ってるか」


 どこのマフィアだと諦め口調で話し掛ける。


「カリ・カルテルのオチョアがやけにお怒りのようですぜ。いよいよ有名人になってきたようで」

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