第162話

 すぐに手近に控えている上等兵を指名して出発するように命じる。指揮所の防御は半減してしまうが、優先すべきは別にあると彼も理解していた。


「対戦車装備は?」

 ――何も見付からなければそれに越したことは無いが、どうせ喜んで発見を報告するんだろうな。


 ふと気になり上級曹長に尋ねる。


「携帯を許可されていない為ありません」


「そいつは解っている。だが現れたらどう対処をさせるかを訊いているんだ」


 規則に縛られがちなドイツ人の性格を知りつつも、その辺りの用意を確認する。満足いく答えが出なければ自ら考えておかねばならない。


「モトロフカクテルを用意しています」


 ロシアの著名人、モトロフの名前を冠するそれは、ビンなどに揮発性の高い油を詰めて火種を詮にして投げ付ける武器である。サイダービンにガソリンを詰めて、布で蓋をして着火してから投げるのをイメージすれば大差が無い。


 ――あれか、火炙りにされれば戦車でも戦闘不能だな。だがもう一手用意すべきだ!


 何事も選択肢が一つでは手詰まりになりかねないと、更に対処方法を提示するよう求める。


「他には」


「アタッシェボーンブ」


 アタッシェはアタッシェケース、ボーンブは爆弾のそれぞれフランス語。英語ならばアタッシュボム、つまりは鞄爆弾である。手製爆弾を意味している。事実、鞄に火薬を詰めているのだが。


「戦車に肉迫して投げ付ける?」


「ヤー。零距離爆撃で装甲が三十ミリまでなら一発です」


 投げ付ける者は鼓膜の保証はありませんが、と負傷を伴うことを付け加えた。


「それを扱う兵だが、成功したら昇進と一時金を与える。人選は上級曹長に一任する」

 ――三十ミリか! 軽戦車辺りならば被害甚大間違いないな。実行者にはボーナス支給を約束してやる必要があるか。


「承知しました。出番が来ないことを祈ります」


 使わずに済めば良い。だが必要になりそうな直感が襲ってきた。


 ――今から焦っても始まらん。後は黙って見ているしかない。


 腕を組んで岩に腰かけたまま黙って目を閉じる。銃声や喚声がひっきりなしに聞こえてくるが、近くには着弾しない。丁度起伏があったり、太い木があったりと都合が良い場所に指揮所があるためだ。マリーの選んだ場所に満足を示し時が流れるのを待つ。


 ――思えば随分と長いことこうやって争いをしてきたものだな。悔いはない、これまでもこれからもだ。俺はこの生活を嫌っていない、どこまで同じように出来るかわからないがな!


「両翼を延ばして背後に迂回させるんだ!」


 マリー中尉は分隊を丸ごと二つ切り離して敵を逃すまいと囲いこみに掛かる。そうなれば当然本隊の左右が寂しくなってしまう。


「中尉が博打好きだとは知りませんでしたよ」


 流石に思いきりが良すぎるとビダ軍曹が指摘する。一応言っておくべきだと感じただけで、その運用に否定的ではない。


「これはこれで考えた末だよ。結果がどちらに転ぶかはわからんが、勝つ時には派手に勝たなきゃな!」


 目の前の敵と激戦を繰り広げるだけならば、何倍居ようと怖くもなんともない。打ち止めになるまで倒すのみである。死ぬのは一回だけだと受け止めている為、他人からは勇猛果敢だと評されていた。


「組織的な指揮が可能ならば、あんな鞄の罠にちまちま引っ掛かりに来ることもないでしょうな」


 左右を減らしても側面から嫌な攻撃をされていないあたり、敵の指揮系統はあまり優秀ではないのかも知れない。もし本当にそうならば迂回させたのは大正解で、何かの策略ならばこれから多大な苦戦を強いられるのだろう。


 何度となく鞄にまで辿り着く敵がいた。だが取っ手を握り引っ張ろうとすると体の何処かを撃ち抜かれて転げ回る。狙撃というわけではない、目と鼻の先の距離である、全身を露出して無事でいられる方が不思議なのだ。


「いい加減奴等も気付くだろうさ。軍曹、この後は追い立てる役割があるからな」


「それはお任せを。小官を指名頂いて失敗と言われない為にも努力させて貰います」


 誰か思い付いたのだろう、フックを縄にくくりつけて取手に引っかけて、ずるずると鞄を引き寄せようとする動きが始まった。何度か投げられると、偶然なのか腕なのか見事に引っ掛かり鞄が遠ざかって行く。


「軍曹!」


「分隊前進だ、俺に続け!」


 木々に身を隠しながら徐々に切り込んで行く。タイミングを合わせて後方からマリー達が支援の制圧射撃を加える。枝にぶつかると手前に落ちるため手榴弾の遠投は控えられたが、小銃オプションのグレネードは広いスペースを狙って同時に発射された。


 相手の反撃が一瞬途切れると一気に距離を詰めて白兵戦にと移行する。最前線にいた者が格闘を行う。徴募された兵士らは人並みに戦いを挑むが、ギャングスターらも一筋縄でいかない。


 あちこちで光り物を手にして競り合いが始められる。ビダ軍曹も銃剣で自ら白兵戦を行うが、こちらは本物の軍人が長い、二度渡り合うことなく体を貫いて行く。


 後ろで見ていたマリーが残る二個分隊を前進させる。格闘をしている戦場を避けて奥へと浸透させ、迂回させた分隊は更に後方へ食い込むようにと、囲い込みの延長を命令した。


「見返りを大きくだよ」


 ビダが居ないためサイード上等兵に向けて語りかける。


「トラックも鞄も司令が確保してくれるでしょうから、こちらは大きな袋一杯の獲物をですね」


 その通りだ、と狩る側をアピールする。対等な戦闘ではなく、味方が有利との意識を刷り込むことで冷静さと戦意の向上を目論む。


「うちのボスは気前が良いぞ、上手く片付ければボーナスで金一封位土産があるかも知れんぞ」


 無ければ自分で出してやるつもりで鼓舞する。無線でそんなやりとりをしているのを耳にしていた島は、苦笑して一人頷いていた。上級曹長が出した偵察班から何かが森林に向かい走り去っていったと報告がなされた。


 スペイン語で注意が呼び掛けられたが、今一つ不明瞭なのは仕方ない。それがエンジン音を発する何かだとわかり、前線のマリーらが心構えをした直後にそれは現れた。


「そ、装甲戦闘車両一確認!」


 名前や型式が解らずそう叫んだ兵士が居たがそれで充分警告になった。鈍く光る車両は歩兵が手にしている小銃ならば弾く位の鎧をまとっている。


「前線部隊、指揮所、EE-9カスカベルⅣ一両確認。至急対装甲車装備を送られたし」


 部隊を避難させて被害を抑えようとしながら車両を睨むが、逃げる兵士を嘲笑うかのように重機関銃を乱射してくる。


「指揮所、前線部隊、Ⅳは主砲無しの対歩兵だな。直ぐに増援する、それまで防御行動をとれ」


 ロマノフスキーが認識の確認の為に、Ⅳ型の武装に軽く触れた。ブラジル陸軍の主力装甲車両のEE-9カスカベルタイプ、主砲が据え付けられたり機関銃がつけられたりと幾つかのバリエーションが確認されていた。その中でも厄介な装備と言える。


「ブラジル陸軍はこんなご大層な物をしっかりと管理出来ないものですかね。お早めに頼みますよ、孔だらけにされちまいます」


 軍用品が闇に流れてきたのははっきりしている。カラフパラースィオは余程の伝があったのだろう、火器とは段違いの入手の困難があったはずなのだ。


「上級曹長を急がせる。地面にキスして待っていろ」


 反撃しても無駄、木の影に隠れても下の太い幹の部分で無ければ無駄、逃げようと立ちあがれば撃たれるときたら、一センチでも低く伏せているしかなかった。


 ブッフバルトが大至急鞄爆弾を手にして四人で前線に向かっているらしい。マリーの頭上にあった枝がドサリと落ちてくる。機関銃の弾がかすっただけで腕ほどの枝が容易く千切れてしまった。


 ――こんなのが直撃したら痛みもあるまい!


 即死であるだけでなく、直撃部位は飛散してしまい跡形もなくなるだろう。転輪車両の為に速度が高くこれまた困りものである。軍用車両のタイヤはパンクしない作りになっている上に、四輪ではなく六輪やら八輪なので簡単に立ち往生もしない。


 装甲車が動くたびに匍匐で蠢き逃げ惑う。やがて有利と見てか遠巻きにしていた奴らが勢いを盛り返して押し寄せてきた。

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