第159話
室内は外が熱気で参っているというのに、冷ややかな風が立ち込めている。それが冷風だけの効果ではないのを身をもって感じざるを得ない男がいた。
「バレイロ、重大な報告があるらしいな」
隣で喜色を浮かべる男を憎々しげに睨むが、奴の幸せは己の不幸に直結すると、ゴンザレスは身を固くしていた。
「イーリヤ大佐についてですボス。奴はやっぱり敵です」
「そんなことはない、三回利益を上げさせて――」
「黙れ、俺はバレイロに報告をさせている」
割り込んできたのを制すると、申し訳ありません、とすぐに引き下がる。
「イーリヤ大佐がニカラグアで政府を転覆させたのは前にありましたが、ハポンでの話も同一人物でした」
麻薬組織を潰した人物だから敵であるとの主張を行う。
「そうか。イーリヤ大佐が他の組織と込み入ってそのルートだけを潰した線は無いのか」
同じ麻薬組織であっても、いや同じだからこそ同業は敵である。
「それはわかりません。ですが大佐の経歴が否定しています。ニカラグア軍に入る前は、アメリカ海軍第六艦隊参謀大佐でした」
居並ぶ男達が渋い顔をした。アメリカ軍の中枢に位置していた人物が、そうやすやすと行いを反転させるわけがないと。装いを変えての偽装潜入ではないかとの疑いを持つ。
「他に何か出たか」
判断を早まらずに可能な限り材料を集めようと催促する。求められたから仕方なく不確かな話を口にした、そのような流れを作り上げてから、決定的な事実を明かす。
「レヴァンティンと良い仲だそうで――」
「バレイロ、イーリヤ大佐は敵だ、殺害の準備を行え」
「シン。お任せください」
してやったりの表情を浮かべて暗殺を請け負う。うって変わって昇格まであと一歩であったはずが、奈落の底に落とされたゴンザレスが意気消沈してしまった。納得行かないがどうにもならない。
「私はどういたしましょう」
そのまま呆けているわけにいかないために、気を取り直して役割をもぎ取ろうとする。
「今までと変わらずに取引を準備するんだ、変化を気取られるな」
功績を得られないだろう配役にがっかりするが、承諾する以外の選択は出来ない。いつものように控えていた者が一つ大切な確認を行う。
「大佐との戦い、一筋縄ではいかないでしょう。ボスが指揮を執られますか?」
もし執ると言えばバレイロの功績は小さいものになるだろうとゴンザレスが付け加える。
「大佐は私兵を百以上揃えました」
それまでは十人程度の少数だったのが取引で肥えた為増えたと説明する。
「バレイロ、組織に総動員をかけろ。俺が直接指揮する、お前が攻撃部隊を率いるんだ」
舌打ちしたいのをぐっと堪えて了解する。まだイーリヤ大佐を仕留めるチャンスを果たせば目があると。
「久し振りに狩りをするぞ」
獰猛で残忍そうなひねた笑いをして舌なめずりする。
「実戦経験がある軍人です、どうぞ慎重にお願いします」
役割の常を果たした補佐は、どのようにボスの安全をはかるべきかに思いを馳せることにした。
◇
ニカラグア軍の正規軍服に身を包んだ若い男が、エンカルナシオンの地下司令部で敬礼する。
「申告します。ビダ軍曹、ただ今着任しました!」
「着任を承認する。軍曹よく来てくれた、対戦車や軍司令部での活躍は覚えているぞ。今回はマリー中尉の指名だ」
そう言って脇に控えていた中尉に視線を流す。
「久し振りだ軍曹。攻めが足らないと感じた時にお前の顔が浮かんだよ」
「何としてもご期待に沿えるよう努力致します!」
誰かではなく、まさに自分を必要だと名指ししてくれたことに感じ入る。それがかつての上官らであったのが無性に嬉しい。
「直属の上官は中尉だ、部隊はブッフバルト上級曹長が仕切っている」
「ドイツ人の下士官だった方ですね」
記憶に残っていたようでそう表す。島は軽く頷き退室を促した。来たときと反対の手順で以て部屋を出ていった。
「気合充分だな」
「それが奴の売りです」
「ま、一つよろしく頼むよ。俺はこれからまたビジネスマンの真似事だ」
やれやれと制服を直すと、帽子を被りアタッシェケースを手にして溜め息をついた。アスンシオンの経済団体とエンカルナシオンのそれ、外国人居留区からも代表が出され、政府からも社会省の役人が出席して会合が開かれることとなった。
オズワルト少佐を引き連れて、島もこれに参加することになる。むしろゴイフ補佐官に要請したのが島なので、立場としては逆にあたるが、やはり世間の風当たりを考慮して招かれたとの体をとった。
補佐官の意を受けた役人が前口上を短く済ませていきなり本題に入った。これが日本ならば持ち回りの挨拶だけで一時間は浪費しただろう。
「官邸ではエンカルナシオンに新設された鉱石の精製工場を、国策の一つと位置付けて工業生産を成長させる戦略を採用しました」
既にそこで鉄が生産されているのを知っている列席者は、将来における扱いについてを確認することとなった。
「そちらのオズワルト副社長が工場の代表です」
初出の為に紹介を受けたので軽く頭を下げる。立場が企業なのでスーツ姿での出席となっている。島にしても誰も知っている顔がない。グロックが取り付けた窓口担当は知っていたが、会長やら総裁やらとまでは顔合わせをしていなかった。
「鉱石を諸外国へ輸出するためにご協力頂いている、ニカラグア軍イーリヤ大佐全権委員です」
あれがそうかとの視線が集中する。モンゴロイドの顔付きのせいで懐疑的だったようだが、紹介を聞いて事実を受け入れた。
「オズワルト副社長、お願いします」
主導権を譲って計画についての説明をするように求める。
「我が企業は本社工場周辺に、軽金属加工工場を増設します。そこで製造した商品を国内で流通させていただきたく、皆様にお願いにあがりました」
簡単な概要を受けて、エンカルナシオン代表が質問する。
「規模的には?」
「各種の加工に雇用四百名を想定しております。流通販売、施工や環境整備など複合的な見積もりでは二千人の雇用が創出される見込みです」
人口が少ないパラグアイでの二千人は、日本での三万人位の感覚に相当する。
「そ、それは素晴らしい。ですが暫くは経費ばかりで赤字が続くでしょう。御社の資金は?」
今までもそのせいで計画が頓挫していたので、まず最初にそれを確定させておく。皆も聞きたかったらしく無言で注目した。
「中東より年単位での長期的視野で投資を受けており、本社経営は三年は安定操業が可能です。付帯の新設部分は、匿名の投資家が一手に資金を提供してくれた為に心配御座いません」
堂々と答える姿に一先ず納得の態度を示す。
「政府としましても、人件費の面で一部免税措置を行うことで、雇用と税収の均衡をとる見通しです」
そこまで後押しが決まっていると面々に公表する。
「数年は高値で外国政府、とりわけ日本政府が鉄を輸入してくれるため、品位の割に採算も取れます」
やはり困ったときには日本だとばかりに頷きあう。過去に南米を中心に世界中が冷たい態度を取っていたときも、日本だけは変わらずに付き合ってくれた話は今も忘れられていない。
「そう言う話ならばエンカルナシオンは全面的に協力しましょう」
呼ばれた意図が今一つかめずに居た外国人市民団代表のスペイン人が口を開く。
「して私は何を求められているのでしょうか」
誰に向かうわけでなくそう声をあげる。黙っていた島がようやく発言した。
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