第158話

 本当に済まなさそうに頭を下げる。別にゴイフが悪いわけではなかろうに。


「それは内務省が立派に職務を果たしたと誉めるべきでしょう。計画は次の段階に移ります」


「そう言ってくれるか。本来ならば大使館で遊んで過ごせば良いだけなのに、本当に助かる」


 ――余程あちこちでやり込められてるな。同情するわけではないが、この人が居なければ俺が孤立する、発言力を持たさねばなるまい!


 政府での発言力、それはつまり政策の成功に等しい。パラグアイでは失業率と経済力の低下、汚職の増加に教育の不足、幾らでも改善の余地があった。


「補佐官、チャコからの鉱石輸送を準備しております。これに伴い水上警備の人手を河沿から募集します。これを失業対策の一つとして発表してください」


 わざわざ赤字になる石を運んでどうなるかの疑問は残るが、公共事業なんてものは大半がそんなものである。


「それはありがたい! 輸出は高値で外国政府が買い上げるから、問題ないとしておこう」


 議会の追及をかわす狙いを明らかにしておく。チタンについてはもう少し秘密にしておく必要がある。


「エンカルナシオンですが、ここに工業集合体をと考えております」


「うむ、クラスター効果を狙うと。だが三つほど問題があるな」


 今まで何度も議論されてきたのだろう、跳ね返るように返事をしてきた。


「一つは自分が解決します。資金はチタンからの利益で賄えます、個人的な株主として」


 そっくりそのままニカラグアに持ち帰ると思っていた金を、なんとパラグアイに投資してくれると言われて驚く。


「大佐、保証は出来ないが……」


「そんなものは求めていませんよ。成功なんてのは本人の努力次第です」


「法的な面で全力で支持をさせてもらう。流通網の問題だが、どう考えて?」


 資金問題、流通経路、それも道路そのものから考えなければならない。農産や畜産は盛んであるが、近隣消費が目的のためあまり道路整備がされていない事実が横たわっていた。


「軽加工工場を設置します。それならば製造も簡単で国内消費も可能です。ノウハウはカナダからとなりますか」


 チタン板はそのまま輸出するとして、加工分を国内消費で利用、付加価値をつけて技術力をつけると方策を示す。


「民間レベルを越えてきそうだ」


 笑いながら可能だなと目算を述べる。


「まあ自分は素人ですから。多々問題も出るかも知れませんが、失敗しても自分が無一文になるだけです」


「そうはさせんよ。我々こそ成功させねば後がない」


 パラグアイでクラスター効果、つまりは相乗効果を見込んだ経済が発展しなかった三つ目に人材があった。近隣諸国よりも技術が低いくせに給与などの待遇面は割高につくのである。こうなれば企業はわざわざパラグアイでの営業を選択しない。


「国策として雇用自体が目的の一つと割りきって貰えるならば、三つ目も解消します。ただし、企業側からは数年の免税特権を人件費部分で求める位は覚悟してください」


「そうなると軍への支給が足りなくなったりするのでは?」


 いたちごっこのような問題が出たり消えたりして頭を悩ませる。


「当然限界はあります。ですがお考え下さい、無手から始まったのが工場、鉱床、技術、雇用と残ります。猶予期間に政府や軍の綱紀を改める位のことは民衆も望むでしょう」


「つまり本来の仕事に専念する機会を与えてくれると。だが我らには大佐に何も与えられない」


「ニカラグアが、我国が危急の際にはご助力を。それをお約束いただければ、自分個人などお構い無く」


 一度は死んだ身であると拘りを見せない。世界の片隅をほんの少しだけ動かした、それで充分なのだ。


「大佐の胸に賑やかな勲章が並んでいるが、理由がわかったような気がするよ」


「感謝を忘れないために縫い付けております。支えられて、恩恵を受けているのは紛れもなく自分です」


 話の規模が大きくなり過ぎて、最早島のような庶民上がりでは桁が把握できない。実務は専門家に任せて、経済界の協力を仰ぎに行かねばなるまいと大統領府を後にした。


 ――借りた金だけは先に返さねばならんな、そこには迷惑をかけられん。


 酒場に来てまた一杯引っかけていると、程無くして妙に体格が良い女が入ってきた。そのまま同じテーブル、しかも隣に腰を下ろすと連れを遠ざけた。


「ようレティア、今日も男らしいな」


 女性に向かってなんたる言い種とも思うが、変な気を使わなくてよいのが魅力である。そう信じて島は砕けた態度をとった。


「はっ、あたしのことをそう呼べたのはオヤジとあんただけだよ」


 愛称で呼ぶのがそこまで珍しいかはさておき、オヤジが何者かを聞いてみる。大方の予測はついているが、それでも話題にするのはレティシアがそう口にしたからだ。


「どんな立派なオヤジさんなんだ、娘に非行をさせるとは」


 家出娘かのような表現に失笑を買った。


「コロンビアのオチョアさ。こいつを聞いただけで大抵の男は南米から逃げ出したよ」


 差し出されたジョッキをぐいぐいと一気に飲み干してテーブルに叩き付ける。


「カリ・カルテル?」


「そうさ」


「じゃあ俺の敵だな。テロリストが優先だが、麻薬組織もそのうち根絶やしにしてやるよ」


 誇大妄想患者を見るかのような顔付きで島を覗き込む。


「逃げなかった男が何人かいたけど、そいつらは豚小屋の脇で死体になってたよ」


「言ったろうレティア、俺は戦場以外で死ぬつもりはない」


 ちらっとだけ彼女に視線をやってビールをあおる。命を失う恐怖は全ての人間にあると言っても過言ではない。だが命を捨てる勇気を持つ者も、一握りではあるが確実に存在している。


「地方に飛ばされた一介の大佐風情が良くも言ったもんだね。どこからそんな自信が湧いてくるんだい」


 興味を持った。人としてそのもの自体に。


「俺には幸運の女神がついていてね、少し嫉妬深いらしく妻には厳しいようだが」


 愛想良く答えながらも、互いに近づかない方が身のためと牽制しあう。ならばさっさと違う席に行けばと言おうものなら、きっと複雑な喧嘩になってしまうだろう。


「はっ――聞いたよ、ペドロのとことつるんでるだってね」


 聞こえてはいるが余計なことは一切喋らない、沈黙が肯定だと素直に受けとる。秘密を流出させたのか、探り出されたのかはわからないが、他人に知られた時点が一つの目安になる。


「あんたは肝が据わっているみたいだからね、ペドロと手を切ってあたしと組まないかい――」

「ああ構わんよ」


 間髪入れずに承知で答える。だが即答すぎて逆に怪訝な表情をされてしまう。


「随分と軽く受けるじゃないか。舐めてんじゃないだろうね」


「誰だって汗臭いおっさんより、美人と手をとりたいだろうさ」


 レティシアの方に向き直りじっと目を見詰める。


「それに、信用出来るやつかどうか位はわかっているつもりだ」


 急に恥ずかしくなったのか、彼女は顔をそむけてわかったとだけ言った。テーブルにグアラニを多めに置いて立ち上がる。


「行くぞ」


「え?」


 つい抜けた声を出してしまい、視界に入っていた部下を睨む。


「手を組むんだろ、打合せだ」


「そ、そうだな。どこでやる」


「決まってるだろ。ホテルのベッドだよ」


 顔がかーっと熱くなるのがわかり、また部下を睨んで誤魔化そうとするが、二回目は流石に逃げられてしまった。連れ立って消えていく二人を見て「まあ喜んで良いんだろうな」と少尉に呟く部下達であった。


 高級住宅街。そこに住んでいる者は素性を問わずに、警察の護衛対象になる。誰がではなく、そこに人が住むのが大切な目標なのだ。税収が見込める富豪に官憲が柔らかな態度をとるのは世界共通である。取れる者から取るのが一番楽なのだから。

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