第123話
「行き先はイエメンです。短い間でしたが、とても幸せな夢を見ることができました。ありがとうございました」
深々と礼をして、自分の埋葬に必要ならば使って欲しいと手元にあったドンとドルを全て渡してしまう。
「最早生きている楽しみは君がテロリスト共を倒したと生きて戻ってくることだけだよ。死に急ぐことはない、無理だと思ったら一旦引き返すのも勇気だ」
固く握手を交わして、荷物片手に家を出る。空港で渡航理由を尋ねられると、「お礼参りだよ」軽く答えてゲートを通過した。
◇
フランスはパリ、ベッドで横になり、隣に寝ている娘の髪を撫でてやる。珍しく――正確には初めて――携帯電話が着信を告げた。かけ間違いだろうと思いながらも、うるさくなり続ける為に仕方なく出る。
「ボンジュール。この携帯は現在使われておりません」
「アロー、ロマノフスキーか?」
誰かと思えば意外や意外、ジョンソン准将の声が聞こえてきた。スペイン語に切り替えて、娘に聞かれてもわからないようにする。
「まだ休暇の終わりには早かったと思いますがね。小官の声を聞きたくなりでもしましたか閣下」
相変わらずの軽口を叩く。相手が違えば叱責されかねない。
「よく聞け、さきほどイーリヤ大佐から除隊するとだけ連絡があった。そちらは何か事情を聞いているかね?」
「ボスが除隊を?」
初耳であった。今の今まで何かあれば必ずロマノフスキーに断りをいれてきていた、その島が何も告げずに除隊とは穏やかではない。
「詳しく状況をお願いいたします」
妙に真剣味がある声に娘が目覚める。だが片手で制して、電話の内容を聞き漏らすまいとする。
「俺の直通回線に掛かってきた。空港のアナウンスらしき雑音が背景にあり、挨拶もそこそこに除隊すると。誰かに脅された風でもないが、何か硬い感じの声ではあった」
「その除隊は有効なんでしょうか?」
「本人の意思を確認した、有効だ。だが何かの間違いならば俺のところで差し止められるが――」
わけもわからず部下を失うのを認めるわけがない。ロマノフスキーが数秒黙りこんで考える。
「閣下、わざわざの連絡痛み入ります。これから自分がボスに会って直接話を聞いてきますよ。そこで自分からもですが、除隊をお願いします」
――ボスがとる行動には必ず意味がある。除隊しなければならなかった理由が。アメリカ軍に属していては不都合が生じる為だ!
「なっ、正気かね少佐。事態を把握してからでも――」
「いえ閣下、ボスが除隊したならばそうします。待った無しでの問題があるのでしょう」
どうせ根なし草ですからと、カフェにでも行くかのように申告する。
「お前たちときたら、とんだ親不孝者だな。世界中どこでも、二十四時間いつでも困ったら連絡するんだ」
「スィン。どら息子で申し訳なく思います」
「衛星携帯の電源も切られている、何か居場所の心当たりはあるのか?」
「わかりません。ですが必ず探します」
そう締め括ると電話を切る。ふぅ、と息を吐いて目を閉じる。
「アレクどうしたの?」
「ああ、ちょっと用事が出来てね。すまないが出掛けなきゃならん」
線が細い可愛らしい顔を曇らせロマノフスキーに抱き付く。
「ダーメ、今日は一緒に映画を観に行く約束よ」
そう言えばそんな約束をしていたような記憶があった。だだをこねる彼女の頬に手を当てて口づけする。じっと瞳を覗き込んで優しく諭すように語る。
「いま何処かで俺の大事な友人が困っているかも知れないんだ。すまないが行かなきゃならない、いいね」
「……わかったわ。でもその人、女じゃないでしょうね」
「ああ、俺の兄弟だ。肌の色も産まれも何もかも違うが、世界で一番大切な兄弟なんだ」
ロマノフスキーの肩にワイシャツをかけて呟く。
「勝手な人ね。でもあたしは笑顔であなたを送り出すわ。そうしたいから」
部屋を出てまずやったことは先任上級曹長への連絡だった。彼はヌルを訓練するためにフランスに滞在している。番号をプッシュするとすぐに繋がった。
「俺だ、先任上級曹長、七十二時間以内に全部員に待機命令を発する手配を」
「ダコール」
「レバノンへは直接飛ぶから他を頼むぞ。マリー中尉に統括を任せたら、先任上級曹長はボスの実家へ飛べ、足跡を探り当てるぞ」
一切の質問を挟まずに了解を告げる。島からではなくロマノフスキーからの命令であることで異常な事態であることを悟る。そしてレバノンにも解決の鍵があるとヒントを得た。電話を切るとすぐにシャルル・ド=ゴール空港へと向かう。ベイルート行きのチケットを取ると乗り込んだ。
「ボスはベトナムに居たのは間違いない。そこからどこに向かったかを調べねば! ベトナム語がわからんから、どこかで通訳を頼まねばならん、電話通訳ならば専門の会社があったはずだな」
空路移動の間にどのように調査するかを組み立てる。いつもは島が行ってきていた作業を、見よう見真似で行う。
「畜生が、一体何がおきやがったんだ!」
空港からプレトリアス少尉へと連絡するが不在と告げられる。帰ったら待機をするようにとプレトリアス軍曹に命じる。少し悩んでからLAFへと足を運ぶ。ハラウィ大尉に事情を話すかどうか悩んだが、一応知らせるべきだと判断した。入口の衛兵に止められたので連絡を入れるように要請する。
「ロマノフスキー退役少佐だ。ハラウィ大尉に大至急連絡をとって欲しい、ボスに異変ありだと伝えてくれ」
あまりの剣幕にわけもわからず上官へ伝える。たまたま名前を知っていた軍曹が居て、すぐに大尉へと連絡が繋がった。正面入口にやってきたハラウィ大尉が招き入れる。
「お久しぶりです、ロマノフスキー少佐殿」
「悩んだんだがきてしまった。ボスが行方不明になった、何か聞いてないか?」
言葉の意味がわからずに一瞬首をかしげてしまう。
「義兄さんが? 何があったんです?」
やはり聞かされていないかと小さくため息をつく。
「除隊すると言い残して連絡がつかなくなった。何か大変なことになっているに違いない」
無意味にそんな行動には出ないのを知っているために頷く。
「自分も協力します。何か出来ることがあったら言ってください」
少し考えてから一つの役割を思い付く。
「ベトナム語の通訳は居ないだろうか、電話通訳で構わないが秘密を守れるやつだ」
「軍に居ます、こちらで待機をさせておくのでいつでもご連絡下さい」
軍人ならば心配ないと手配を一任してその場を立ち去る。レバノン軍に迷惑がかかる可能性がまだあったからに他ならない。プレトリアスが住む集落へと向かう。怪訝な視線を浴びせられるが無視して奥へと踏み込んだ。誰かが告げたのだろう、プレトリアス軍曹が駆けてきた。
「族兄が戻りました」
うむ、と返事をして広さだけはある家へと入る。玄関で少尉が待っており、ロマノフスキーを見つけて敬礼する。
「少尉、ボスに危険が迫っている。居場所は不明だ、どのように見つけたらよいかを答えろ」
不躾にそう命じる。すると弾かれるように答えた。
「ホー・チ・ミン市の北区行政所付近で聞き込みを」
「ボスの妻はグエン・ホアン・ニムだ。これからすぐにベトナムに飛ぶぞ」
「ダコール!」
◇
向かうにしても直接の航路があるわけでも、準備も無しに突っ込むわけでもない。一旦アレクサンドリア空港へ入り、そこからエッド空港に向かった。陸路アッサブへと辿り着く頃には簡単な計画が幾つか頭に浮かんでいた。ホテルを確保して酒場へ行くと、そこに溜まっている面々を然り気無く確認する。
――失業者の山と言ったところか。核となる手駒を選別せにゃならんな。
部員らに迷惑が掛からないように、一切の連絡をせずに一人で復讐をするつもりだった。ムジャヒディーアは百人規模の武装テロリストで、あのアルカイダ系の一つである。
イスラム聖戦士が作った七つの武装組織、フィリピンのアブ・サヤフのトップとムジャヒディーアのトップ、アイマン・ファラジュは同時期にパキスタンで活動していた、いわゆる戦友であり同志であった。
フィリピンでの活動が活発化していた時には、人員を派遣したりとムスリムの原理主義集団を後押ししている。イエメンはアルカイダ系組織には特別な地域であり、あのビン=ラディンの出身地として知られていた。
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