第122話

 半官半民だよ、と説明する。町内会や消防団の、規模を大きくしたものと考えたらちょうど良いだろうか。


「はい、入会します。叔父さんも入っているんですか?」


「ん、ああそうだよ」


「是非ともご指導お願いいたします」


 いらないところで頭を下げる、だからこそ効果があるというもの。


「おう、任せておけ」


 はっはっはっ、とご機嫌で笑い何を愚痴っていたかを忘れてしまったようで何よりである。義父の顔がすまんなと言っているのがわかった。翌日昼過ぎになり、ようやくのそのそと起き上がり叔父夫婦は帰って行った。


「元気な方々でしたね」


「酒が入らなければいいやつさ、妹もな」


 酒癖が悪いのは世界中どこにいっても居るものである。外人部隊に居たときこそがマックスだったかも知れない。アオヤイを注文して半月後、ようやく仕上がったと連絡がきた。サイズが大きすぎてあちこちから品をひっぱるのに時間がかかったらしい。


 さっそく店で着用してみる。体のラインがぴっちりと出で動きやすい。それだけでなく曲げ伸ばしする箇所は余裕が持たされていて、かなり激しい動きも可能になっている。元はチャイナドレスが変化しただけに、刺繍の類いからは地域のテイストが伝わってくる。


「素晴らしい仕上がりだ!」


「わぁ、龍之介さん似合ってるわ!」


 三角笠を渡されて頭に載せると、遠目にはベトナム人にしか見えまい。


「なかなか使える素材が手に入らず遅くなり申し訳ありません」


 仕立て屋が謝罪する。


「いや結果的にこれならば何の文句もない」


「そう仰っていただけて言葉も御座いません」


 恐る恐るお代を、と請求を差し出す。七百万ドン。


 ――オーダーメイドのスーツを仕立てたらこれでは済むまい!


 快く現金で支払いをして受取にサインをした。店主が笠は差上げますと微笑んで見送ってくれた。ベトナム郷土会に入会して最初の顔合わせが行われた。島はアオヤイを着て参加すると、親父共が集まってきて感嘆の声をあげる。


 巨大な体躯に立派な衣裳ときたら一目置いてしまう。それだけでなく、義父が災害対作品の寄付はこの婿殿だよと明かすと、一気に好感度がはねあがった。


「ダオと申します。若輩者ですが、皆様よろしくお願いいたします」


 ベトナム語を喋ることに再度驚きの声が上がる。グエン・ホアンに対して良い婿を見付けたものだと言葉が投げられる。初日の歓迎会ということで昼まっから酒が並べられた。一昔前に比べたらベトナムは平和になったのだ。


 政治的な面からは不穏な空気も漂ってはいるが、庶民の暮らしは格段に良くなっている。戦争などというのは一部には活力を与える側面があるが、やはり無ければ無いにこしたことはないものなのだ。


「そう言えば龍之介君、妻と娘たちだが、来週の末から数日間、フィリピンにいる祖母に会いに行かせたいのだが構わんかね?」


 妻の親がフィリピンなんだよと説明する。


「はい構いません。自分も一緒に行きましょうか?」


「うーん、それなんだが……祖母はどうにも自分の血を引いてない者には会いたくないらしくてな。俺もかれこれ二十年以上も会ってない。こっちに残ってくれんかね」


「ではそうさせていただきましょう。義父上にはホー・チ・ミンの楽しみかたをご教授願いましょう」

 ――過去に何かあったんだな。それで俺を味方につけようとしてるわけか。ニムに話を聞いてから次回行くかどうかを決めれば良いか。


 少し雰囲気が明るくなった。何かの切っ掛けになればと島も相手に合わせる。新婚生活は始まったばかりなのだから。休暇もまだ一ヶ月ある、流れに身を任せてゆったりと構えることにした。


 ――そうだ実家に写真を送ろう、初孫だからきっと気になっているだろう。


 電子メールではなく写真を。父親がその手の物があまり好きではないのを思い出して、手書きの手紙を添えて出すことを選ぶ。チュニョを真ん中にして、三人が写るものを数枚入れて国際郵便で送る。不思議なもので、日本円にしておよそ八十円で受付してくれた。


 女たちがフィリピンに向かって船で出掛けてから二日、自宅で義父とどこに出掛けるかを相談しているところ、電話が着信音を発した。義父が受話器をとり受け答えするが首をかしげている。


「わからん言葉だ、龍之介君代わってくれるか」


「はい」


 受話器を受け取り聞いてみると、遥か昔に聞いたことがあるような。


「ハロー、イングリッシュプリーズ」

 ――タガログ語か? さてはフィリピンからだな。


 二人に一人は英語が通じるだろうと呼び掛けてみる。


「ああ良かった、ベトナム語は知らなくてね。グエン・ホアンさんのお宅でしょうか?」


「ええそうです。あなたは?」


 後ろがやけにざわついているような気がする。駅や繁華街の喧騒ではない感じであるが。


「フィリピン警察です。落ち着いてお聞きください、グエン・ホアン・ニムさん、グエン・ホアン・ルシェさん、それとお子さんですが、列車を狙ったテロで死亡が確認されました。お気の毒です。詳しくはマニラ中央警察にご確認下さい」


「――え?」


 次に知らせなければならないからと通話を終えますと言われて切れてしまった。


「誰だったんだい?」


「フィリピン警察から、三人が死亡したと。列車がテロにあって」


「な、なんだって!?」


 俄には信じられない。事実を確認するためにマニラへと電話してみますとボタンを押す。マニラ中央警察署を呼び出す、列車テロについて問い合わせをした。


「ベトナムのグエン・ホアン・ニムの夫です。そちらでテロがあり妻が死亡したと連絡がありましたが、事実でしょうか?」


「――えー、リストに名前が御座います。お気の毒です。ご遺体はこちらで保管してありますのでお引き取りの際にはご一報下さい」


 ガチャンと力なく電話を切る。


「義父さん、遺体がマニラ中央警察署にあるって。すぐに飛びましょう、人違いかも知れません!」


「うむ、自宅には妹にいてもらおう。すぐに出発の準備を」


 着替えなどの品を簡単にバックに詰め込みすぐにタクシーに飛び乗る。空港へ、と切迫した声で告げると運転手が雰囲気を悟り無言で頷く。キャンセル待ちをしている暇がないと、空港の座席手配の係にドルを握らせて無理矢理チケットを発行してもらう。


 定員が少しオーバーしたが、添乗員が着席せずに座席を譲って小遣いを稼ぐことに承知したので難なくフィリピンへ辿り着く。税関でテロ被害者家族だと言うと順番を飛ばして入国を許された。


 タクシーを捕まえ、マニラ中央警察署へ急ぐようにと叫ぶ。間髪いれず動いて警察署に駆け付けて、名前を告げると遺体安置所へと案内された。


 二人が並んで寝かされており、隣には小さな台が横付けされていた。勇気を振り絞り白い布に手を伸ばす。ゆっくりと捲ってみると、そこには焼け焦げた跡こそついていたが、間違いなくニムが横たわっていた。


「ニム、冗談だろ、目をさまして引っ掛かったと笑ってくれ――」


 係員が外でお待ちしていますと残して出て行く。涙が溢れてきた、ついこの前まで一緒にはしゃいでいたのに冷たくなってしまっている。手を握って顔を拭ってやる。首の骨が変に出っぱって皮膚を突き破っていた。


 ――即死だったんだろうな……。


 悲しさと悔しさが込み上げてくる。あの時に一緒に行ってやれば、もしかしたら助けられたかも知れないと。


「龍之介君、俺は君だけでも生き残ってくれて良かったと思っている」


 自身も目を腫らしているのに島を気遣い声をかける。


「……誰が、誰がこんなことを!」


 悲しみが最高潮に達すると、テロの犯人へ憎しみが産まれてきた。


 ――殺してやる! 全員殺してやる!


 部屋を出て係員に詰め寄る。


「テロの犯人はどいつなんだ!」


「イスラム系テロ組織、ムジャヒディーアが犯行声明を出しています。先だっての分派組織を壊滅に追い込んだフィリピン政府とアメリカ政府に対する報復だと」


 島は部屋に戻るとニムとチュニョを抱き抱えて無言で立ちあがる。義父も妻を抱えて一緒に遺体安置所を出る。棺を用意してあることを告げられそれを使わせて貰うことにした。帰路は終止無言での渡航となった、義父はそんな島を心配そうに見詰めている。


「龍之介君、仕方ないんだ、これもまた運命だろう……」


「義父さん、俺は割りきれません、何故ニムが死ななきゃならなかったんですか! 何故ニムが!」


 首を左右に振るだけで、それ以上は何も言葉は無かった。ムジャヒディーアについて調べた。マニラ発のニュースで、犯行声明文を読み上げる覆面を何度も憎々しげに睨み付けては殺してると繰り返す。三人の埋葬を終えると意を決して義父に告げる。


「やはり自分には耐えられません。テロリストに復讐してきます」


 いずれそう言うだろうと心構えをしていたのだろう、島を止めることはしなかった。


「俺にはとても無理だ、だが君になら出来るかもしれない。もし志半ばで倒れたならば、必ず君も皆と同じ場所に眠れるようにする」


 まさに骨は拾うと後押しした。

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