第117話
――俺も昔はああだったな。
酒は浴びるように飲むものだ。二十歳になってからというもの、無茶な生活を随分としたのが思い出されてしまった。
「マスター、俺からビール一杯ずつ店にオゴリだ、いけるか?」
「イエッサー!」
何者かはわからないがオゴリと言われてマスターが拒否でもしようものなら、水兵が暴れかねない。ウェイトレスに指示を出して一斉にテーブルへと提供させる。
当然誰からなんだと質問があり、アジア人の男性からだと指差されて注目を集める。島もジョッキを手にして立ち上がり声をあげる。
「今この瞬間、この場所だけでも世界の平和と協調を祝って、乾杯!」
「乾杯!!」
取り敢えずはわけがわからずとも乾杯だけは行い口をつける。古株の男がやってきて礼を述べた。
「ごちそうになりますミスター」
「ビール一杯で悪いね。他人の善意を知って、俺も少しだけでも善行を施してみたくなっただけだよ」
理由なんてどうでも良かったのはお互い様だった。話を始める切っ掛けを持ちたかっただけなのだから。
「是非とも天国に行って私を引き上げてください、兵隊なんて地獄決定ですからね。ブランフォード曹長です」
「イーリヤ、いやアイランドと名乗っておこうか。折角女王陛下のお膝元に来たのに英語を使わないのは勿体無い」
ブランフォードが隣に失礼と椅子を引き寄せる。
「アイランドさんはロンドン在住でしょうか、それとも旅行者?」
「今のところは旅行者だよ。落ち着いた都だから条件さえ合えば暮らしてみたいものだね」
パリに比べると古めかしい感じを受けるが、それは成熟とも受け止められる。どちらに住んでも長所に困ることはない。
「そう評価していただいて光栄です。どうぞごゆっくり」
「一つ聞きたいんだが、ロンドン新聞社ってのはどんな会社かな?」
ふむ、と少し考えてから個人的な評価を下す。
「真面目だけが取り柄で、これといったスクープだったりは滅多にありませんな」
「ありがとう、参考にするよ」
それでは、とテーブルに戻っていった。
――ロンドン新聞社はどこかの政党に染まっているわけでは無さそうだ。無味乾燥な書き味は信用して良いだろう。
市民の生の感覚からそう判断されたならば、大きくそれたりはしない。相変わらずプレトリアスは無関心そうな顔をして、周りに気を配っているだけであった。
各種の調べを終え、サイードにも目処がついたとしてチュニスに引き上げるよう命令を下した。ミューズに伍長二人を残して、コロラドら三人が外にある。大尉に四人預け、自身に上級曹長とサイードを加えて拠点に入った。無官の身ではあるがサイードが島に敬礼して報告を行った。
「ご苦労だサイード。君は今後も軍で働く気はあるだろうか?」
――どうやらエジプト軍でしっかりと鍛えられてきたようだな。
「あります」
歯切れよく答えて余計なことは口にしない。
「俺が推薦できるのはアメリカ軍、レバノン軍、ニカラグア軍、フランス軍だ、選べ」
「中佐殿の麾下を選択します」
「俺はアメリカ軍人ではあるが、いつ失職するともわからん。部員ではなくアメリカ陸軍を推すがサイードの意思を尊重する」
自分についてきてもろくなことはないとはっきり述べる。一方でアメリカ陸軍で五年働けば市民権の申請が可能になる。無事に長年働きたいならば、全くの別部署を選ぶべきであるのだ。
「自分は中佐殿の部員を選択します、サー」
「よかろう。前軍待遇を申告せよ」
踵を揃えて胸を張って姿勢を正した。
「エジプト軍国境警備第二師団歩兵科中隊所属、サイード退役上等兵です」
「サイード上等兵の現役復帰を認める。貴官をアメリカ海軍第六艦隊麾下、第62打撃空母群参謀部護衛班に配属する。直属の上官は護衛班長のロマノフスキー大尉だ。命令あるまではプレトリアス上級曹長に従え」
「サーイエッサー!」
佐級将校には兵卒だけでなく、下士官の任用権限が付与されている。その為、現場採用の形で報告書を提出するだけで簡易契約が発効する。後に正規契約に署名は必要ではあるが、この時点でサイードは紛れもなくアメリカ軍に所属したことになる。
「悪いが軍服は手元に無くてね。ナポリに行ったときに支給させるよ」
堅い表情を緩めて日常に戻す。
「なあプレトリアス、彼をどうやって探したものかな」
――さて、例の人物をどうやって探したものかな。国民全員の姓名をあたるにしても、政府機関の手をどうやって借りるかだ。国外に行った記録とてもう古すぎて残っちゃいまい。
「イギリスに渡り手術して帰国したなら、こちらの新聞にも取り上げられているのでは?」
「探してみるか」
――それしか無いか。役所の協力があればもっと簡単に判明するんだがな。
全く話がわからないサイードは聞くだけ聞いて黙っている。だが二人で考えるより三人の方が知恵が浮かぶだろうと問い掛ける。
「サイード、君が姓名と大体の年齢しかわからない人物を探すならどうする?」
「有名人?」
「いや一般人の男性、二十歳前後でチュニジア人だよ」
与えられた条件で考えうる答えを導き出す。
「予算が許すならば、人探しを専門とする会社に依頼しては?」
「それでいこう。上級曹長、そちらは任せるよ」
――おっとそれもそうだな。別に疚しいことをするわけでもなかったか。どうも隠密に行動しようとする癖が身に染みてるようだ。
「ヤ」
二人がパソコンを操作している間に、ガンヌーシーとどうやって折衝しようかを考える。材料は揃っているだけに、いかに失敗をしないようにするかを中心にして注意点を巡らせる。
――まずは俺の身分からだが、隠したって明かさねばならなくなる、最初から名乗るべきだろうな。その時まで無用な摩擦が無いように、服装は私服に限る。アメリカの目的を示して同意を得られれば問題ないな。拒否された時の理由を潰していくのが役目だろう。あちらの言い分がどうなるか、そこ次第と言えるな。
「中佐、手配を終えました」
「うむ、あとは報告を待つことにしよう」
様々な行為のうちで、待機が一番精神的にこたえる。急げと怒鳴られるよりもだ。数日後に連絡が入る、人物が見つかったと。場所は驚きのカルタゴ大学である。マフムートは帰国後に余程努力したのだろう、数が少ない国家の支援生として大学に入学していた。それも社会経済学部に。
任務のためトゥラー教授が不在なので、教え子の院生――講師――に学内を案内してもらった。聴講の長机に陣取る青年を示して特定してくれる。謝辞を述べて島が一人で近づいて行く。
「失礼、ミスターマフムートでしょうか?」
「はい、あなたは?」
警戒するわけでも嫌そうな顔をするわけでもなく応じる。
「初めましてイーリヤです。少々お時間いただけないでしょうか?」
「どのような御用でしょうか」
「チュニジアの将来について重要なお話があります」
声を抑えて真剣な表情で目を正面から見据える。
「承知しました。それでどちらまで?」
「大学の会議室を一つ借りましたのでそちらへご案内しましょう」
そう言って講師の側に視線を送るとマフムートも安心したのか、少しだけ堅かった雰囲気が和らいだ。いくら気を強く持ったところで、彼はまだまだ二十歳そこそこの青年なのだから当たり前である。
どこまで明かすべきか悩んだが、彼もチュニジアの為にと真っ直ぐな気持ちが強かったので、限界ぎりぎりまで事情を打ち明けて協力を依頼した。
「やりましょう、いえやらせて下さい」
「快いお返事に感謝します。もしかすると出番は無いかも知れませんが」
「それこそ望むところです。氏ならば必ず賛成してくれるに違いありません」
握手を交わして再会を約束する。必要と思える工作は全て整った、あとは実行を待つばかりであった。アンナフダ党本部からガンヌーシーの一行が出て車に乗り込む。マクミラー中尉と秘書が同乗し、セダンは運転手を含めて四人。
この日もまた市民との交流があり、広場にと向かうところであった。ジバーリー首相とは違い、党務をこなせば政務と忙がしいわけではない。その為に比較的多くこのような場を設けている。
「党首、本日は市民との対話の後に無党派の議員との夕食会です」
秘書がスケジュールを確認するとガンヌーシーが軽く応じる。無党派議員はこの時既に結束して、トゥラー教授の監修で幾つかのグループを成していた。道路の真ん中に車が斜めになり止まり、脇にはワゴンが止められてうっすらと煙を上げていた。
「事故のようです、迂回します」
運転手が告げるとガンヌーシーが車を止めるように指示した。
「マクミラー君、怪我人がいたら大変だ。通報しているか様子を見てきてもらえませんか」
「はい、ガンヌーシー様」
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