第116話
「さて、新聞社でまた記事を探すとしようか」
「氏の何を探しましょう?」
「何をというよりは誰だな。記事を書いた人物、つまり担当記者を探すんだ」
記事を見るだけならわざわざロンドンくんだりまで直接乗り込む必要は無い。やってきたのはガンヌーシーをよく知る人物と会うためであった。新聞社の公共スペースにはパソコンが置かれていて、発行された全ての新聞記事が閲覧可能になっている。直接日付で並べるだけでなく、特集の番号やコラムなどでソートすることも出来た。
――あったぞ、最初のうちはまちまちだが、半ばからの記事は全て同じ人物が書いてるな!
ウェルズリー記者と名前が並んでいる。彼がガンヌーシー担当の社会記者なのは間違いなさそうだ。受付でウェルズリー記者と話がしたいとアポイントメントをとる。どこかとやり取りをして、夕刻四時に会社に戻る予定だと知らされる。
「お待ちになりますか?」
受付嬢が一時間以上あるためにどうするかを確認してくる。
「ロビーで待たせていただきます」
軍で支給された名刺を渡して立ち去る。当然名前以外はダミーのもので、商社の非常勤社員になっていた。頼めば何でも作ってくれるし、不在時の電話対応も完璧だ。
アメリカは個人が働きやすくなるようなバックアップが飛び抜けて充実している。将校だけでなく兵士に至っても、である。イギリスといえば紅茶が頭に浮かんだ。コーヒーではなくティーを飲みに近くへ暫し外出する。
グレーターロンドン。いつの日かそのように呼ばれていた。都市の呼称ではなく存在が。大英帝国と評されて後、世界の植民地が独立をして、植民帝国が崩れさったのはイギリスも変わらなかった。一つ他と違ったのは、イギリス連邦に名目だけでも未だに連なっている国が多数あるところであろう。
女王陛下を君主として戴き、国は国として独立をしている。カナダやオーストラリア、アフリカの英語圏を始めとしてかなりの規模がそうなのだ。一方で日本。多少のいざこざはあるにしても、帝を元首にしているのは最早他にはなかった。これから新設されても王より上の外交待遇にはなるまい。
喫茶店で紅茶をたしなみながらテレビに目を向ける。BBC放送がニュースを告げていた。中央アフリカ共和国で反政府武装組織が首都を武力制圧、大統領が国外に脱出したと。
「アフリカに――出掛ける日があるかも知れんな」
――やれやれだな、確かクーデターで大統領になった人物じゃなかったか。それがまたクーデターで追放か。
「そんな未来も良いでしょう」
「どうにも寒さより暑さに慣れてしまったからな」
あちこちを転戦してきたが熱帯地域での期間が長い。地中海が天国に感じるのはどちらから来ても変わらない比較だろうが、ロンドンが肌寒く思えるのはそのせいだろう。
他にもリムパック(太平洋共同軍事訓練)に反発して北朝鮮が揉め事を起こしているなど、事実内容だけを報道して誰それの見解だの何だの、余計なことを流さないのは好感が持てる。判断解釈は見聞きしたものが行えと言うわけだ。時間を潰して新聞社に戻る。十五分程でロビーで誰かを探し回るような仕草の中年男性が現れた。
「ウェルズリーさんでしょうか?」
「え、はい。もしかしてあなたがイーリヤさんですか?」
「そうです。突然押し掛けて申し訳ありません」
謝罪の後に握手を求めると意外な顔のまま応じる。
「ヒスパニック系の人物かと思い探しましたよ。アジアンとは参りましたな。どうぞあちらにお掛けになってお話を」
クッションが効いた椅子とテーブルが置いてある場所を指して案内する。絶妙な配置で、観葉植物により隣に座っている人物の顔が見えず、声もぎりぎり内容を聞き分けることが出来ない。
――素晴らしい配慮だ!
「私に御用とのことでしたが、どのようなお話でしょうか?」
「はい。実は私はこれからチュニジアを含む地中海沿岸で仕事をするのですが、チュニジアは政情が不安定でして。次の大統領次第で右にも左にもなるでしょう。そこで次期大統領だろうガンヌーシー氏に詳しいウェルズリーさんにお話を伺いたくて参りました」
当たり障りが無いような言葉を並べて反応を窺う。ガンヌーシーと聞いてか若干納得したような顔をした。悪くない滑り出しである。
「記事を読んでいただけたようで感謝の限りです。氏はリベラルな考えを持った人物で、きっと国を善く導いてくれるでしょう」
善導する。遥かに昔から口に出される言葉ではある。地域や時代によって内容が違ってくるが、好意的な意味合いなのは変わらない。
「インタビューなどを見て私もそう感じました。目指す先はイスラム社会の規律を取り込んだ活気あるチュニジア、そのように考えますが」
「実に良いポイントを抑えています。氏は国を一番に据えて物事を判断しておりますからな」
――これだ、この部分を確かめねばならない!
氏をよく知る人物からの考えを聞いておきたかったのだ。
「もし、ガンヌーシー氏本人が望まないことでも、チュニジアの国益に大きくかなうならば、氏は自身の気持ちを脇にして進むでしょうか?」
カルタゴ人の民族性を耳にしているため、どちらを優先するか判断がつかないでいる。もしガンヌーシーが最後には自分の意思を尊重するならば、身動き出来ないような工作をしてからあたらなければならなくなる。
「あの人は昔、そうですなかれこれ十年位前になりますか、亡命者からイギリス国民に転じて海外局の高官にならないかと打診されたことがあったんですよ」
丁度ウェルズリーが担当になったあたりの時期である。
「それで氏は断ったわけですね」
「それが当初は引き受けるつもりだったんですよ」
「えっ?」
意外であった、祖国のため一途に活動しているとばかり思っていた。
「国籍申請手続きの途中にロンドン大学病院を訪れました。そこで氏はチュニジアの子供に会ったたんです、ベッドに寝て管だらけになった少年に。国内での手術が無理でイギリスにやって来た男の子でした」
――そんな話はあちこちにあったな、これもそれらの中の一つなんだろうな。
無言で頷く島を認めて続きを語る。
「氏が少年の手を握って激励の言葉を口にしました。そしてチュニジアの為になるようにと約束しました。そこでぽろっとイギリス国籍になって、外から支えると口にしたんです」
――なるほど、その時の取材記者が彼か。たまたまなのかそこからなのか、担当したわけだ。
「すると男の子が言いました、チュニジアを捨てないで、と。氏は決してそんなつもりはなかったのですが、子供にはそう思えたのでしょうね」
「まさかたったそれだけの理由で移籍を取り止めた?」
「ええ、大学病院を出てから側近に手続きの中止を指示したんです。私は感じましたよ、この人をもっと知りたいとね」
微笑んで語る彼の表情には優しさが満ちていた。
「そうでしたか、だからそこから専属担当にあなたが」
「かなり強くそう願いましたよ、最終的には許可を得られました」
懐かしい思出話をしたせいかしんみりとしてしまう。
「ところでその少年は今どうしているのでしょう?」
「チュニジアに帰国しました。二十歳位になっていますね」
名前は記事を調べたら出てくるはずだから尋ねることはしなかった。
「ありがとうございます。チュニジアについて安心しました」
「お役にたてましたか、それは良かった。では私はこれで失礼します」
最初に握手をした時よりも力強く応じる、案外誰かに話をしたかったのだろうか。エジンバラ通りを南に進んで、アーリントンホテルへと向かうことにした。ホテルからチュニスへの国際電話を繋ぐ。便利な時代になったもので、世界中どこにいてもすぐに話が出来るようになっている。
「ハロー、私だ。彼はいるかな」
それでわかるのだから長い付き合いである。
「食後の一時を楽しんでましたよ」
「そいつはすまんね。何か変化は」
「飼い犬がうろちょろしてますね、何かやらかしそうです」
「善処を期待するよ。複数の飼い主に気を付けるんだ」
――いよいよ狙ってきたか、相手先が一ヶ所とは限らんな。
「複数? なるほど、畏まりましたボス」
受話器を置いて何者が該当するかを考える。
――ムスリム同胞団、ジバーリーの手下、または評議会のやつらって線があるな。忘れちゃならないのがコロラド軍曹らの一味だな。
時計を見ると七時の手前である。ホテルに引きこもるにはまだ早い。
「チェックインを済ませてもう一度出るぞ」
ここではスイートをとる必要がなかったためシングルで部屋を確保する。行き先はPUB、酒場といえばイギリスなのだから行かない手はない。イギリスは海軍の規模が一番大きい時期があった。その為、水兵が集まる酒場といえばビールが樽で山積みになっている。看板に樽の絵柄が多いのも納得だろう。
ジェントルマン、元はジェントリーと呼称される階級の人数がたくさんいた。簡単に言うならば爵位がない領主である。海外領地を多数抱えたイギリスではそのような階級が必要だったのだ。
それらが社会的に繋がり構築されたのが、紳士淑女の社交界の一端を担っていたのは事実である。真実がどうなのかはまた別だろうが、この場で深く問われることもない。
ジェントルマンがどうのと言っても、水兵らは若者が主である。そんな彼らに節度やら慎みを要求するのは筋違いであろう。バイキングが片手にあおりそうなジョッキを軽々と飲み干して追加を注文しているのを見て少し笑ってしまった。
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