第111話

 ――相変わらずの勢いだな。


 耳に響く声に苦笑して認める。


「ああ元気そうで何よりだ。ちょっと相談があるんだが時間をとれるかな」


「勿論大丈夫よ。いまどちらに?」


「地中海を観光中でね、明日にでもそちらに向かうよ」


 夜に船に乗れば午前中にはレバノンに着くだろうと考える。あまり航空機を使わないようにしているのは姓名が記録されてしまうからである。


「期待してるわ!」


 チュッと最後に聞こえて通話が切られる。


 ――何もなければ滅茶苦茶言われちまうんだろうなこりゃ。


 電話したことを後悔こそしないが、ガンヌーシーのセミナーで期待はずれだった時のことを少し想像してしまった。


「これをご覧ください」


 席に戻った島に雑誌の写真を示して端の人物を指差す。


「不鮮明ですがこの氏の後ろにいる人物、アラブ人ではありませんね」


 多くのアラブ人が居並ぶ中で、たまたま写り込んでしまったのだろう。


「うーん、こいつはイギリスの軍人じゃないか……」


 ――亡命先がイギリスだったのだから側にイギリス人がいてもおかしくはないな。しかし何故軍人なんだ?チュニジアにはイギリスは干渉していない、ガンヌーシーを足場に乗り込むつもりなんだろうか。この人物が何者なのかをまず調べるとしよう。


「やはり現地踏査は大切だな」


 その後も探してはみるが新たな発見は現れなかった。時計を見るともうすぐで開館の時間がやってくる。


「では場所を移るとしようか」


 大ホールの会館は演劇が出来る位のステージを持ち、観客が五千人は収まるだろう容量を備えていた。二階席に何とか場所を確保した二人は氏が現れるのをじっと待つ。


 開演になりガンヌーシーが二人の部下らしき人物を従えて壇上で挨拶を行う。アラビア語で難しい内容を演説すると思っていたが、島ですらわかるような簡単な単語でゆっくりと話を始めた。


 ――そうかイギリス暮らしが長いから喋りが緩やかになったんだ。


 浴びせた押すような喋りをする地域とは正反対、相手が聞きやすいように喋るのが英国紳士のたしなみというわけである。


 丸々一時間程の公演を耳にして、雑誌にあったような思想だったのを再確認する。ガンヌーシーが姿を消して今後の活動を支援する会員の募集が始められた。席をたって会館の外に出る、裏口が見える場所にある石畳の段差に腰かけてあたりを窺う。


「遠くてよく見えなかったから、ご尊顔を拝謁しておこうと思ってね」


 上級曹長は何も言わずに周囲に気を配る。茂みのあたりに自分達と同じ様に裏口をチラチラ見ている男たちを見つけた。


「中佐、あちらにいる三人組、落ち着きがありません」


「なに? ――アラブ人だな、そわそわしている、何かを待っているんだろうか……」


 時計を見たりあちこちに視線を流したりして芯が据わらない。その時に裏口から四人の男が出てきた、一人はガンヌーシーである。三人組がそれを見て弾かれたかのように走り出す。


「プレトリアス!」


 島はそう声を掛けて同じく裏口に向かって走り出す。ガンヌーシーの後ろにいた男のうち一人が急に近付く不審な者達と氏の間に割ってはいる。三人組が手にキラリと光る何かを握った、それが何であれ凶器だとすぐに勘づく。


 割り込んだ男が先頭のアラブ人の腕を取り素早く引き倒して、間接の反対向きに思いきりよく体重をかけて折ってしまう。悲痛な叫びをあげる隣を二人のアラブ人が駆け抜ける。


 壇上に付いてきていた二人の部下は情けない声を残して後ずさる。ガンヌーシーが手にしていた本を前に翳して何とか距離をとろうとした。


「ガンヌーシー様、お逃げ下さい!」


 腕を折った男がそう声を上げて加勢しようと立ち上がる。振りかざした凶器を突き立てる、手にしていた本が身代わりになりバサバサと足元に落ちた。三人目の男がガンヌーシーに迫った瞬間、島が思いきりよく体当たりして二人で石畳に転げる。


 残る一人にプレトリアスが抱き付いて力一杯持ち上げると、容赦なく投げ捨てた。強い衝撃を受けて泡を吹いて気絶してしまう。島が転倒している男の腕と首を締めて袈裟固めのように抑え込む。プレトリアスが手からナイフを取り上げ放ると代わりに拘束した。


「ご助力感謝致します」


 英語が通じるか不明であったが割り込んだ男が二人に礼を述べた、それが例のイギリス軍人だとわかる。


「不審な動きをしていたのを偶々見掛けましてね。ご無事でしょうかガンヌーシーさん」


 同じく英語で氏に怪我が無いかを確認する。


「お陰で大事ありません。二階席にいらっしゃった方々ですね、ありがとうございます」


 あんなに大勢が居るなかでよくぞ見ていたと言いたくなるような台詞を口にする。警備員が駆け付けて三人を拘束した。事情を説明するために一人部下を残させるよう指示した。


 車で自宅まで向かい中へと案内された。あまり豪華とは言えないがなかなかの感性を持っているのがわかる調度品が並んでいる。


「先程は危ないところを助けて頂きありがとうございます。改めましてガンヌーシーと申します」


「マクミラーです」


 イギリス軍人が次いで名乗る、どう返したものかと躊躇してから挨拶を返す。


「島です。日本人でチュニスに観光しにきていました」


「プレトリアスです。島さんの知人でレバノンから来ています」


 アメリカ軍人であるのを隠しておく意思を受けてそのように名乗った。


「観光の方々が私のセミナーを?」


「はい、今朝港で新聞を目にしたときに知った次第です。拝聴したところ自分も大筋で同じ考えだと感じました」


 日本人は宗教に無関心だと考えているガンヌーシーは民主主義についてと、レバノンでのイスラム社会の在り方についてだと簡単に解釈した。


「世界をもとに戻そう等の考えは現実的ではありません。人々が求めるところは人々が自身で定めるべきでしょう」


 誰に強制されるわけでもなく、自らが。


「イスラム民主主義ですね。ガンヌーシーさんは次のチュニジアの大統領になられる?」


 最大政党の党首だけに順当な人物だと後押ししてみる。


「大統領は長く務められる人物が行うべきでしょう。私はもう年老いてしまいましたから」


 背筋が伸びて矍鑠としてはいるが大統領の激務はきついと首を振る。


「ではジバーリー首相がでしょうか」


 次席であり首相でもある人物ならばと尋ねる。


「彼では敵が多すぎるでしょう。争いが絶えない国は疲弊します」


 その二人が無いならばアンナフダ党からは大統領候補が居なくなってしまう。と言うのも幾つかある大統領候補条件の一つに、党首か最高幹部との決まりがあるからだ。


「あまり立ち入ったことはやめましょう。マクミラーさんはイギリスの軍人でしょうか?」


「はい、元ですが。ガンヌーシー様を支えたく、中尉で除隊してついて参りました」


 マクミラーと名乗る祖先が粉挽を表す姓の彼は胸を張る、その堂々とした態度は信頼を感じさせるに充分である。


「あなたが居たら安心ですね。しかしさっきのは何者だったのでしょう? アラブ人に見えましたが」

 ――そう言えば第七の司令官もミラーだな。


 警察が身柄を受け取りに来ただろうが、そちらの発表ではなく本人の所見を知りたかった。


「ムスリム同胞団の者でしょう。彼らは私がかつて支援を受けていたのに、団の目的と衝突する発言をしているので裏切者扱いをしているのです。私に非がないとは言いませんが、テロリズムに倒れるわけには参りませんから」

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