第110話

「適当な国での身分を認めてやり、奴が求める仕事を幾つか融通してやれば現在と同等というわけだな」


 あまりの小者ぶりに逆に驚かせられてしまう。アンナフダ党の分党かとすら思わせる内容なのだ。


「今さえ乗り切ればあとは自浄作用で自然消滅でしょう。そうなったときに保護してやれば、喜びこそしても文句は言いますまい」


「ガンヌーシーは無理でもジャアファルならば見通しが立つな。ついでに家族のところに監視をつけておこう、こちらは土壇場で裏切りそうになったら脅迫する材料だがね」


 あまりに不穏当な発言であるが、そこに感情が籠っていないためにさらりと聞き流す。


「直接金を渡すわけには行きませんから、ジャアファルを通しての仕事、顧問料が入るような細工を入れ知恵してやりましょう、市場経済のおこぼれだとして」


 そうしてやればイスラム主義を脇に避けて利益を享受したくもなるというもの。


「話は変わるが、アルジェリアでの結果報告だ。それらしき死体はあったがアブダビかは判断不能だったよ」


「奴らの拠点に残された痕跡からDNA鑑定などは?」


 やっても見付からないから不明と宣告されているのを、百も承知で尋ねる。


「恐らくオランにはいただろうが拠点があった場所に居たのが本人かは確認が取れていない。部屋の住人と同一人物とは断定された。マスィヤードと名乗るトルコ人らしい」


「アンナフダへの――支援が止まっただけで良しとしましょう」

 ――姿が見えないのだからどうしよもない。やつの親子関係者が証言でもしない限りは失踪扱いが限界だろう。


「そう考えておこう」


 もう一つか二つ策を練っておきたかったが真夜中を時計が示していた。

 一旦退艦し基地で休むことにする。


「それでは夢で名案が浮かぶことを祈って」


「枕元にメモを用意しなきゃならんな。ご苦労」


 起立敬礼をして部屋を出る。下士官に誘われて甲板へと上がる、地中海の空を見上げた。砂漠の星空も透き通って綺麗だったが、海上から眺めるそれも美しかった。予定が入ったから会議を中止する、そのような通知をアンダーソン中尉が携えてきた。


「ご苦労中尉。俺は懲りずにチュニスにでも行ってくるよ、居ない間のベッド管理はいつものように頼む」


「ラジャ。しかし、こんなに頻繁に視察する参謀は初めてです」


 後方勤務との名が表すように普段はバックに引っ込んでいることが多い。中には前線を殆んど見ないまま作戦を決定してしまう者も居る。


「あまりでしゃばりすぎると部下からクレームがついちまうな」


「良し悪しと言うことですか?」


「部下を上手く使うのが上官の責務だからね、一人でやれることには限界がある」


 そうは言いつつも全く止めるつもりはなかった。前線こそ自らの身の置き場であると信じてやまない。


「自分には中佐が一人分を越えているような気がしてなりません」


「そいつは錯誤だ、一人前にもまだまだ遠いよ」


 笑顔で敬礼して上級曹長を促して基地を出る。私服の二人組に律儀に反応しようとする門衛を軽く片手で制して、民間の船が出入りする側の港へと向かう。


「チュニス行きのチケットを二枚」


「ありがとうございます、一番埠頭から三十分後に出ますよ」


 停泊している通商客船に乗り込みニカラグア旅券を提示する。顔写真を簡単に確認して、良い船旅を、と声を掛けられてタラップを上った。首から例のカメラを下げたまま甲板へと行くとナポリの港風景を数枚撮影しておく、感度はISO100の代物である。


 プレトリアスには鉄板入りのバッグに替えのフィルムやらボイスレコーダーを持たせて、助手のような形をさせておいた。同じ経済圏の国は往き来が簡略で、中には上着なしで財布だけ持ってちょっとお出かけ、との装いの者も乗船していた。


「なあプレトリアス、この仕事が終わったらベトナムでゆっくりするつもりなんだ。お前はどうするんだ?」


「レバノンで声がかかるのをお待ちします」


 新婚生活を邪魔しては悪いと考えたのか流石に一緒するとは言ってこなかった。


「一族に元気な姿を見せてきたらいい。俺が椅子に座っていないものだから、いつ大怪我するかもわかったものじゃないからな」


「人は死ぬのではなく自然界に還るだけです」


 プレトリアスは真面目な顔でそう言い切った、シャーマンとはそんな教えなのだろう。チュニス港へと到着し下船する先でチュニジアの官憲が観光客一行をにこやかに受け入れる。島もスペイン語で挨拶をして通過した。


 昼前の晴天である。まずは地元紙を手にして簡単に目を通してみる。何回か捲ると気になる記事が載っているのを発見した。


 ――ガンヌーシー氏のセミナーだと?


 日時を確認すると今夜なのがわかる、すぐに参加連絡して権利を確保した。


「スケジュールが決まったぞ、これに出る」


 渡された新聞を覗くも特に知らない人物の写真が掲載されているだけである。名前を見てもチュニジア政府の閣僚でもなく何者なのかと疑問が涌いた。


「この人物は?」


「ナフダのトップさ」


 アラビア語の定冠を除いてナフダ党首だと説明する。ナチスもそうであるが国民党の一つだと労働者が支持基盤にあるのを加えた。


「すると悪の親玉ってことでしょうか?」


「どうだろうね、それを確かめに行くのさ」


 新聞には載っていないような内容でも気軽に出してしまうのが雑誌の類いである。書店で何冊か適当に社会経済を扱うものを手にして喫茶店に持ち込む。ティーにパイを注文してそれらを流し読みをする。


 ――ガンヌーシーの演説に投石騒ぎ、同様に政府公演でも投石が。かなり不安定な状況らしいな、無理もないか。


 複数の雑誌がその騒ぎを掲載していたが犯人は背後関係が明らかになっていない青年らだと締め括っていた。別の雑誌ではガンヌーシーがイスラム原理主義を批判する発言があったと載せていた。中には特集で対談形式インタビューまで掲載しているものがある。


 ――新聞だけをチェックするやり方では穴があるわけか!


 氏の考え方がかなり自分達に近いのが明らかになる、一方で国内他党の一部を批判もしており相違も見つかった。一貫して感じられるのがチュニジアがイスラム社会よりも優先するような類いの考えである。


 小イスラム主義とでも言うのだろうか、イスラムの為にチュニジアがあるのではなく、チュニジアの為にはイスラム社会が必要だとの流れである。


 ――アンナフダ党にいる半数近くは原理主義者からの影響を受けている、これは早晩道を分かつぞ! アメリカとしては説得を行えないが、チュニジアとして何とかならないものだろうか。


 かといって軍関係からそれを頼るわけにはいかない、軍は政治と関わらない。トゥラー教授では違いの部分を歩み寄ることはしないだろうと悩む。対談の内容はイギリスBBCの関係者が行ったそうだ。


 ――独占インタビューか、果たしてガンヌーシーが受けてくれるだろうか? 由香を表に出してフランス放送局から派遣の形はどうだ。いやベアトリスに相談してみるか、イタリアから近い場所に由香を動かすわけにはいかん。


 果たしてまだ勤めているかはわからないが消息位は伝わるだろうとレバノンへと電話をかけてみる。ベイルートのフランス放送局と言えば細かく指定しなくてもすぐに繋げることが出来た。


「記者のマドマアゼル・ベアトリスはいらっしゃいますか?」


「只今外勤で不在です。どちら様でしょうか?」


 事務処理を行うかのような乾いた感じの喋りをする女性が電話口に現れた。まだ勤めているのは確かのようである。


「シーマが連絡を取りたがっていたとお伝え下さい」


「モン・シーマですね。確かに――」


 喋っている最中に声が途切れてしまった。するとすぐに聞き覚えがある人物に受話器の持ち主がかわっていた。


「ちょっと島大尉かしら!?」

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