第68話
地元の人間、それも関係者でなければ下水道内で迷子になってしまう恐れがある、だが無数に張り巡らされたこれを使えたら奇襲にはうってつけと言える。
「何キロも先に行くわけじゃない、数百メートル歩くだけさ、技術の進歩を利用しようじゃないか」
そう言って衛星携帯電話を手にする、修理したそれは防水機能も備えていた。
「GPS携帯?」
「そうだ地下数メートルでは難しいがマンホール付近にまでいけば電波は届くよ、何せ地下でも利用可能だからね最近は」
一昔前までは緯度が高い地域では使えず綺麗に繋がらなかった、最近は様々な電波塔を複数経由して安定したアクセスが可能になっている。その電波が届く小さなタイムラグを三角測点で導き出し位置を補正するらしい。
地上の経由先は補助的なものであってなくとも良い、これが強みであるので通常の携帯電話と違う部分はそこである。もっともアメリカが保持している衛星を利用しなければならなかったり、各国の電波法に引っかかったりと制約は多い。
「そしてそんな行為を司令自らするわけにいかないとなれば、自然と身近な部下に命令せざるを得ませんね」
「身近な部下としてはどのくらいの手勢が必要だと思う?」
笑いながら調子を合わせる、こうなることが解っていて話しかけているのだから。多すぎては宮殿が厳しくなるし、少なくては作戦に支障がでるだろう。
「ま、二十人もいたら充分でしょう」
「そんなに少なくても出来るか?」
やってみなければわからないことに一々反応することもないが、もう少し欲しいならば割くつもりで聞いてみる。
「不意をついて勝てなければ少しくらい人数が増えたところでかわりはしませんよ」
ならば隠密性を重視しますと人数に見切りをつける。
「暫く中隊は預かっておこう、欲しい装備があったら好きなだけ持って行け」
了解と告げて親衛隊らしき分隊を引き抜いて中庭へと消えてゆく。
――さて何とか支えておかなきゃならんな!
本会議場と周辺の見取り図を睨んで捨ててもよい箇所を選別して兵力を集中させる。次いで屋上の兵を減らして一階の防備を厚くした。
何せニカラグアでは空中からの侵入は皆無とみてよかったからである。空中機動歩兵が編成されるほどヘリがあるわけでもなく、また必要とされる場面が想定されているわけでもなかった。
「これよりA中隊は俺が直接指揮を執る、大尉ほど優しくはないから覚悟して働けよ!」
中隊から笑いが巻き起こる、それが何故だか何となく理解できる彼であった。
「曹長、軍曹、これから敵陣に奇襲を仕掛ける、俺が死んだらお前たちが指揮を執れ!」
分隊二つを眼前に並べて簡単ではないことを画策しているのを明かす。
「自分が死んだら軍曹が、軍曹が死んだら伍長が指揮します!」
外人部隊出身でドイツ人のブッフバルト曹長が第二次世界大戦で中隊を指揮した伍長を思い出して返答する。苛烈な分隊長を持つ隊員は誰一人として怖じ気づくことはない。
「うむ、我々は下水道を通り敵の南側にと出現し、闇に紛れて奇襲を仕掛ける。ターゲットはマナグア警備室長の大佐だ、奴を死傷させたらこの戦は終結する」
脱出方法を一切説明せずに決意の程を示す、その場で全滅したとしてもクァトロの勝利に繋がるとだけ話をした。
何があるかわからないためRPG2を二基、手榴弾を各自二倍で四個、小銃の予備弾倉も三個ぶら下げガスマスクについて無い物ねだりをするわけにいかず濡れたタオルを口に巻いて代用する。銃剣だけでなくナイフも装備し、軽く食事をとり休憩する。
腹六分目程度に収めて短時間、十分位の仮眠を行った。中庭のマンホールから下水道にと降りる、中世の下水網とはこんな感じだったのではと想像する。暗闇に目を慣らすために五分ほど目を閉じてから小さなライトを点灯させる、アーチ型の天井脇に管理用の小径が繋がっていた。
南へ直線的に行けるだけ行こうと一歩ずつゆっくりと進む、歩幅は七十五㎝見当になるように日々心がけているため、四百歩で包囲軍の後方部隊あたりになる計算である。
やせ細ったネズミが鳴き声を発しながらあちこちを彷徨いている、下水が出す悪臭もさほど気にならなくなってきた。
途中で直進出来なくなった為に仕方なく右に折れる。斜めに進んでしまい俄に方向が失われると取付階段を使い地上付近に近付いて位置を確かめる。
「宮殿から南二百五十メートル西五十メートルあたりか――」
敵陣真っ只中だろうと耳を澄ませると足音や話し声が聞こえてくる。そそくさと立ち去り逃げるように左手に折れて進む。二百歩手前でマンホールがあるためにまた取付階段を登って様子を窺ってみる、今度は静かなもので人気がない。
「よし、ここで暗くなるまで待機だ」
大尉が夜光反射塗料が塗られた腕時計を見る、夕刻の五時をやや過ぎた頃である。中米の夜はあと三時間程で訪れる計算になる。半数ずつ交代で眠るように命令するが下水道でどんなものだろうと壁にもたれかかり目を閉じる、無理矢理にでも休もうと心掛けているのがわかる。
声が漏れたら見つかるかも知れないと一言も発しない、それだけでなくライトも消してしまい闇の中で隣にいる者の顔すら見えない。ともすれば戦う意欲すら喪いかねない状態で奇襲部隊はただただ時が流れるのを待つのだった。
不意に地上から車両の音が漏れてくる、そんなに重い車ではない、ジープやセダンタイプのエンジン音である。大尉に腕を叩かれ取付階段を静かに登って声を拾おうとする、断片的な会話が耳にはいるがそのまま声の主が離れてまた静かになる。
「大尉、取付階段の右手から左手に向かい、車両と歩兵が夜営準備に向かったようです」
「目標の居場所を取付階段左手側のキャンプだと推測して行動する、一際大きなところか見張りがついている場所だろう」
――夜営準備だと、兵等にはその場で転がるように毛布を配る位だろうから上位にいる奴らの寝床だな!
納得の予測に兵が頷く、違ったからとあちこち探し回るのも困難なために偶然でも声が拾えたのに感謝する。マンホールの隙間から外を覗くと暗闇だった。ゆっくりと蓋を動かして周りの様子を窺う、どうやら近くに人はいないようだと手招きする。
手練れの上等兵と伍長が先行して支援位置につく、もし敵に見つかったなら発砲するかは難しいがむざむざやられるわけにもいかない。全員が地上にでると蓋を元に戻して建物の影に潜む。
光がある方向に忍び寄ると歩哨を見付ける、軍のキャンプであることは明白でテントが四つあるのを確認する。内側から灯りが漏れていないのが二カ所、恐らくは物資の堆積があるだろう場所を除外する。全く掩蔽されていない防備なしの幕に戸惑いを覚える。
「どちらかわからんな両方襲撃する、当たりならばそちらに合流だ」
――五十ミリ迫撃砲がまぐれ当たりしても爆死するんじゃないか?
一方を曹長に任せて分隊に合図する。歩哨に駆け寄りナイフで突然喉を切り裂く、それを見ていた兵士が二秒ほどの間をあけて「敵襲!」と叫んで命を落とす。
テントの警備が現れると遠慮なく発砲して布を切り裂き乱入する。中には驚いて椅子から立ち上がって口を空けている男と拳銃を構えようとして腕を撃ち抜かれてしゃがみこんだ男がいた。ロマノフスキーは手榴弾のピンを抜いて安全握を抑えたまま二人に近寄る。
「クァトロの出張だ、見たらわかるな俺が撃たれたら共倒れになる」
無事な方の男が騒ぎを聞いて駆け付けた兵士らに「撃つな!」と命じる。
「お利口だ。俺の目的はお前さんが戦を止めるか死傷することのみだ。共倒れか降伏を選べ、俺は元レジオネールだ意味はわかるな?」
「レ、レジオン!?」
大佐の階級章をつけた男はメキシコで壮絶な戦死をした外人部隊の歴史を学んでいた、目の前にいる男が本気で目的を達成するつもりならば自分が助かる方法が降伏しかないことにも気付く。
「オルテガ司令官は停戦を命令した、それに従うのが軍人だろう大佐、戦いを止めるんだ!」
目まぐるしく大佐の表情が変わりロマノフスキーの手にある手榴弾と周りをいったりきたり視線が泳ぐ。隣のテントに行っていた分隊もやってきて同じように手榴弾のピンを抜く。
「……全軍に停戦を命じろ、オルテガ閣下の命令だ……」
ついに諦めて戦闘停止を決意する。
「ニカラグア兵士諸君、すぐに命令を徹底させるんだ戦いは終わった、これから死んでも戦死扱いにはならんぞ」
躊躇している兵達に終わりを告げる、ロマノフスキーの言葉を聞き大佐ががっくりとうなだれた姿を見て銃を下ろして停戦を叫んで回る。だがしかし手榴弾はまだそのままにして命令が浸透するのを待つ、心変わりが手遅れになったあたりで捨てずにいたピンをゆっくりと差し戻す。
――やれやれまた生き延びたようだな!
手榴弾はピンを抜いて安全握が離れなければ元に戻すことが出来る、だから投擲するつもりでないならばピンは投げ捨てないようにと遠い昔に軍曹に教えられたのを思い出す。
「大佐を本部にお連れするんだ、将校様だから丁重に扱えよ!」
殊更に様を強調して命じる、とぼとぼと歩く後ろ姿は人生の賭けに負けた男の背中を語っているように見えた。宮殿の本会議場前のホールにまで押し込まれていたクァトロはギリギリの戦いを展開していた。屋上からも全て撤収させて最終防衛ラインを死守し会議場内にもバリケードを設置して待ちかまえる。
「イーリヤ中佐、最早これまでだ我々は革命に失敗した」
「オヤングレン暫定代表、敵は必ず止まります自分が最後の一人になろうとも諦めずにいてください」
ホールにまで銃弾が飛び交う状態になっても全く挫けない島を見てパストラが言葉を繋ぐ。
「コマンダンテクァトロに任せて我々は審議を進めよう、彼らはそのために命を張って戦っているんじゃからな」
オヤングレンは新たに気持ちを傾けて法律改正に臨んだ、もうどれだけ休みなく議決してきたか、それでも負けじと声を張り上げた。十何度目か解らなくなったがニカラグア兵の突撃が行われる、そのたびにクァトロにも被害が重なり無傷の兵を探そうにも難しくなっていた。
ようやく押し返したもののすぐに別の突撃部隊が現れて死を厭わずに進んでくる。 目が何となく曇っているような感じがして麻薬の存在を疑う。ハラウィ大尉も小銃を手にして必死に撃退に参加していた。
これまでより更に多くの軍兵がこぞって侵入してくる、一部が被弾しながらもついに本会議場の扉を抜ける。グロックの命令で本部護衛部隊が発砲して撃ち抜くが、持っていた手榴弾が爆発し破片が飛び散る。
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