第13話
「それですが総司令部よりレバノンを内部分裂させるようにと極秘指令が出ております」
そうか、とだけ答えて立ち話を終えることにした。次に大佐から呼び出されるときにはこの指令をどのように遂行するかの相談だろう。
「あの軍事顧問らを上手く使えないだろうか?」
次なる手のきっかけとして頭の隅にひっかけておくことにした。
◇
季節は秋後半を迎えていた。レバノンではまだまだ肌寒いなどということはなく、一部国土を縦断する山脈でそれらしい風景になってきた程度である。心配していた派閥問題も、訓練に限っては特に不都合も見られなかった。しかし連携した作戦を行えるとは全く思えず、小規模な任務内容のみしか演習を行えていない。
個人の資質は睨んだ通りに満足いくレベルを示している。まだ他人にそれを伝えるまでには至ってはいないが、一年も続けたならば中核で兵を動かせる班長には育つだろう。
型がそれなりについてきた軍事訓練をロマノフスキーに任せ、島はもう一つの仕事の段取りを始めていた。例のツアー企画である。司令官のハラウィ中将が乗り気で全面的な支援を約束してくれたのは福音である。
事務員それに司令部との調整役になる人物について副官のハラウィ中尉に尋ねたところ、スラヤがその係にあたると返事があった。つまりはこちらの話は司令官へと遮られることなくしっかり届くパイプを得られたも同然である。
主たる仕事の訓練に目処がついたために日本へ交渉に出掛けることにした。兵から二名適切な者を選び成果を説明するために同行させることにし、事務方から日本語を喋ることが出来る者を派遣してもらうよう中尉に依頼する。
「日本語を喋る事務員なら、スラヤを連れて行くのではダメなのでしょうか?」
「なにっ、スラヤは日本語を喋るのか!?」
島は心底驚いた。これまでそんな素振りは一度も見せなかったからである。
「ええ父が外国語を何か一つ覚えた方がよいからと。自分はスペイン語を選択しましたが」
「ならば決まりだ、スラヤと兵二名を連れて日本に飛ぶ」
――ハラウィ中将、とんだくわせものだな!
上手く意味が伝わるかどうかの心配をしていたが、スラヤが供になるならば問題ない。意志の疎通にはやはりいくら長く一緒にいて話を交わしたかに正比例する。最近島は語学に興味を持ち始めた。中尉がスペイン語を喋ると聞いたときにそれを理解したいと強く感じた。
「中尉、唐突で悪いが今度私にスペイン語を教えてはくれないだろうか?」
ものを頼む側のため丁寧に伝える。
「大尉の頼みならば喜んで! 言ってもらえたら自分が時間を合わせます」
「いや私が中尉に合わせるべきだろう」
社交辞令ではなく単純にそれがよいと思い申し出てくれたのがわかったのが嬉しい。
「それは違います。大尉が可能な限り自由に行動出来るのがレバノンの為、ひいては自分の為ですから」
そうまで言われたならと、拒む理由もないので了承したのであった。ベイルートから東京への直行便は無い。そのため一旦タイのバンコクを経由して日本へ向かうことにした。
二人の兵はイスラム教とキリスト教から一人ずつ選んだ。出国に際しては三枚目の身分証であるレバノン発行の物を使用している、目的が目的のため履歴が信用の一部になるためだ。
スラヤは褐色の肌に焦げ茶色でストレートの髪を流し、黒を基調とした引き締まった印象を与える服装を選んだ。経費の支払いなども全て彼女が受け持つことになっている。
税関を通るときに島の身分証を怪訝な顔で見つめ英語で目的を質問してきた。ビジネスだと英語で返答するも納得しないのか、更に詳しく内容を聞いてくる。
「旅行の誘致だよ観光客が減ってきていてね、政府のプランだ」
確かにレバノン政府、首都ベイルートのどこかの役所の印鑑が押してある。不満があったようだが咎めるべき理由もないために入国を許可された。日本、それも東京は大都会である。普段は何ら感情を明確にしないスラヤも目を見開いて息をのむ。
拠点となるホテルは予算の都合から中級以下を最初選ぼうと言われたが、交渉時に甘くみられるためにしっかりとした場所を使うことに変更させた。チェックインでシングルを二部屋とツインを一部屋にしたのも、少しでも費用を節約しようとの試みである。
移動の疲れを癒すために一日は休養に充てることにした。随伴の兵らの所作も交渉の一部と認識しての配慮である。島は関係各所と日時の最終確認を電話で行った。兵にはホテルから出ないように命令し、必要なものがあればフロントに注文するようにさせた。部屋の扉をノックする音が聞こえた、スラヤのようだ。
「何かあったのか?」
「少しお話をしたくて。お邪魔かしら?」
「まさか、喜んで。ラウンジに行きましょう」
そう告げて部屋から出ようとするとスラヤが遮る。
「部屋でお話が」
事情があるのだと察して招き入れる。部屋に爽やかな香りが漂う、スラヤの香水だ。ルームサーヴィスでコーヒーを運んでもらう、レバノンではアラブ風の濃いものしか出なかったため、アメリカンをひとつとエスプレッソをひとつだ。
「計画の交渉以外にも指示をもらっていますの。日本の電子機器は高性能で優秀だから集めてきて欲しいと」
差し出された小さな何かを手にする、それは盗聴器だった。情報戦の初歩で活躍するアイテムで、上手く使えば様々な場面を彩ってくれる。
「これなら軍が発注して集められるんじゃないか?」だがスラヤは頭を左右に振りそれではダメだと言う「わかった幾つ必要なんだ。予算もあるだろうし」
――軍ではなくハラウィ中将が求めているわけか!
「千五百万レバノンポンドあります」
頭の中で大体換算してみる、五百個ぐらいならば買えるだろう。
「領収書は発行されても困るな」
笑いながら可能だろうとの答えを示す。
「ええそれは必要ありませんわ」
手荷物で持ち出せば問題ないだろう、片手の鞄に納まる。スラヤがエスプレッソを傾ける、臥せ目がちに島を流しみる。
――やれやれ同伴の指示は他にもありそうだな。
ちょっと失礼とバスルームへと消える。褐色の肌は艶やかで腰のくびれが素晴らしい曲線を作り出していた、黄金比というやつだろうか。世界で一番見事な体つきがアラブ人といわれている。
◇
八畳程の応接室に人が集まっている。警備会社の責任者に現場主任、旅行会社の支店長、それに島たちである。兵は部屋の外に立たせて待機させておいた。
男達の自己紹介が終わり最後にスラヤを紹介する。最後になるほどに重要人物になるのが日本流だと説明を付け加える。
「ミズ、スラヤ・ハラウィ。彼女の父はレバノン首都ベイルートの司令官で、次の軍事相となる方です」
外国の要人であることをアピールする。支店長が気を利かせて英語で挨拶をする。
「皆様初めまして、今後良いお付き合いが出来ることを切に願っております」
日本語で丁寧に返答すると驚きの声があがる。
「レバノン政府は日本に強い関心を持っており、次の世代を見据えた教育を進めております」
外交官のような言い回しをして内心自分で笑ってしまった。しかししきりに頷く男達を見てこれなら上手く行きそうだと感じて早速本題を切り出した。
「彼女は上級責任者で本件は私が担当します。無論芳しくない結果がもたらされたとしても、全ての責は私が至らないものだとご理解下さい」
日本人とはより上位にある者には厳しく接することが少ない民族である。責任と権限は別物だと信じているのだ。
「そのようなこと無きように、私が全力で仲介させていただきます」
支店長がここぞとばかりにアピールしてくる。新規のルートは不安定で危険が伴うが、その分見返りも大きく期待できた。
「条件については問題ありません。内容についてうちの現場担当から細かい質問がありまして。主任」
そうして実際にツアーに参加するだろう人物へと主導権が移る。
「島さんに伺いたい。軍事訓練と言われますが、アメリカか他の国の民間軍事会社に頼むのと貴国軍に教わるのとではどのような違いがあるのでしょう?」
一番重要なポイントだけに真っ先に抑えにきた。かなりまで考え方がはっきりしている証拠だろう。
「民間軍事会社と現役軍隊を同じに考えられては困ります。同じプロフェッショナルでもその背景規模が訓練の幅に厚みを持たせます。民間に八万人もの現役を抱え、国土を自由に訓練場所に使える軍事会社はあるでしょうか」
確かに規模で違いを説明されたら反論も出来ない、事実少数で出来る訓練と多数で出来る訓練の内容は異なる。
「なるほど、しかし我らは多くても数十人単位の警備を想定しています。場所を選ばないのは魅力的ですが。もう一つ、訓練はレバノン軍の兵が直接担当を?」
「日常訓練はそうです。しかし特別訓練は下士官や将校が担当することもあります、無論この私もそれを考えています」
日焼けしてスーツを着ていても日本人は顔が若く見えるため、島も二十七歳の年齢ながら大学新卒者位に見られている。
「失礼ですが島さんは私よりも年下と思われますが、あなたが技術教官のトップですか?」
年齢で全てを判断するわけでは無いのだろうが、想像する範囲から外れた現実を知らないのは仕方ないことである。実戦を経験した者は数年の訓練より勝る何かを感じ取ることができる。
「はい技術教官だけでく、戦略戦術の顧問官です。そして将校でもあります」
顧問官は昔でいう軍師に近い、将軍であろうとも丁寧に応対するし、正しい判断を助言し続けるうちは票決権限を持たない幹部として最高会議に列席することもある。
「それでは実力の一端をお見せ頂きたく思います。うちの警備員を待たせているので、社の訓練場へおいでいただけますか?」
こうなるのは想定済みである、そのために一日休養を挟んだのだ。
「結構でしょう。それで主任が納得いただけたら成約ということでよいでしょうか代表」
「異存ない。主任、判断は君に任せる」
無味乾燥といった表情で流れを黙って見守っているスラヤが席を立ち移動を始める。待機していた兵がそれに従い訓練場へと向かった。訓練場には四人の警備員が整列し代表らを迎えいれる。
「我が社の若手社員らです。この中から次の私の後継者を考えています」
主任が自信を持って育てた人物らしいのがよくわかる。かなり屈強で体格が抜きんでているのが二人と、癖はありそうだが技術的に何かを感じさせる雰囲気が二人。
兵二人がテニスコート位の場所に進み出る、警備員から屈強な二人が前へでた。兵がアラビア語で要求をする。
「警備主任、うちの兵が二人はダメだと言っています」
勝ち誇ったように口元を釣り上げて答える。
「自信がないと? ならば後ろの二人と交代させましょう」
体格差がありすぎる為に同程度の警備員を指名する。
「いえそうではなく、二人では勝負にならないから四人で相手をしろと言っています」
これには警備主任が自尊心を傷つけられようで顔を赤くして「今更元には戻せませんよ」と強気にでる。
「この兵は私が四ヶ月に渡り訓練した者達です、手加減は無用です警備主任。それよりそちらの警備員が怪我をした場合ですが、保険には入っておられますか?」
無用な心配とばかりに四人を並べる、代表が責任は当社で持つと宣言してくれた。
「では代表が開始の合図を。戦闘継続不能と判断されたら終了、または代表のご判断でも」
警備主任も頷きギャラリーが少し下がり、島はスラヤの少し前で事故に備える。代表の「始め!」との声で六人が一斉動いた。
多数の側が囲むように散り、二人は背を合わせて担当範囲を決める、バディシステムである。警備員が声を発して軽くうちかかる、実力を試すつもりなのだろう。兵は試すような拳が飛んでくるのを避けようともせずに視線を切らずに額で受け止める。逆に不気味に感じた警備員が一歩後ずさる。
体格の良い二人がアウトレンジからの攻撃を見切り、インファイトを挑む。互いに巧みに攻撃を繰り出して全く致命傷に至らない。警備員が四人がかりで攻撃を始める。
動ける範囲が狭くなるために一人が仲間に挟まれて足が止まった、そこへすかさずイスラム兵が一撃を加えると警備員は仰向けに倒れて失神した。左右から拳を叩き込まれ強かに反撃を受けイスラム兵が痛みをこらえて食いしばる。
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