第12話
「そんなものに人が集まるのかね。それに一人当たり五百ドル位では?」
銃が身近にある国で育ち、その環境のまま今に至る者達には感覚がわからないでいるようだ。
「一般的な観光客でも一人三千ドルは余裕でしょう。警備会社との団体契約ならば訓練つきで一万ドルでも自信があります。旅行会社にマージンを取らせるならば煩わしい事務も代行させられますし」
「警備会社の訓練だと。十人単位で月に一組だとしても百二十万ドルか!」
「観光客ならば三日に一組で週に二回、十人で来たならば双方で年間四百万ドルは見込めますよ」
あまりの額の大きさに暫し沈黙してしまう。理なことではないが、客がくるのかどうかである。
「失敗しても別段損はありませんよ。手続きの労力くらいでしょうか」
テーブルの上を指でトントントンと叩き考える。
――あの仕草は……なるほどな。
「中尉、明日司令官と話して許可が得られるか確認したまえ」
実行の決断を下したようだ。もし成功したならば、大隊には予算面でとてつもない融通が可能になる。
「中佐、ことの要は司令官の承認次第です。この発案は中尉がしたものとして進めてはいかがでしょうか」
外国人が勝手にあれこれ始めるのを良く思わないだろう、しかし自分の息子の功績になるならば、成功のために有形無形の援助をしてくることすら考えられる。
「勝負所を押さえているようだな大尉は。よかろう、起草は中尉の名で行え、私が計画案に署名する。だが実行は大尉だ」
皆が頷いて一つの計画案がまとまる。ゴーサインが出たならば一度日本へ足を運ぶ必要が出てくるだろう。
「ヒズボラとの対決については明日の顔合わせをしてから考えましょう」
何ヶ月と訓練を重ねてゆく間に出せたらよい答えを急がない。今日や明日に問題が解決するとは誰も思ってはいない。
「結構だ。レバノンの未来を祝福して、バランタインの三十年物を入れよう」
「赤字になったと言われないよう努力します」
軽い冗談で場を和ませ、ソムリエールがテーブルで封を切ると、どうしてなかなか芳醇な薫りがあたりを支配した。
◇
ヤセル駐屯地。ベイルートの東部十数キロに中規模の兵営が設置されている。支援部隊や予備補充、特殊大隊などの司令官直轄軍の駐屯地である。その東数カ所に堡塁が設けられており、シリアからの侵略がある時の防衛ラインを担当する拠点としても組み込まれていた。
第6特殊独立大隊の兵舎もここに設置されており、普段は小隊毎に訓練が行われている。通常は宗派をまとめての部隊が運用されるが、この大隊は教官育成の為に集められたので各派が混在している。
生活スタイルが違う団体が同じところに集まること自体に無理がある。生じた不都合は時間と労力の浪費により調整された。軍とは機能的でなければならない。戦場での無駄は命と交換になるからである広場に三つの中隊が整列し、それに向かい合う形で中佐と島ら四人が立つ。
「中佐殿に敬礼!」
副官の声が響くと統一された動きで敬意を表した、それに中佐が応える。
――これだけ見たら悪くないぞ。
「諸君にこの二名を紹介する。軍事顧問官として部隊に連なることになった島大尉とロマノフスキー中尉だ。階級が同じものは先任であっても顧問官の機関的優位をもって上官とする」
中佐が部隊での立場を明確に宣言する、独立大隊に佐官は中佐しか存在しない。つまり島大尉は大隊のナンバーツーに据えられたことを意味する。
「島大尉だ。中佐殿はこの大隊を国防軍全体の指導的立場に宛てるための訓練を自分に命じられた。レバノンの為にだ。それ以外の理由を俺は認めん、方針に異議がある奴は立ち去って構わん」
敢えてフランス語で所信演説を行う。アラビア語にはハラウィ中尉が翻訳する。気に入らないと当然態度にあらわれる、フランス語をほぼ全員理解しているのもわかった。何せまゆをひそめるのが早かった、無反応な兵は五人に一人いるかいないか。
ざわつきはしたがすぐに部隊の軍曹らに睨まれて無言になる。下士官の立場はレバノンでも変わらない。予定していた通りに中尉が「質問があればどうぞ」と中隊長である大尉らに代表させる。
「我等には我等の戒律がある。そこは認めてもらいたい」
シーア派の大尉がわざとアラビア語で質問する。島はそれを聞いても全くの無反応で中尉が翻訳すのるのを待つ。その間に皆の表情を見たり答えを考えたりする。
「軍人は軍に忠誠を誓うものだ。俺は言ったはずだ、レバノンの為以外の理由は認めん、どうしても譲れないことがあるならば立ち去れと」
ハラウィ中尉が渋々翻訳する、イスラム教徒の顔がみるみる険しくなってゆく。スンニ派の大尉が発言を求める。
「軍務規定にイスラム教の戒律を尊重するとあります。納得出来る部分があれば受け入れて貰えますか?」
――スンニ派を談合の軸に据えるために受け入れるべきだな!
これを拒否したら本当に立ち去り兼ねない目つきのものがちらほらと混ざっている。
「もちろんだ大尉、訓練中以外の生活に干渉しないし、目的ははっきりと貴官らへの軍事技術の提供と断言出来る。純粋に強くなってもらうために他ならない」
胸を張って即答する、それによって反感が少し薄れた。面従腹背の輩が多い国よりはまだやりやすいと言える。返答に反論がないため了承したと見なす、中佐に視線を流して軽く頷き主導権を渡す。
「以後訓練指導は島大尉に一任する。以上、解散」
兵が軍曹らに怒鳴られて去ってゆく、やはりその動き自体は決して悪いものではなかった。その姿を見た感想を述べる。
「悪くない連中です。訓練次第では良い結果が望めるでしょう。アラブ人は戦いの素質がある」
「大尉にそう言って貰えて安心だよ。私は陸軍司令部に行ってくる、反政府武装組織への対応の意見を求められていてな」
島とロマノフスキーは中佐を見送り、駐屯地の司令部へと向かった。独立大隊司令部付の将校が出迎えてくれる。命令は全て彼らを通して発せられるためによくよく人物を知っておかねばならない。
司令デスクに座り用意されている人物評価リストに目を通す。中佐がまとめた内容なので大枠に疑いは持たないが、詳細は自身で確かめ補強してゆく。特徴はやはり宗派ごとに中隊がまとめられていることで、様々な部署が三分割されている。これが統合されるだけでも遥かに効率がよくなるのがわかる。
「混ぜるな危険、か」
「アフリカンの部族編成よりはまだ安心でしょう、やつら少数派を虐殺しますからね」
アフリカはまだまだ部族社会で、多数派と少数派になれば少数派を迫害し、少数派ばかりだとまとまらず、圧倒的多数派があると少数派を殺してしまう。このため軍の運用が極めて難しい地域として知られている。
丹念に資料を頭に叩き込み最後の一枚、すると様相が一転して全く関係のない南レバノン軍管区のものらしい紙が混ざっていた。読むべきか迷ったが中佐が意図して残した可能性を考え読み始めた。
――これは南レバノン軍の資料だ!
なにが違うか、それは過去に南レバノン軍管区に配属された少佐が軍を率いて独立、南レバノン共和国を興した時のものである。南レバノンはイスラエルの侵略を受けていたため、少佐はバラバラになった軍を統合し、国家として独立を果たしてしまった人物である。
少佐はキリスト教徒であったが軍にはイスラム教徒も多数混ざっていた。それなのにまとめあげることが出来たのはイスラエルが裏にいたからである。イスラエルの傀儡として南レバノン共和国を作り上げ、統率がとれたところでレバノンへと統合してしまった曲者で、イスラエルを利用するだけしてこの世を去ったのだ。
「中尉もこれに目を通した方が良い、それとだ最後は破棄しておいてくれ」
――これが置いてあった意味を正しく理解する必要があるな!
資料を手渡して謎かけのような言い回しに怪訝な表情を見せる。一瞥して最後だけが異質な内容と気付き頷く。
「こうまで複雑だと夢か現実かの境界線すら迷ってしまいそうですね」
訓練が目的とはよくぞ言ったものである。だがより一層の要求に対して、二人は信頼の証と解釈することにした。
◇
イスラエル北方司令部。ユダヤ人国家として中東に確固たる地位を築いたのは最近のことである。そこにたどり着くまでに苦難の連続があり、老人層としては現状に大した不満はない。しかし壮年より若いものにとってはこれからだとの気持ちが強い。
バックボーンの最たるものはアメリカ移民のユダヤ人で、彼らの血がにじむような努力と才覚で蓄えられた資金がアメリカ議会に流れ込んでいる。これにより超大国の強力な支援が直接的、また世論を含めた間接的な形でフィードバックしている。
その割合は驚くべきもので、イスラエルへの支援だけで他の中小国家の軍事予算を越えてしまう額が使われている。その国でパレスチナのエルサレム聖地問題と同じだけ注目されているのがレバノン紛争である。
昨今何十年と不安定な状態を続けており、国境付近では頻繁に戦闘が繰り返されていた。レバノンとの国境は北部方面軍が管轄し、地区の直接的トップはバラケ大佐である。
彼は金の力で地位を手に入れたようなもので、生粋の軍人とは言い難い。そこへ一人の男が訪れる、ネタニヤフ少佐、能力的に芳しくない大佐の代わりに実務を処理している。
「大佐、モサッドからの情報です。レバノン陸軍は三人の軍事顧問を雇用しました。オーストリア人の中佐に、日本人の大尉、ウズベク人の中尉です」
モサッドとはイスラエルの諜報機関で世界で最も優秀と評価されている。日本でも有名であり、こちらではモサドと表されていた。
「随分とバラバラの地域からではないか。傭兵の類かね」
三カ国共通の組織を考えてみたが特に思い浮かばなかった。
「フランス外人部隊出身のようです。しかも除隊直前の原隊が落下傘連隊です」
「してフランスでの階級は?」
大佐も外人部隊の精強さは聞き及んでいるようだ。外人部隊の中でも歩兵連隊より落下傘連隊、その中でも第2外人落下傘連隊が一番手強い。
「オーストリア人が少佐、日本人が軍曹、ウズベク人が上等兵でした」
モサッドの凄いところは機密になっているはずの除隊階級を難なく調べ上げたことだ。特に海外で作戦することが多い外人部隊の機密は堅く守られているのに。
「では事実上はその中佐しか役にたたなそうだな」
大佐が見識の低さを露呈する、少佐は粘り強く説明を続けた。
「外人部隊の伍長は戦時に小隊長を勤められるように鍛えられています。軍曹ならば中隊長に匹敵する猛者とご理解下さい。彼らは年次で昇進してゆく一般的な軍隊とは内容を異にした訓練を積んできています」
事実アフリカ諸国や南米の小国家に軍事顧問として入り込んだ伍長らは、その国の主力軍の顧問官として信頼を得ている。軍が信頼すのるのは一も二もただただ能力である。
「ふむ、それでその顧問を君はどうするつもりなのだね」
自身の意見があるわけではないため全てこのように少佐に丸投げをしてきた、これからもそうするだろう。
「彼等の政治的動向を把握し、殺害するかどうかの判断をします。よろしいでしょうか大佐」
うーんと暫く考えるふりをして回答を引き伸ばし、さも納得したかのように了承した。それで充分と少佐は割り切っている。ネタニヤフ元首相と同じ名を持つ彼には、イスラエルさえ良くなるならば多少の不遇や不適切な人事など小さなことなのだ。
司令室を後にすると大佐の副官であるバルフム大尉とすれ違う。彼はもの静かな人物で黙々と職務をこなすタイプで表情をあまりあらわさない。そんな大尉を大佐はあまり好んではいないようだが、何より居なくなれば大佐自身の仕事が処理できなくなるために側に置いている。
有能な歯車と考え少佐は彼に友好的に接している。それを知ってか知らずか司令部に入る秘密情報を少佐にリークすることがままある。そのため少佐も大尉の為にアイデアを与えたりと持ちつ持たれつ付き合っている。
大佐が問題地域を解任されないのは比較的納得行く形で物事が収まっているからであり、結果としてこの三人の関係はプラスに作用していると上層部では認識しているようだ。
「大尉、ヒズボラの動きはどうだ」
「相変わらず我が国への攻撃をやめません。中央の統制から離れているのは事実でしょう」
南レバノン軍管区はシーア派の拠点だけに、当然司令官もシーア派で地域にはヒズボラが勢力の根を張っている。レバノンとしては軍にテロ組織の制止拘束どころか殲滅命令を出しているのだが、司令官は鋭意努力中と返し全く従うつもりはない。ヒズボラに武器を横流ししたり、訓練場所を提供するなどお手の物である。
「ならばまた南レバノンとベイルートに空爆を加えて代償が高くつくことを教えてやるとしよう」
イスラエルからレバノン政府への圧力は、その度が過ぎて暴力へと移行している。レバノン政府もやりたくて攻撃をしているのではなく、ヒズボラが勝手にしているのだから始末が悪い。ここに島らが雇われた要因が見受けられる。
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