第11話
「遠路はるばる疲れているだろうが、陸軍司令官に面会してもらう。副官が時間を貰えるように出向いているところだ」
「お気遣いありがとうございます。我等はこれからすぐに訓練に出ても問題ありません」
事実移動で体が鈍っていてランニングでもしようかと考えた程である。そこへ若い中尉が報告のために戻ってきた。
「紹介しよう、副官のハラウィ中尉だ。こちらが島大尉日本人、そちらはロマノフスキー中尉ウズベク人だ」
若い中尉が背筋を伸ばして敬礼し、改めて名乗る。島も答礼しロマノフスキーが続く。
「まずは着任の報告に行こう。この部隊の直属上級司令部のベイルート軍管区司令官だ、未来の軍務大臣と目されている人物だよ」
そう説明すると何故か中尉が照れ臭そうにした。更衣室を示されて軍服を支給される、これを着ると心が自然と引き締まる。上級者の執務室は別棟にあり、一旦渡り廊下を巡ってから階段を登る。エレベーターは来客用だよと中佐に注意を受ける。
中尉が扉を開けて中へ入ると、壁に十字架がかけられた部屋に壮年の中将らしき人物と、副官の大尉が待っていた。促されてフランス語で着任を告げる。
「島大尉です。レバノンの地に平和が訪れるよう、軍に忠誠を誓います」
「二十七歳で大尉か、現場組は若い方がよい、期待している」
簡単なやり取りを終えて退室する、その時タイトなスーツを着た女性と擦れ違う。
「あら、お兄様」
アラビア語でそう言ったのが聞こえた、中尉が軽く手を振っていたので兄妹なのだろう。
――全員マロン派ということか。
「さて大尉、部隊の者との顔合わせは明日だ。今夜は私の招待でコンチネンタルホテルで食事をしようじゃないか」
「はい中佐、ありがとうございます」
「では中尉、大尉を官舎に案内したまえ」
中佐の配慮で一度落ち着けることになった。丁寧にフランス語で「ついてきて下さい大尉殿」と二人を先導しビルを出る。道路脇にハンヴィーと呼ばれるアメリカ製のジープが止められており、アラブ人の兵が待っていた。
と言っても個別の名称ではなく、多機能車両の総称がハンヴィーとして知られている。それに乗り込み官舎へと向かう、ここでも瓦礫が沢山積まれていて傷痕の大きさがわかる。
「中尉、さっきビルですれ違ったのは君の妹さんかい?」
「はい。大尉はアラビア語を喋られるんですね」
指で少しだけと仕草をして苦笑いする。過大に評価されるよりはあまり理解していないと思われた方が安全だ。
「レバノンでは女性も軍務を?」
「キリスト教徒の女性は働きますが、軍人は居ません。あれは秘書として勤めているんですよ」
イスラム教徒の女性は服装を義務づけられているし、何より男性社会に関わってはならない戒律がある。
「それにしたって中将の秘書とは素晴らしいコネを持っていることになる」
「ええ、まあ……親子ですから」
少し言い辛そうに関係を明らかにする。
――なるほどな中佐は良い駒を握ったわけだ。
車で移動する必要も無いくらいに近い場所で兵が着いたことを知らせてくる。官舎でも宗教各派ごとにまとめて設置されているようだが、ここにも十字架がかけられている。
「マロン派ではなく少数派のアルメニア正教です」
多数派閥の管轄する宿舎に拠ればやりづらかろうことを見込んでのことだろうが、こうまで宗教が徹底して生活にも根付いているのは大変なものだ。
「ありがとう中尉、後は自分達で出来るよ」
「はっ、それでは後刻お迎えに上がります」
人の好い青年だ軍人よりは会社勤めのほうが格段似合っている。宿舎の管理人の女性は聞いたこともない宗派の信者で、どうやらここならその他大勢との立場で気楽に寝起き出来そうだと胸をなで下ろした。
最初が肝心だとばかりに部屋の中に盗聴器が仕掛けられていないかを調べる。共産圏ならば大抵は複数見つかるのだが、ここでは一つとして発見できなかった。
これから長く使うわけだから安心出来るようにしておきたい。使い古した十ドル札を束にして胸ポケットに入れてある、アメリカの威光が効かない国は地球上に稀にしか存在していない。レバノンではレバノンポンドが通貨であるのだが、それ以外の通貨でも充分通用するそうだ。
国民の平均収入を日本円にすると四十万円程度になるのだが、税金などを控除した所得額は半分より少し残る位であろう。そしてこの管理人のような雇われならばさらにその半分、つまり百ドルが月収になる。
「これからよろしく頼みますマダム」
そうフランス語で話かけてすっと紙幣三枚を握らせる。何かと思い確かめた夫人は満面の笑みで「こちらこそムッシュ!」と応える。ロマノフスキーも同じように挨拶すると、クリスマスと新年が同時にきたような気持ちになった夫人が、何でもお申し付け下さいと力む。
「私達の部屋は小間使いを入れず、マダムが一切を担当していただきたい。そうして貰えたらきっとお礼が出来るでしょう」
そんなことならばとばかりに承知し「神に誓って!」と言ってから、「お二人は何教徒で?」と問われる。
「実は無宗教でして」
「まあ、ではレバノンの大地に誓いわたくしがお世話させていただきます」
それならばとありがたくお願いして官舎から足を踏み出した。
「地獄の沙汰も金次第ですね大尉」
「ああ、だが変な信念なんかよりよっぽどマシだと思うよ」
この先散々悩むだろうことを考えて、中尉がごもっとも相槌をうつ。首都だというのに路上では物乞いをしたり、隙あらば荷物を盗もうとしているような目つきの子供がちらほらと見られる。
宗教に拠る都市であってもこれは解消されないものなのだろうか。逆にこのような状況だからこそ宗教に傾倒するのか、俄かに理解しづらい現実が目の前にある。
軍服は目立つ。没個性の象徴ではあるのだが、異国人ゆえにアンバランスさがある。この姿のお陰で特段面倒に巻き込まれていないとの恩恵がないわけではない、だからと言って存在を誇示するようなのもどうかと思う。
「いずれ俺達のことは知れ渡る、逃げ隠れしても仕方ないと割り切ろう」
この視線がこれからどんな感情を込められてゆくか、今はまだ本人にもわかりはしなかった。夜になり中尉がハンヴィーで迎えにきてくれた。見知らぬ街を夜間に運転しても良いことは少ないだろう。
「オーダーが間に合わなかったからこの軍服のままで失礼するよ」
礼装ではないが正装ではあるため問題はないが断りを入れておく。
「準戦時なのでそのまま大統領に謁見も出来ますよ」
言われてみたらそうかも知れない、戦時であれば敬礼も挨拶も省いてすぐに本題を話しても非礼にあたらない。昔の言い方ならば、不拝不礼と表すことが出来る。準戦時、現在は停戦中であり国際法に照らし合わせれば戦時ではないが、いつ停戦が破られるかわからないため警戒して平時宣言を控えているわけだ。
世界各地にあるコンチネンタルホテル。最低でも二つ星と言われるように高級指向のグループである。当然そこで出される食事も厳選されており、値段も正比例している。現地価格としては冗談ではない値段でも、外国人にとっては貨幣価値が一割程度のために何でも格安との感覚で利用出来た。
中尉の案内で上階のレストランへと足を運ぶ。テーブルには既に中佐が席についており、その隣には初めての人物が座っていた。年の頃は中佐よりやや上だろうか、姿勢や雰囲気から軍人のように見受けられる。
いくら招待を受けたからと目下が後からきてしまい申し訳ないと謝罪すると、中佐は友人と話がしたくて早めにきていただけだ気にするなと言い同席者を紹介する。
「島大尉とロマノフスキー中尉だ。こちらレバノン駐在武官のブリアン中佐だ」
「初めまして、フォン=ハウプトマン中佐の部下で島大尉です。発音し辛いようでシーマと呼ばれていますが」
「フランスの駐在武官、ブリアン空軍中佐だ。君の噂は聞いているよ、チャドで不時着機の乗員を救出してくれたそうじゃないか。私からも礼を言わせて貰おう」
和やかな空気で会食が始められた、ブリアン中佐はレバノンに赴任してもうすぐで三年になるという。任期までそんなに日数が残されてはいないそうだが、可能な限り助力すると約束してくれた。
「ここに来るまでにあちこちで瓦礫を見たのですが、レバノン空軍は要撃していないのでしょうか?」
少なからず戦闘機や局地要撃機が配備されてはいるのだろうが、やはり首都が空爆されるのはいただけない。
「したくても出来ない、それならばまだ良い方だ。レバノンには戦闘機が一機もないんだよ大尉、つまり空戦は視野に無い」
空軍中佐としては他国のことでも面白くはないだろう。戦闘機が無いということは制空権を諦める、空挺や空爆、空輸など全て未然に防ぐことが出来なく三次元の戦略が薄っぺらい運用になってしまう。
「友好国や軍事国から供与の話も少なからずあったと思うのですが?」
「あったようだよ、ソ連からMigの無償供与などがね。しかし戦闘機ではなくヘリを運用したいと考えていたみたいでそれらは拒否したそうだ」
タダより高いものはないとは言ったもので、無償供与を受けたら装備のメンテナンスや教導で人員派遣が始まり次々と侵食し始める。こうなると言いなりになるしか無くなり、徐々に共産化が……とのシナリオだ。
それでアメリカからUHー1イロコイやSA342ガゼルなど、多目的ヘリを購入する運びとしたようである。アメリカとしては兵器を買ってくれるならば細かくは問わず話を進める、軍需産業が国を支えているからに他ならない。
「アメリカはイスラエルにも兵器を売っている。イスラエルは何とレバノンと交戦するのにも関わらず兵器売る、無論表立ってではなく第三勢力のブローカーを経由してだがね」
ブリアン中佐が指摘する内容をハウプトマン中佐が裏付ける。
「陸軍の装備にもイスラエル製が散見されるからな、片手で握手しながら片手で殴り合いしているようなものだ」
どこにでも抜け道はあるようで、名目も兵器の研究などとして予算を獲ていたりする。コース料理が運ばれてくる、どれもこれも満足いく出来映えでパリで食べたなら、ゆうにビールケースが一グロスは手にはいるだろう金額を請求される。
それなのに五人で十九万レバノンポンド、一人当たり日本円で二千円程度でしかないと聞かされて驚いた。
「ベイルートの治安が良くなれば、観光客が外貨を落としてゆきます。その為替レートを考えたらレバノンの為に何としても安全を確保せねばなりませんね」
資本の世の中である、正義の大多数はお金で買えるとの世界共通認識を改めて感じた。近くに誰もいないのを確かめて会話を続ける。
「イスラエルを打倒するのは現実的に無理だ、あちらにはアメリカがついているからな。だからヒズボラをレバノンから追放するのが解決への道だよ大尉」
だが法によりシーア派の議席数が二十議席と規定され、首相はシーア派から選出される慣例が続いている。法改正をするならばキリスト教議席数が過半なので変えることは可能だ、しかしイスラム教徒の人口がより多く、武力で抵抗されたら国を割っての戦いになりかねない。そうなれば南レバノンをヒズボラが占領し、そこにイスラエルがまた侵攻してくるのは目に見えている。
マロン派としてはシーア派のヒズボラを上回る戦闘部隊を保持し、話し合いで落としどころを決められる可能性があるスンニ派に第二政党になってもらいたいと考えているようだ。
「明日紹介するが、大隊にはマロン派シーア派スンニ派の中隊長が一人ずつ配属されている。大尉君ならどうする?」
――そこで俺の出番と言うわけか!
説明された内容を吟味して中佐欲している答えを導き出そうとする。そして更にその先を抑えねば信頼感など出てはこないだろう。
「方法論を無視つもりはありませんが、レバノンの独立性を保ちながらイスラエルとヒズボラを寄せ付けず、シリアの介入を避けるにはアメリカしかないでしょう」
即ち絶対的な力を背景に安定を図る、他力本願と呼ばれてしまいそうな発言である。
「アメリカが正義の心を発揮するためにはかなりの代償が必要だと思うが」
「アメリカが支持するイスラエルとの講和。レバノン内のパレスチナ人の追放。テロ支援国家シリアとの対決。そして親アメリカ政権の発足、その下地としてヒズボラの勢力減少とキリスト教の戦力強化でしょう」
言うは易しだ。誰にそんなことが出来るのだろうか。
「大尉の考えが私と軸を同じくしているようで嬉しい限りだ」
「一つ確認があります。大隊の訓練兵の人数を増やすのは可能でしょうか、それも外国人を」
意図をはかりかねた中佐が政治的な理由や法規的な規約を副官に確認させる。
「はい、訓練査証をベイルート軍管区司令官の名で発行するのが可能のようです。もっとも予算は大隊からとのことですが」
大隊の契約書となるのだろうか、特殊規約による取り決めを調べて回答する。
「レバノン軍の軍事予算を概算し、独立大隊に割り当てられた予算は推計ですが五十万ドルあたりではないでしょうか?」
大隊を六百人前後と見込み、陸軍所属の将兵の給与は除き、運営資金としての予算を推察してみる。
「当たらずとも遠からずだな。大尉と中尉の契約金は補正してもらっているからな」
言われて自分に一番予算を割かれているのを思い出した。ロマノフスキーにも十万ドルは使っているだろう。
「訓練との名目で軍事体験ツアーを大隊で主催し、主に日本からの客を見込んではいかがでしょうか」
ハワイなどの射撃場でのプランもあったりするが、使える火器や場所が厳しく制限されているために、観光ついでにとの色合いが濃い。その点レバノンならば種類も豊富で割安なツアーが開催出来る、その上で査証を発行出来るならば利用もしやすいだろう。
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