第10話 本編(第一部)

 伝言が何かの罠とは考え辛かったが、行動を一部始終観察してテストを行っている可能性がある。それが何かはわからないが、島のことを調べて連絡してきたのだから用事があるのだろう。


 ホテル・リッツには一八〇〇つまりは午後六時に早めに到着し、周囲を探り退路の確認をしてからラウンジへと向かった。出入り口が見渡せる場所で、背後が壁の席を選んでビールを注文し客を観察する。


 フォン=ハウプトマン。由香にコンタクトするためにフランスへ向かう途中に列車で話し掛けられた、完全に行動を察知しての接触だった。今日のことでもそうだが情報が流出しているのは間違いない。

 ――はてさて一体誰が何の目的で?


 フランス行きの列車、フラットの連絡先、除隊の日時それらを知っていたのは第8中隊の将校や担当下士官しかいない。では目的はと聞かれたらそれはフォン=ハウプトマン退役少佐にあってみなくてはわからない。


 時計の針が一九〇〇を指した瞬間にラウンジに見覚えがある男がやってきた。ドイツ人それも将校は時間の少し前に約束場所付近に行き、数分待ってから時間丁度に現れる。これがイギリス人ならば少しだけ遅れて現れ、日本人なら少し早まり、イタリア人なら二時間遅れ、アメリカ人なら気が向けばやってくる。退役少佐が姿に気付いて近付いてきたため起立して敬礼する。


「伝言をいただいたので参りました少佐殿」


「よくきてくれた島軍曹、まあかけたまえ」


 促されて席につくとやってきたボーイにチップを渡して、テーブルの傍に客を暫く座らせないようにと頼んだ。前に会った時より何だか精悍に見えるが気のせいなのかどうか島は困惑した。


「私は人員を求めている、それも指導者をだ。単刀直入に聞こう、島軍曹貴官は今後も軍人を続ける気はあるかね?」


 軍へのスカウトが目的と聞かされて島は直感した、少佐へ情報を流したのは曹長だ。あのファッキンマスターサージはどうやら他人の人生を左右させるのが趣味らしい。


「あります」


 外人部隊を除隊はしたが軍自体に嫌気がさしたわけではなかった、むしろ適性を感じていた。


「うむ、改めて自己紹介しよう。ヴァルター・フォン=ハウプトマン、レバノン陸軍中佐だ。元はフランス陸軍外人部隊に所属していた」


 ――現役に復帰したのか! だから精悍に見えたんだな。


 脇に抱えた鞄から書類を取り出しテーブルに置く。


「君を陸軍大尉として私の独立特殊大隊に迎えたい。年俸は二十万ドル、部隊任務はレバノン国防軍の強化訓練の実施だ」


 あまりに破格な条件に一瞬聞き違いかと思い確認してしまった。四階級特進とは穏やかではない、身に余る待遇だとその評価の理由を問う。


「過分な評価を戴きありがたく思いますが、正直自分にそこまで価値があるとは思えませんが」


「外人部隊に入隊し、五年で軍曹になった逸材だ。アルジェリアでの任務を始めとし、エリトリア、チャド、コートジボワールの実戦経験は昨今では珍しいキャリアに他ならない。日本人で無宗教なところもこの際重要なポイントだ、レバノンは宗教が行動を阻害する。無宗教には支援が少ないが妨害を受けないのは極めて高いアドバンテージになる」


 確かに日本人は信仰心に薄いと言われ自覚もしている。今更ながら外人部隊がいかに厳しい集団だったかを説明され、正直そんなものかと納得するのには時間が掛かった。


「中佐殿のお考えに納得しましたので、この話を受けさせていただきます」


 書類はフランス語で書かれていた、入隊契約書である。促されて空白にサインをし、中佐も隣にサインをする。


「結構だ。今から貴官はレバノン陸軍島大尉となった。何か質問はあるかね」


 それは儀礼的な問い掛けであったが、思い付いたことを一つ質問した。


「コルシカの外人部隊にロマノフスキー上等兵というのが居ます、彼を私の副官として採用は可能でしょうか? 彼は元ウズベキスタン軍の少尉という経歴の持ち主です」


「大尉が望むのならば手続きをしよう。優秀な人材は何人でも歓迎だよ」


 意外なおまけが釣れたとばかりに表情に笑みがこぼれる。ロマノフスキーは中尉の階級が約束され、二人の着任は三カ月以内にベイルートと決められた。


 中佐署名の身分証を渡されて、可能ならばアラビア語を話せるようにしたほうがよいと助言を受ける。レバノンではアラビア語の他にフランス語と英語が通じるので理解出来ずとも勤務は問題ないらしい、しかし能力を試されているのがわかったため、これから三カ月で集中的に勉強すると誓った。


 それから直ぐにロマノフスキーに連絡をつけ話を持ち掛けると、期待していた通りに「ダー」と応えた。三年契約の途中であったが次の行き先が"元外人部隊の上官"ハウプトマンであるために曹長が大尉に話を通し、同じく元上官との関係であった大尉も除隊を受理した。


 何だかんだと言ってもコネとは世界共通で強力なものである。パリ駅の広場でロマノフスキーを出迎えた島は、彼を見付けて右手を差し出した。


「断られたらどうしようかと思ったよ」


「自分には断る理由がありませんから。何より将校待遇を提示されたら魅力を感じないわけがありませんよ」


 ガッチリと握手した二人はタクシーを拾い中心部へと入った。二人の会話は専らフランス語であるが、雑談をするときには意識的に島はドイツ語、ロマノフスキーはロシア語を織り交ぜるようにしていた。昼間から開いているバーで契約書にサインをしてもらう。


「改めてよろしく頼むよ中尉」


「何だか照れくさいですね。けれど向こうでは私達の前軍待遇を知らないでしょうから毅然とせねば」


 レバノンではアラビア語が必要になる、そのため短期間で可能な限り詰め込むために、アラビア語が出来る者を専属で雇い入れ共に暮らして覚えようと話をまとめた、期間は三カ月後の着任ぎりぎりまでだ。


「だが女性はお断りだな、変な言葉を覚えちまったら大変だ!」


 確かに、と二人で杯を傾けながら笑い、将校は武装全てを自前で用意する必要があるのを思い出し、レバノン陸軍で手に入る弾薬の種類などを調べることにした。


 フランス国防省の出先機関である大陸軍人調査研究所は誰でも利用することが出来る。各国軍の制式装備の一覧写真や挿し絵入りで詳しく説明されている。当然のようにフランス軍のものは無いし、重要な部分は身分証の提示が求められた。


 最近の武装は八割がアメリカ製品なのがわかった、残りはイギリスやフランスであり、古いものはソ連の遺産すら現役とのことである。敵対しているイスラエル軍もアメリカ製品のため、死の商人とアメリカが呼ばれているのがよく理解できた。


「これじゃあ敵にやられたのか味方にやられたのかわかりませんね」


 中尉が苦虫を噛んだかのような表情を浮かべる。東西対立の時には発砲音で敵味方が区別出来たのだが。


「国内でも対立が激しいらしいから、本当にそうなったら参るな」


 その他の兵器や装甲車、航空機に至るまでアメリカ色が濃い。戦闘機を持たずにヘリのみだという特徴もあったが、単に戦闘機を維持管理出来ず費用の問題からだと窺えた。


 レバノン、シリア、イスラエルのページをコピーするように依頼し、外人部隊の除隊証明書を提示する。すんなりと資料を手にして「やはりアラビア語がだな」と呟く。


「そればかりはボタン一つでとはいきませんからね」


 他人事ではないだけに彼の言葉尻には先の苦労がにじみ出るようだった。郷に入れば郷に従え。この言葉が示すように方言を含むだろうアラビア語の教師に雇ったのはレバノン人留学生だった。言葉だけでなく現地の風習知識を少しでも得るための選択でもある。


 パリ・ソルボンヌ大学に留学していたマフート・スレイマンと名乗る二十代前半の若者はベイルート東部の山岳出身とまさにうってつけである。イスラム教徒ではなくキリスト教徒であったのも幸いした。


「私達と一緒の時には容赦なくアラビア語だけで接してきて欲しい」


 そう約束事をすると大学の講義がない間はずっと雨あられと生のアラビア語を聞くことができた。ある程度の日数を過ぎると当然日常の簡単な会話が出来るようになり、軍事関連の単語を混ぜるようリクエストしてみた。


 何故と疑問を発することなく彼は教師の仕事を続けてくれた。爽やかな青年で男から見ても魅力的な人物であるのが感じられる、カリスマ性があると言うべきだろうか。島の果たした任務で差し支えないものを話したりしてゆくと、当時の判断に賛意を述べてくれたりした。


「素晴らしい、救出を待つ仲間の為チャドに、それも一人と欠けることなく脱出させた! 島さん、あなたは真の戦士ですね」


「ショクラン」


 覚えたばかりのアラビア語でお礼を言う。注意深く世界ニュースを調べていない限りはそれがフランス外人部隊のものとは結び付けまい。


 何度も説明をやり直したために余計に伝わり辛かっただろうが、いやな顔をせずに間違いを指摘し正してくれる。同じ様にロマノフスキーがエリトリアで戦車と戦ったことを語る。


「あなた方は戦うために産まれてきたような人達ですね、ムジャヒディンいえアスカリです」


 ムジャヒディンはイスラム教徒の聖戦に参加する戦士のことだが、宗教が違うためにアスカリと言い換えた、こちらは兵士や戦士の意味らしい。レバノンではイスラム教徒を持ち上げて応対しておけばよく、キリスト教徒は穏健派が多いようだ。だがそれも相手次第で、キリスト教徒もヒズボラに対しては厳しい態度をとる。


「出来るだけ国内の状況を教えてもらいたい」


 現地人のざっくばらんな感想を求めてみる。スレイマンがキリスト教徒なのを差し引いて聞かねばなるまい。


「シーア派のヒズボラがイスラエルと諍いを起こすために南レバノンが無政府状態の一歩手前です。マロン派はヒズボラを国内から追放したいけれどイスラム教徒の数が多くて難航しています。むしろマロン派は自国を攻撃するイスラエルと手を組みヒズボラを倒そうと試みているようにすら見えます。スンニ派はヒズボラと話し合える唯一の勢力ですが、中道的な為イスラエルやシリアだけでなく、マロン派、シーア派とも距離を置いているためなかなかまとまりません」


 出来るだけ単純化してもらったのだがそれでも複雑な状況である。宗教がかかわると妥協が出来ない部分が混ざるために始末が悪い。反対の為の反対は少ないのだが、是か非かのみの答えばかりになるのが混乱を助長している。


 これにパレスチナ人を含めた民族問題を追加し、シリアによる東西冷戦の影響を追加する必要があるのがレバノンだと言う。


「仮に自分がレバノン人だとしても解決出来る自信は持てません」


 肩をすくめて溜め息をつく。つられて島も二度、三度頷く。


「こればかりは全知全能なるアッラーも解決出来そうにありませんからね」


 純粋に任務だけに集中するのが難しそうなのが理解できた。着任までにアラビア語だけでなく、政治と宗教の勉強もしなければならなそうな空気を感じる二人であった。


 ベイルート空港。赴任猶予期間を二日残して二人はレバノン首都・ベイルートの空港へと降り立った。十字軍が興る前より栄えていた港湾の大都市である。空港アナウンスは世界共通なのだろうか、アラビア語に次いで英語があり、最後にフランス語で繰り返された。


 彫りが深く茶が濃い人間が多くアラブ人国家なのがよくわかる。入国審査で目的を聞かれると「仕事だ」とフランス語で答える。詳しく問い質してきたため中佐が発行した証明書を提示すると渋い顔で通過を許可した。


「傭兵なんてどこでも良い顔はされないさ」


 ロマノフスキーへ自嘲気味に語りかける。街並みは発展的であるのだがあちこちに瓦礫がつまれている。


「何故あんなに瓦礫が?」


 運転手にフランス語で問い掛ける。


「ありゃイスラエルの空爆のせいでして。酷いもんで全く容赦ない」


 首都を続けて空爆していたとは聞いてはいたが、かなりの被害があるようだ。そりゃそうだとばかりに搭乗時に預けた荷物を回収する。タクシーを捕まえるとレバノン統合司令部LAFのビルまでと告げ


「イスラエルを攻撃してるのはヒズボラなんだろう、なら首都空爆ではなく直接反撃して欲しいものだな」


 運転手の様子を見ながら話を続けてみる。


「お客さんはキリスト教徒かい? 争いなんてしないで平和になってくれたらそれでいいんだがね」


 どうやらスンニ派のイスラム教徒だったらしい。LAFビルに横付けする、高層ビルを見慣れた二人には地方の市庁舎より小さな建物の迫力の無さに、国力の低さを感じた。入り口には歩哨がおり外国人二人組が入館しようとするのを差し止める。


「この先は許可なくば入れない、観光なら西側の地区だ」


 英語で呼び掛けてくる、手にしているのはM16A1、アメリカ製の歩兵ライフルだ。


「レバノン第6特殊独立大隊顧問官島大尉だ、勤務ご苦労」


 証明書を提示して歩哨を下がらせる。東洋人に続くスラヴ人も顧問官の証明書を持った中尉だったので、歩哨らは不思議な顔をして通行を許可した。受付でハウプトマン中佐の執務室を聞いて進んだ。擦れ違う者が珍しそうな視線を向けてくる。


 角を曲がり長い廊下を行くと執務室の扉が一カ所だけ開け放たれている。外人部隊の慣例を踏襲しているのがわかった。足音を響かせながら気付かれるように近付き声をかけて入室する。


「申告します。島大尉、他一名、只今着任致しました」


「ご苦労、楽にしたまえ。貴官がロマノフスキー中尉だな。フォン=ハウプトマン中佐だ、よろしく頼む」


 整理整頓されて清潔さが漂う部屋は中佐の性格を顕している。他に副官らしき姿が見えない、隣の部屋にでもいるのだろうか。


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