第6話
「あいつ等だ!」
つい声を出して立ち上がってしまった島は、そのまま曹長のところへと駆け出した。付き合いが長いファッキンマスターサージへ、あらましを説明する。何かの資料をまとめながら、黙って話を聞き流しているように見えた。
「話はそれだけか?」
相手にされていないと感じた。しかしだからと言って何ら証拠があるわけでもなく、妄言の類と一蹴されても仕方ない内容であるのは、自身も理解していた。それだけです。そう言い残して戻ろうとする島の隣を通り「ついてこい」と肩を叩く。
廊下をすれ違う隊員らが道を空けて敬礼する。何だか偉くなったものだと、余計なことが頭を過ぎった。将校執務室がある中枢部へと足を運ぶ、やってきたのは8の文字がつけられた部屋の前である。
曹長がノックし名乗る、お決まりの返事があり共に中へ入る。当然目の前には大尉のデスクがあり、側には従卒が控えていた。
「プランの提出であります」
要件を述べて先ほどまとめていた書類を渡した。その場で大尉が目を通すと、満足いくような内容だったのだろう、小さく頷きながらペラペラと捲ってゆく。最初から清書だけを任せたのか、内容検討をさせたのかは不明だが、全てを読み終えて「結構だ」とだけ発した。
「大尉殿、追加の報告があります。シーマ軍曹がハッサン・ウサマ・アブダビをフランスで目撃した可能性が」
その時初めて自分が連れられてきた理由が明かされた。確認するように島を見つめる。
「はっ。去る一年半ほど前、正確には契約継続をサインしての休暇中、フランス郡部にある美術館で、ハッサンと呼ばれていたアラブ人が、ファタハ、ハマスなどと喋っていた四十代の男のことです」
風体が知られておらず、凡その年代が囁かれているだけの、謎の過激派幹部の一人である。若い頃にフランス留学をしたらしく、フランス語を理解することから、ヨーロッパフランス周辺で司令塔として暗躍しているところまでしか調査されていない。
確信がもてるわけではいが、一つの細い糸が作戦に彩りを与えうることがあると、頭の隅に報告を留め置いたようだ。その場を退出しモンタージュらしきものを作成可能かと問われたが、言葉の内容ばかりが印象的で、困難だと返答する。
「当時ジャーナリストを目指す女性と同行しており、彼女が偶然写真に収めた可能性があります」
デスクで指をトントントンと鳴らして、曹長が判断を下した。
「島軍曹に指令を与える。速やかに最善と思われる方法で、そのジャーナリストとコンタクトを取れ。期間は一ヶ月とする、経費は一万フランを前渡しにし、不足は後に決済だ」
思いがけないところから意外な命令を受けた。主計から現金を受け取り、どうするべきか一人考えを整理することにした。
詳しく理由を告げずに、小隊の伍長らに後を頼むぞと言い残す。小隊長である中尉には、指令が下ったため暫く不在になると申告する。パリで調査をするつもりだと述べると、知人の警部に連絡しておくから必要ならば協力を求めたらよいと、手配してくれる。
イタリアへの連絡船に乗ると、数十分で港に到着する。下船時にフランスの身分証を提示した。実は外人部隊に没収されていた日本旅券も返還されていたため、二種類の身分証を使い分けることが出来る。必要になり日本へ行くならば、フランスの身分証より日本旅券が有利に働くから、との配慮である。
イタリアからは列車でフランスまで直通だ。これにはコルシカから新入りが、外人部隊を追放される道筋と同じであるため、苦笑した。列車の混雑はほぼないのだが「失礼、こちらよろいしかな?」と中年の凛とした男が声をかけてきた。もちろんと返事をして、その男を観察する。
背筋を伸ばして座る姿勢は、軍隊経験者だろうとすぐにわかる。外国人が喋るフランス語訛りで、顔立ちは中欧によく見られる感じだ。
「パリに向かっているところでして、そちらは?」
男は私もだと答え、オーストリア出身のドイツ人だと名乗った。島も、日本人でパリには彼女に会いに行く、と照れながら話した。
「ヴァルター・フォン=ハウプトマン退役少佐だ」
突如としてそう名乗られ、島もどうしようか迷ったが、素直に自分も名乗ることにした。
「島龍之介軍曹です」
軍隊は所属や現役退役を無視して、階級での上下が絶対である。それと知って無礼な態度をとるのは、自らを否定するのに等しい。権力機構や序列構築とは、そのような側面を持ち合わせている。
ハウプトマン、つまりはドイツ語で大尉との姓で、祖先も軍人だったことを意味し、更にユンカー(騎士や貴族)の称号であるフォンを複合姓としていた。そのうえ本人が退役少佐となれば、話の筋が見え隠れする。
「構えることはない、今日はただの挨拶にきただけだよ」
疑問は残るが、その先を話すつもりはないらしい。パリに着くまで当たり障りのない会話を交わして駅で別れた。悪い人ではなさそうだな。まず彼女がどこにいるのかを、突き止める必要があった。名前以外にはジャーナリストを目指しているとの手掛かりしかない。
まずは拠点となる場所を確保するために、いつもの週契約のフラットを訪れる。管理人のお婆さんに、コルシカ土産を手渡すと殊の外喜んでくれた。
「この歳になると訪問してくれる友人も少なくなってね、ありがとう」
さり気ない配慮で、すぐに前回と同じ部屋を用意してくれた。もし連絡があれば受けておいて貰えるように、と言い残して街へと出掛ける。
早速、中尉に紹介して貰った警部に渡りをつける。カフェで待っていると、ジェントリースーツに身を固めた男が近付いてきた。他に日本人が居ないことを確認して「君がシーマか?」と話しかけてくる。立ち上がり姿勢を正して返答する。
事情を前もって聞いているようで、何ら説明もなく助力を了解してくれた。二人が向かった先はル=グランジェ近くにあるホテルだった。警部が警察手帳を見せて、協力するようにと要請する。
前に島が訪れた時の、宿泊客カードの開示を要求する。外国人旅券法により、ホテルに外国人が宿泊する際には、パスポートをコピーしておくようにと決められている。
ややあって、その日の宿泊客カードが箱に入れて提出された。事務室の一角を借りて一枚ずつ確かめてゆく。すると島のサインと、設楽由香のカードが見付かった。パスポートの写しには、手書きで日本での住所がはっきりと記載されていた。ついつい「これだ!」と声をあげる。
コピーしてもらい、カードを返却すると警部が「お役にだったようで何より」と言ってくれた。丁寧に謝辞を述べて、フラットに引き返すことにした。問題は彼女がその後に転居をしたかどうかである。いずれにせよ最大のヒントを得たのは喜ばしいことで、日本に行く必要があると判断する。
日本行きのエールフランスを予約する、明日一番の席がとれたので、今夜は外に飲みに行かずに大人しくしていることにした。羽田空港で入国し、乗り換えて丘珠空港へと向かい、北海道に到着する。時期は冬の盛り、札幌雪祭と重なってしまった。多くの旅行客が訪れているため、ホテルが満室となってしまっている。
宿泊は後で考えることにして、近くの公衆電話を探す。未だに電話帳が備えられており、許可があれば名前と住所、電話番号がわかる素晴らしくも、危険なアイテムである。
設楽と中央区を手がかりに捜すが、同じようなものがない。電話局にかけて番号案内を依頼するも、契約者が彼女ではないためか見つからなかった。
仕方なくタクシーを拾って、住所のところまで行ってみることにする。近くで降りて郵便配達員に、場所の詳細を聞いてみる。そこには設楽雄一と表札が掲げられていた。
突然訪問すると訝しがられてしまうだろうから、一旦その場を離れた。電話局に、設楽雄一の名前で案内をしてもらう。今度は見付かり、ようやく連絡先を確保できた。
公衆電話からかけ「設楽由香さんのお宅でしょうか」と確認口調で尋ねる。すると女性の声で「由香は不在です、どちら様ですか?」と問われた。
すぐにフランスで一緒になったことがある、島龍之介だと名乗り、日本に戻ってきたから連絡をしてみた、と答えると「あらまぁ」未だに由香がフランスにいると告げられた。なんだって!
手土産もあり、雪祭り観光がてら近くにきているのでと、訪問を予定してもらい、彼女と連絡をとってもらえるようにお願いした。実際に雪祭りを見て回り時間を潰す。コルシカの曹長にも、実家が見付かったと中間報告を入れて、資料としてファックスをしておく。
暗くなってしまったが、設楽家を訪問する。母親だろうか、電話に出た人物が玄関口に現れた。軽い挨拶を交わして客間に通されると、夫婦で話を聞いてくれることとなった。
パリ土産と持参してきた品を渡し、彼女と一緒に写っている写真を提示して「フランスの美術館のそばなんですよ」と話した。それまでは多少懐疑的であったが、楽しそうに写る二人を見て、ようやく得心いったようだ。
電話をかけたけど出ないと言われ、フランスでの連絡先や住所を教えてもらう。折角だからと夕食をと誘われて、久し振りに日本の食卓を囲んだ。そこで電話が呼び出し音を告げた、母親が出ると「由香」と聞こえた。
電話を代わり「君に逢いたくて札幌まで着ちまったよ」と言うと「嬉しいわ! でも今フランスなの」そう返され、思わず二人で笑ってしまった。何故家がわかったかなどは問われなかった。来なければならない理由があったと察したのだろう、頭の良い女である。何かあればフランスのフラットに、と連絡先を交換しあう。再会を約束し電話を代わる。
母親が向こうで「好い人がいるならしっかり捕まえておきなさい」と小言を由香に投げ掛けているのが聞こえて、苦笑いする。父親が島の旅行鞄を見て「今日はどこに泊まるのかね?」と質問してきた。
「着てから宿をとろうと思ったのですが、どこも一杯で。まさか雪祭りがこんなに賑やかとは」
ならば泊まって行きなさい、と好意を示してくれる。特に見通しも無いため、ありがたくそうさせてもらう。心配していた繋ぎもとれたため、まずは一安心と内心胸をなで下ろす島であった。
居場所がわかったために、翌朝の便で東京へ向かう。フランス行きのチケットを手にして、飛行機に飛び乗った。軍資金が半分位減ってしまったが、後はどうとでもなるだろう。
待ち時間で曹長に連絡をとり、コンタクトに成功フランスで協力を仰ぐ、と予定を告げた。空港でフラットに電話して伝言が無いかを確認すると、フランスに着いたら連絡が欲しい、と若い女性が電話してきていたと教えられた。すぐにコールしてみる、一回、二回……そして聞き覚えがある声が電話を受けた。
駅舎で手を振っている女性が駆け寄ってくる。そのまま飛び上がり抱きついてきた。愛らしさは変わらずに、少し大人の女性になったような感じがした。
「凄く久し振りね! 突然どうしたの、何か悪いことでも企んでるのかしら?」
「まさか逆だよ、悪い奴らを叩きのめしてやろうと思ってるのさ!」
「まあ、本当かしら」
時差があるため体は夜だと感じているが、実際にはまだ夕方にもなっていない。近くにアパートを借りたらしく、タクシーを捕まえて彼女の部屋へと転がり込んだ。
◇
部屋を見回してみる。どうやらまだ、ジャーナリストを目指すのはやめていないようだ。落ち着いてからようやく何があったのか聞いてきた為、あらましを説明した。フィルムをしまってある箱を取り出し、当時の日付の近くで撮り終えた物を並べる。
光に透かしてみてあたりをつけナンバーを確認し、インデックスをアルバムから抜き出した。渡されたインデックスを、じっと舐めるように見てゆくと、美術館の前後で撮った写真に、アラブ人が風景と一緒におさめられていた。
「居たこいつだ!」
フィルムを譲って欲しいと頼むと、二つ返事で承知してくれた。
「けれど条件があるの。次の機会に、あたしを従軍記者として連れてって欲しいの」
彼女はこの二年で強かに成長していたようだ。交換条件を頼んでみるよ、と返事をしフィルムを受け取る。
「それともう一つ、すぐに帰るなんで言わないで数日付き合ってよね!」
これには喜んでと即答して、夕飯にはまだ少し早いとばかりに、もう一度二人で楽しむことにした。
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