第4話

 セルビアを調べてみると、多様な言語が使われているようだが、島が話せる日本語、フランス語、英語、一部ドイツ語ではまさに話にならない。誰もぴくりともしないので、恐る恐る一等兵が手を挙げて「自分の祖母がハンガリー人なので少しなら」と申告した。きみは班の英雄たる資格がある。


「覚えておく」


 それだけ答えて準備を促した、一人あの二等兵だけが意味がわかったよう小さく頷いていた。やっぱり頭の作りが違うのかな? 察しがよい部下を感心して見つめてしまった。


 正式に派遣が通達されたのは、残暑が厳しい頃であった。我らが大尉殿の命令で、中隊は空路プリシュティナシティー入りをした。ユーゴスラビア連邦を構成したセルビアの南部、アルバニア北部との境目でコソボ共和国の首都である。


 コソボをセルビアの自治州と見ている国が、世界の四割。共和国と見ているのが四割、興味なしが二割である。フランス政府は承認しているようだ。


 コソボ紛争停戦監視団としてNATO軍が現地にいて、フランスも軍を派遣している。コソボ紛争とはセルビアからコソボを独立させるか否か、アルバニア系住民がセルビア系住民と争ったのが、主軸の話である。現地の住民構成はアルバニア系が九割、セルビア系が一割の比率でその他が少し混ざっている。


 何故外人部隊が派遣されたかと言うと、複雑である。現地のコソボ解放戦線、つまりはアルバニア系武装組織が、セルビア人やその他少数民族を弾圧しているとの訴えがあった。停戦監視団はその干渉地域を増やしたが、被害は一向に収まらない。


 更には解放戦線のコスタニツィ少佐が、アフガニスタンにヘロインを流出させている。生アヘンならばモルヒネとしての使い道もあるが、ヘロインではもはや疑いようもなく、薬物蔓延の手助けでしかない。


 フランス当局は、治安の回復と薬物の流出阻止の為に軍へ解決を命令し、政府はアルバニアへ、コソボ解放戦線への支援停止を要求した。もちろんそれはセルビアを始めとするユーゴスラビアの支持、アフガニスタン周辺からのフランスとの友好を計算しての行為であるのは間違いない。


 だが現地フランス軍はNATO軍、指揮権限をアメリカ軍司令官が握っているため、別系統の部隊を派遣することを決定した。少数でコスタニツィ少佐を排除し、決してフランス軍である証拠として生きて捕虜にならない者達、つまりは外人部隊に白羽の矢が立てられたのであった。


 アルバニア系武装組織の特徴は、組織力としては低く、個人の集まりの域をあまり出ないところに注目が向けられる。セルビアが統制しているコソボは凡そ二割から三割、残りはコソボ解放戦線が主力のコソボ共和国が支配している。アルバニア共和国の強力な支援があり、九割の人口がいても七割程度の地域しか統制出来ないあたりに、民族の限界が見える。


 継続的に起きる弾圧が、民族浄化との確信犯的な行為であるのも、悩みの種である。モンテネグロやイタリア方面にまで、難民として避難してゆく住民が後を絶たない。この紛争の問題は根深いところにありながらも、裏ではコスタニツィ少佐が煽動している節も多々みられた。


 カダフィのようにさせないためにも、いち早く決断を下す必要があり、ついにフランス政府がそれを引き受け、外人部隊それも第8中隊が選ばれたのは非常に名誉なことである。


 プリシュティナの南部に人知れず拠点を築き、任務部隊が到着するのを待っていたセルビア人協力者が来訪を歓迎した。おおっぴらには出来ないが、幾人かの有力者が関わっており、セルビアの黙認も取り付けていると説明された。


 上の方では難しい話が続いているようだが、島達一介の兵士には、あまり関係ないことである。まずは寝床と酒を準備し、次に不運な当直を選ぶわけだ。


 通訳なしではセルビア人とは中々意志の疎通も難しく、ハンガリー語の出番も少なかった。コスタニツィ少佐の顔写真が全員に配られ、遭遇したら判別出来るように記憶するよう命令された。有無を言わさず射殺してもよいなど、他国での行動なのにお構い無しのところに、ことの重大さが伺えた。


 隊員にセルビア人協力者から、酒が振る舞われた。それは紅茶にジャムを入れて、アルコールを注いだ不思議なものだった。眉をひそめながら一口含んでみる、案外いけるものだとすぐにカップが空になる。一度飲んでしまえば後は簡単、二杯三杯と重ねるだけである。世界のどこにいってもやることがかわらない皆に、少し安心した島であった。


 初日は例によって、地図と文字との睨めっこである。万が一でもはぐれた場合、自力で帰還するようにと方角などの位置関係は、特に強く確認を繰り返した。


 敵の武装組織自体にはあまり被害を出さずに、コスタニツィ少佐を暗殺出来たら最上、ヘロイン流出ルートの壊滅が次善とされた。畑を焼き払うなどの目立った壊滅方法ではなく、精製工場の発見によるNATO軍への通報、集積地の爆破などが想定される。


 もちろん最上以外の結果を、最初から目指すことはない。既に事前の調査により、少佐のスケジュールが漏れ聞こえてきていた。民族性で説明があったように、どうも組織的には軟弱なところがある。場所と時間が一致するようでは、保身能力が欠如していると判断されるが、少佐はそのところで上手に動いているようだ。


 先任曹長が軍曹以上で作戦会議を行うため、召集を掛けた。部隊を伍長に任せると、おっさん方が露と消えた。


「なあロマノフスキー、少佐の暗殺するならどうやる?」


 自らも何かしら思案していたようで、いくつかの答えが返ってきた。移動中狙撃、宿舎の爆破、条件が揃うなら毒殺も視野に。


 流石に外国人が毒殺などの寝技を仕掛けるのは困難であろうから、爆破か狙撃が主軸だろう。政治家や行政官ではないため、演説や遊説の類で狙撃とはならない。時折あるだろうヘロインの大口売買での取引や、軍の視察の時が狙撃チャンスで、女のところに出入りするときが最大の勝負所とみている。執務室がある官舎、自宅、愛人宅が爆破の仕掛けどころだが、大尉らがどの手段を選ぶか、みものである。願わくば狙撃との選択で、それなら手柄を立てる機会も巡ってこようもの。


 ロマノフスキーも同じように考えていたのだろう、口元に笑みを浮かべていた。背の高いビルなどが極端に少なく、三階くらいが関の山といった地域、狙撃の角度がとれない。ならばとロマノフスキーに相談してみると「ハラショー!」とアイデアを誉めてもらった。島は小隊支援火器の一つを、他の班長に先駆けて使用申請することにした。


 夕刻に中尉から、小隊方針が下達された。喜べ狙撃が役割となった。エージェントを挟んでのヘロイン取引を、計画したようである。我らが小隊は近隣の一部を確保して、姿を現したところをドカンといく。簡単にいくわけがないが、大筋はこれを狙っての準備となる。元々の狙撃用ライフル三丁に加え、何と班には十二、七ミリを一丁確保してある。日干し煉瓦で出来た建築物ごと撃ち抜くとの案を実行するには、現在の七、六二ミリでは威力不足とだったからである。


 ロマノフスキーが「班長やりましたね」と笑うと、皆がつられて笑った。遅れて申請をした伍長が、悔しがっていると伝え聞こえてきた。これは自身が使おうと、島が権利を確保し、早速自分用にとメモリを調整する。ことがことだけにおおっぴらには動けない、だからといつ状況が整うかもわからない。協力者が差し入れてくる情報を繰り返し頭に叩き込み、辛い待機で時間が流れていった。


 セルボクロアチア語(らしい)で「きたぞ!」と口にしながら、大尉に面会を求める有力者がやってきた。中隊が俄かに期待で気持ちを高ぶらせる、今度こそと思い三度目、三度目の正直という言葉があると班員に教えてやる。


 執務室から伝令が出て来て将校を集める、いよいよだとの空気が漂い始めた。黙って装備を磨く者、トレーニングに勤しむ者、瞑想をする者様々だが、先任曹長の「出撃準備だ」との一言で武装待機へと切り替わる。


 軍曹から配置場所を説明され、島の狙撃班は範囲内の好きな場所を選べと一任される。現地へ行って下見をする時間はない、コスタニツィ少佐が突然行動を起こしたそうだ。不充分を承知で標的の予定滞在先を確認し、コンパスで線引きをする。窓が正面ではなく斜めからしか見えない、つまりは狙撃には一見不利な場所を指差し、ここにすると告げる。


 軍曹がごん太な眉をひそめて唸る、何故そこにしたかと質問されたので「十二、七ミリでして」と答える。フンと鼻を鳴らして承認を与えると、残りの班の配置を確認し小隊本部、つまりは中尉の居場所を決めて開始を待つこととなった。


 指定した場所の住人は、予め外食にでも行くことになった、との手回しで部屋を占拠させてもらった。三階の部屋を二つ使い、片方にはブローニングを設置する。型式は古いが十二、七ミリ銃の傑作でベストセラーである。


 射手が一人余ってしまうために、周囲の警戒を担当させる。短機関銃を手にして安全確保をするのは、例のハンガリー語を理解する者だ。


 観測手が予定目標の建物を確認する。コスタニツィ少佐の要望で複数の場所のうち、実際の取引でどこを使うかはまだ決められていない。このせいで爆破を狙うのは不適切と判断され、射撃による決着をすることとなってしまった。恐らくは防弾装甲をしてあるであろう車両で、取引場所に向かう一団が現れた。移動中もどの車両に少佐がいるか判別不能である、噂通りに警戒が厳重な男のようだ。


 三カ所に別れて車が止まった。同時に下車すると、複数の男が建物に入ってゆく。セルビア側の代理人(偽の)が指定された建物へ移動する。観測手がその姿を追って、場所を指示した。


 少佐を確認した「月が美しい」との符丁が発信された。未確認ならば「月が欠けている」である。誰かに傍受されても、意味が通じない。


 各選抜射手らが、少佐に照準を合わせようとするが、敵もやり手である。これだけ銃口が向いているのに、満足に射抜ける状態にあるものが居ない。窓際がどうしても手前の建物の影になったり、射線が得られていた場所には車が置かれ、少佐の隣には兵士が立っていて防御されてしまっていた。


 中隊長が決行すべきか否かの決断に迫られた、協力者をいたずらに失う訳には行かない。副官や先任曹長から、待機中の隊員の状況報告を受けるも、失敗確率が高めと判断した。


 大尉が小隊長らに最後に諮問する、可か否かと。中尉も軍曹に見通し予測を確認し、次々と否と返事をする。そんな中で一人の軍曹が可と進言した。中尉はそれを信じ可であると中隊長に報告、大尉は決行を決断した。


 観測手が持つ無線を通じ、大尉からの命令が伝えられた。事前に決められたプランの二番目、タイミングは指揮官が、トリガーは射手が、との決行である。これは即ち、標的を排除する以外の目的が混在することを意味する。協力者を退避させるわけだろう。


 狙撃を行えない位置の兵は、目標を随員や車両に切り替えて待機する。もし少佐をしとめ損なったならば、戦闘による抹殺を行えるようにだ。島に緊張が走る、唯一有利な点はピンポイント射撃である必要がない点で、胴体だろうと肩だろうと、当たればごっそり肉を持って行くため少佐の命はない。隠れても無駄で、フルでぶっ放せば建物を倒壊させるのもワケない。


 どこかで花火がなったような音がした。三階からは見えないが、セルビア側の代理人が突然床に伏せた。それと同時に「撃て!」と命令が下る。島がトリガーを絞ると、弾丸が勢いよく発射され日干し煉瓦を砕きながら、標的に向かう。手前にいた兵を貫通し、少佐を抜けて床をも砕いても、なお地面に突き刺さった。

銃声を受けて敵が建物の中に入ろうと殺到したところ、続く射撃命令が中隊に出された。


 百数十の銃が一斉に射撃を行うと、目標で無事なものは皆無となる。人は虚しく肉片になり、車両はタイヤを割られタンクから漏れたガソリンに引火し炎上、流れ弾が日干し煉瓦にビシビシと当たり食い込む。複数の観測手が、標的の殺害戦果を確認と報告、大尉が撤収を命令する。すぐさま射撃を停止して、プリシュティナの広場へと向かう。


 重い機材を抱えて走る。毎朝のランニングで鍛えられている外人部隊にとっては、日常でしかない。チョッパーと合流すると次々乗り込み、兵士を抱えると離陸していった。


 翌日のユーゴスラビア通信によると、セルビア人武装勢力がコソボ自治州にて、アルバニア解放戦線を名乗る武装勢力の、コスタニツィ少佐を殺害したと報じた。これによりコソボでセルビア共和国の支援を受けたセルビア人勢力が支配地域を拡大、アルバニア系住民の一部がアルバニア共和国へと移住し、アフガニスタンへのヘロインの流出が一時ストップする、という結果がもたらされた。


 戦功履歴には一切載らない闇の行動ではあったが、大尉による勤務査定が最大で申請された。外人部隊での、思い出の一つであった。



 何故民族が蜂起すると、解放戦線になるのだろうか。ちょうどよい使い易い単語なのは否めないが。アフリカ大陸、その東側にスエズ運河から紅海が開けているわけだが、そこにジブチ、ソマリアなどがある。隣はエチオピア共和国が内陸に勢力を保っている。エチオピアは、ナイジェリアに次ぐ歴史の長いアフリカ人国家として知られている。


 コルシカ島での暫しの休暇の後に中隊が受けた派遣命令は、またまた灼熱アフリカであった。専門なのだから当たり前と言えば当たり前である。エチオピアの端にあるエリトリア共和国、近年独立した国に支援活動を行うと説明された。そんなものは表面上の建て前なのは百も承知である。


 アフリカ大陸は、植民地として大抵は列強の支配を受けてきた歴史がセットとなっている。今回の地域もイタリアやイギリスによる勢力が、長らく関わってきていた。


 フランス政府はエリトリア政府との折衝の末、包括的支援を与える代わりに、西側諸国への傾倒を約束させることに成功。しかし独立自体を承認していないエチオピア政府は、フランスの干渉を非難した。


 エチオピア共和国は、はっきりと分かる赤である。つまりはソ連、継承してからはロシアの影響を色濃く受けた、共産国家に準じている。エリトリアも当初は、民族の違いこそあれど大差なかったが、隣国ジプチからの経済格差を見せ付けられ、住民の西側帰属意識が高まってきていた。ジブチだけでなく、全ての周辺国家と領土紛争を起こしており、政情は極めて不安定である。


 再三のエチオピア軍の攻撃で、インフラの破壊や虐殺事件が相次ぎ、遂にエリトリア民族解放戦線が暫定政府を樹立。エリトリア政府はこれに抵抗することなく政権の移譲を承諾、軍部による継承政権がフランスへ(ジプチを経由した)援助を要請したのだった。

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