第3話

 軍とは素晴らしい組織である。一人や二人が休暇をとろうが、永眠しようがしっかりまわるのだから。島伍長は貯まってた休暇をここで一旦消化することにした。パリのシャンゼリゼ通りを散策する。以前とは違い人々の会話が、音ではなく言葉として伝わってきた。


 カフェテラスでコーヒーを軽く嗜む。ゆっくりと時間が流れるのが心地良い。こう眺めてみると、フランスが先端社会を担っているのがよくわかる。各地に従軍したが、どこも追い付くまでに、やや暫くの時間が必要になるのは間違いない。


 通りの先からスタイリッシュな姿の女性が歩いてくる、一目でわかるのは彼女が日本人であろうことである。敢えてフランス語で話しかけてみる、何かお手伝いしましょうか? と。

 一瞬驚いたようだが、彼女も上手なフランス語で「日系フランス人ですか?」と返した。すぐに冗談だよ、と日本語に切り替えてお茶に誘うと、既に手にしてるじゃないと言われ笑った。


「俺は島龍之介だ」

「あたしは設楽由香よ」


 二人は蚤の市目指して連れ添って歩いた。彼女は国際的なジャーナリストを目指す卵のようで、見聞を広げるためにフランス語圏をまわっているそうだ。


 一方島は何でも屋みたいな組織で雑用をやっていると表し、フランス語は生活するうちに覚えたと説明した。軍にいるうちに似たような単語が多い、ドイツ語もある程度理解出来るようになったが、そちらは伏せておいた。


 雑多に並んでいる中に、思わぬお宝が埋まっていることがある。ふと足を止めて眺めると、記念切手のシートを発見した。そこにはカマロンの英雄、ダンジュー大尉、と書かれイラストが印刷されていた。興味を持ったのでそれを購入すると、彼女が誰それ? そんな表情を浮かべたので「俺の大先輩さ」そう言うと、ふぅんと興味を失ったらしい。


 無造作に置かれている、カメラの望遠アタッチメントを真剣に品定めしている。聞いてみると、あまり近寄れないような場所の撮影に必要だという。このクラスのが新品だとなかなか価格的に手が出ないので、掘り出し物の値段と睨めっこである。


「足りないならば俺が出そうか?」


 どうせ使う宛もなく、二年後に生きているかもわからないから、お金にはさほど執着心が無くなっていた。


「そんな悪いわ、まだ知り会ったばかりなのに」


 頭を振って拒否する。しかし望遠レンズも捨てがたいようで、手にしたままだ。


「じゃあこうしよう。今夜ディナーに同伴して欲しい、行きたい店はあるんだが、男独りでは入りづらい」


 肩をすくめて苦笑いをする。事実一人でテーブルを予約出来ない、評判が高い店で食事をしてみたかった。


「あたしなんかで良ければ喜んで!」


 笑顔が弾けると、十代かと思えるほどに幼く見えた。夜の待ち合わせを確認して一旦別れることにし、多少はマシなものに着替えることにした。


 休暇の間は、週単位で借りられるフラットを利用していた。管理人のお婆さんが、食事や洗濯などの家事を代わってくれる。先払いなので使っても使わなくても良く、都合が急変しやすい軍人には重宝である。


 レストラン・ル=グランジェ。ドレスアップした由香は綺麗だった。小柄で自分の肩程度までしか背丈がなく、細い体つきのため、抱き締めたら折れてしまうのではとすら思えた。


 レストランはほぼ満席で、リザーヴのテーブルに案内される。カップルが多いが、何らかの企業の重役らしき顔ぶれや、いかにも泡銭を手にしただろう奴らも座っていた。黙って席につくと、それに合わせて食前酒が出される。コース予約のために、一切の煩わしさがない。


「素敵、こんなに美味しいもの初めて! でも本当に奢って貰って良いのかしら?」


 予想していたよりも豪華な食事だったので、島に悪いと感じたようだ。日本で食べたなら、二万や三万は、一人が払わねば堪能出来ないだろう。


「良いんだよ、君が居なかったら俺も食べられなかったんだから」


 すると由香って呼んでと言われたので、島も龍之介でいいと応える。背に衝撃を感じた、みると例の泡銭の男が、酔った勢いでぶつかってきた。黙って居住まいを正して無視した。


 少し椅子をずらしてみたものの、執拗にぶつかってくる。どうやら喧嘩を売ってきているようだ。仕方なくナプキンを取り、由香に「ちょっと失礼」と断り席を立つ。


 黒服に事情を説明し、取りなしを依頼する。席に戻り食事を再開すると、少しして黒服が他のお客様の迷惑にならないようにと注意を促した。その黒服が去ると、男が近付いてきて肩に手を置いてくる。さっとそれを払いのけると、同じテーブルについていた男二人も立ち上がった。


「おいこら、日本人がこんなところで食事するな、消えろ」


 あからさまな挑発をしてくる。由香が出ましょうと、困惑した表情を見せる。近くのテーブルでもは、揉め事だとばかりに注目する。


「今デート中なんだ、迷惑だから黙って座っていてくれないか?」


 相手をチラッと見て、いつでも動けるように腰を少し浮かす。男が拳を握り締めてうちかかってくる。すっと身をかわして背を押してやると、観葉植物に頭から突っ込んだ。

 レストランが騒然となる。仲間がそれをみて島に襲い掛かる。澱んだ目つきで殴りつけてこようとする、相手の出足をかかとで踏み抜く。ゴギッと不快な音をたて床に転げ回る。


 最後の男はいつの間にか、手にナイフを握っていた。鋭く突き出してきては素早く引き抜く。こいつは強い!


 視線を切らずにテーブルの上を手探りする。またナイフを突き出してきた、下がらずに逆に踏み込む。そのまま肩から体当たりし転倒させると、そいつの左手をフォークで突き刺す。男がくぐもった悲鳴を上げたところで、二つ星の警官が飛び込んできた。すかさず男が「こいつが先に手を出した、外国人テロリストに違いない!」と叫ぶ。


 警官が拳銃を手にし、島に銃口を向ける。フランス語で大人しくしろ、旅券を見せろと迫る。


「旅券はないが身分証ならある。レジオンの島伍長だ」


 そう告げると「レジオン!」と驚く。隣にいた老夫婦が男達が悪いと証言してくれた。男がそれに抗議すると「フランスの恥曝しが喋るな!」と罵った。


 警官が頷いて男達に手錠をかけて引っ立てる。最後に島に敬礼し「よい夜をお過ごしください」と去っていった。


 レストランのマネージャーが現れ、客の非礼を詫び、御代は不要と伝えてきた。だが島はサービスの対価はしっかりと支払うとし、次に使うときには優先して予約を受けて欲しい、とお願いした。するとマネージャーが、必ずお引き受け致しますと応え、名刺を渡してきた。


 店を出ると由香が抱きついてきた。


「凄いわ龍之介、素敵よっ!」



 夜明けに鼻腔をくすぐるような香りがしてきた。島が目を醒ますと、コーヒーを手にした由香がニッコリと微笑み差しだしてくる。こんなささやかでも、幸せが続くわけがないのは世の常、それを互いに知っていたので少ない時間を、もう一度楽しむことにした。


 それにしても昨夜のフランス人達の態度には驚きだった。外人部隊だと聞いたら、あんなに暖かい反応をしてくれるとは!

 外国からやってきて、フランスのために命をかけて戦ってくれる、そんな受けとめかたなのである。腫れ物にさわるかのような、日本の自衛官とは大違いだ。他国の脅威と地続きであったり、長い戦争を積み重ねてきた歴史であったり、はたまた敢闘精神が知られていたりと、軍人に対する国民的な意識が違うとの土壌が、はっきりと伺える。軍と警察も交流があり、二つ星の巡査長は上等兵クラスの比較であったのも、影響したようである。


 警部補が軍曹、警部が中尉見当とされ、態度ががらりとかわってしまう。取り分け顕著なのは旧ソ連の所属国で、未だに官は階級絶対主義であるらしい。ロシア出身の隊員によれば、黒いものを白くするには、階級か米ドルがあれば簡単だそうだ。


 残りの休暇をいかに満喫するか、島の頭の大半をそれが占めていた。芸術は人の心に、彩を添えてくれる。さて誰の言葉だったか。二人は美術館にやってきて、フランスの栄光を観賞している。ナポレオン皇帝は、芸術にも力を注いでいた。正確には、その蒐集と保全にであるが。そのために、大小様々な規模のものが、比較的多く運営されているのがわかる。


 有名処は敢えて外して、地方の収蔵品に視線を向けてみた。流石に歴史がある国だけに、その展示物の層の厚みには驚かされる。中小国あたりならば国宝として目玉品になるような品が、地方の小さな美術館にも必ず一つは展示されているのだ。


 何かの記念メダルかと思い説明読んでみると、古代の銀貨でテラドラクマと呼ばれた物が展示されている。重さは一枚三十一グラム相当で、銀品位が九九九/一〇〇〇という純銀。レプリカが置いてあり、手にしてみるとずっしりとした重量感があり、かなりの高価な額だろうことがわかる。


 隣に居る由香に、日本にあった小判を知っているかと問うと、もちろんと応えた。では大判の大きさはわかるかいと聞くと、手のひらを出してこのくらい? と示した。


「大判は秀吉が造らせたやつでも、テラドラクマの六倍近い金で出来ているんだ。だからもっと大きいよ」


 笑いながら両手で幅を作って、一枚欲しいものだねと言うと、一枚だなんて謙虚ね、と返された。


 近くを茶褐色で彫りが深い、男の二人組が通り過ぎる。若い側が「アイワ」と頷いているのをみると、アゼルバイジャンやイランあたりの言語に思える。イスラム教の原理主義者だとしたら、何故こんなところに?


 注意して耳を傾けてみたが、ほぼ解る単語がなく、無駄な努力に終わった。わかったのは中年の名前が、恐らくハッサンであろうことと、ファタハ、ハマスである。パレスティナ問題での、過激派と穏健派を指しているのだが、こいつらがフランスで何かやらかすつもりならば、過激派への援護だろうか。イスラエルとの対決を後押しさせるために、フランスの国連派遣軍への非難テロが考えられる。


 難しい顔をしていると、由香が腕を引いて次の場所へ行きましょう、と促してきた。折角の休暇でも、ついつい物騒なことを考えてしまうのは職業病である。地方では未だに馬車を見掛ける。当然それは必要に迫られて、というわけではない。観光客目当ての貸切馬車というわけだ。


 一台借てパリの田舎を走らせる。映画のワンシーンのような風景が続く。由香がカメラを取り出して、ここでも風景をフィルムに納めてゆく。


「そう言えば由香の専門は何なんだい?」


 望遠カメラが必要なジャーナリストとは、あれ以来気にしてなかったが思い出し、話に触れてみた。


「あたし戦場ジャーナリスト志望なのっ!」

「ふむ!」


 全く予想していないわけではなかったが、改めて彼女の口から聞かされたら新しい驚きがある。戦場では一応、ジャーナリストの識別をするものを害することはないように命令されるが、そうは言っても生きるか死ぬかの瀬戸際になれば、申し訳ないが巻き込まれてもらうこともある。


 戦争などというのは双方主張を広めたいので、報道関係には確かに気を使う。だが逆もあり、意に添わない会社のグループなどは、危険地帯への取材を許可するなどして、永遠に黙らせるなどもある。


「怖くはないのか?」


 軍人、それも志願兵であっても、恐怖心がないわけではない。実戦を何度か経験することにより、克服される部分は大いにあるが。


「怖いわ。けれど今いる場所から少し離れたどこかで、現実で戦いがあるのを多くの人に知ってもらいたいの。だから目指すのを辞めないわ」


 陳腐な正義感や偏った使命感ではなく、事実を広めて判断を視聴者に委ねる、そんな形ならば意地悪も受けまい。本来報道とは結論を押しつけるものではなく、判断材料の事実を伝えるものである。あまり無茶をしないようにと約束させ、田舎の旅を切り上げて街へと戻ることにした。


 パリの政府中枢部、大通りにある官庁施設に軍のビルも混ざっている。地図には載せられてはいないが、警察本庁も目の前に設置されている。看板もなにもつけてはいないが、出入りする制服警官が多いので一目瞭然である。


 外国人がそれと知らずに近付いて、官庁の偵察をしていたら、後ろ姿が警察署から丸見えで、昔テロリストが職務質問されて捕まったとの、間抜けな話がある。フランス人でも、パリに居住したことがないものは知らないだろう。


 ふと想い出したかのように、実家へ手紙を書く。何をしているかは伏せたが、元気でいると。軍から大学への休学通知は、イタズラ扱いされたそうだからな。意識的に明るく振る舞い、パリの消印を使うことで安心するとの計算もある。こちらで彼女が出来たことや、そのうち帰国するとほのめかしておく。大学のことを謝罪し、だがしかし後悔はしてないことを告げ、由香に撮ってもらった写真を数葉同封して国際郵便を送付した。そうして戦士の休日は終わりを告げることとなった。



 コルシカの2REPへ復帰を申告し、第8中隊へと出頭する。大尉から簡単な辞令を交付され、何か質問は? と聞かれ、ありません、そう答えた。回れ右をして、すぐに中隊長執務室を離れる。


 顔見知りの隊員が「ヘイ、シーマ」と再会を喜んでくれた。いつしか部隊の中でも、中堅ところにとなってきている。小隊長の中尉に代わり、あの軍曹が日常命令を下してきた。


「あのシーマが今や伍長様か、まあ死なないように頑張るといい。これからは班長として選抜射手を率いるんだ」


 初めて正式な命令文書を受け取り、内容を確認する。選抜射手は中隊から招集指名する権利があり、島の班は三組のメンバーを許された。これは一般歩兵と狙撃手の中間で、特殊装備を一部用意されるが、基本的には歩兵と共通な装備で簡略化された、言わば量産型狙撃手である。


 自主訓練でライフルに磨きをかけていたのを、軍曹はしっかりと見ていたのであろう。覗き魔め。指名は出来ても配属されるかどうかは、上官の許可が必要になる。逆に言うならば、隊員に拒否権限はない。


 だがこれにも裏があり、司令官の執務室は常に解放されている。兵らはいつでも直接連隊長に、意見具申が可能なのだ。転属申請も可能で、上官はこの申請を妨げてはならない内規が存在する。


 また部下に転属願いを正当な理由なく提出される隊長は、統率力の部分で査定に特記がつけられる可能性があるのだ。もちろん受理はしても却下されることもあり、簡単には訪れがたい場所なのには間違いない。


「了解しました。していつまでに?」


 そう口にしてから、シマッタと思ったが遅かった。罠にはまった島を見てニヤリと笑い、可及的速やかに頼むぞと肩をぽんと叩かれた。


 一杯食わされながらも、責任ある任務に気持ちは落ち着いていた。まずは役割についての再確認の為に、既存の班長らに話を聞くことから始めた。一切嫌な顔をせずに、懇切丁寧に説明してくれる。自らの行為を見直す良い機会だと考えたようだ。


 大前提に二人一組でそれを三組、つまりは六人を指名する必要がある。射手の腕は勤務表で大体がわかるが、観測手はまた別の把握能力が求められ、更にペアの相性も問題がある場合は、注意すべきと指摘される。また観測手が上官であるのが望ましく、指示者との立場を確立すべきと教えられる。例外が出てくるときには選抜射手ではなく、狙撃手になったときだろうと言われた。


 簡単に考えをまとめてみる。上等兵を観測として二人、出来たら三人、自然と射手は一等兵と二等兵に制限される。世の中には先任との形があるため、二等兵は除外したほうが良いかもしれないが、そこは腕次第で臨機応変といこうと決めた。


 早速中隊本部に出向き、部隊資料の閲覧申請を行う。持ち出し厳禁だったので、数名の候補の所属などを調べてメモをとる。契約任期満了寸前を除外すると、上等兵が窮屈な選択肢になった、もう一度予備も含めてリストアップする。


 一人ずつ個別に訪問すると、意外や意外、みながすんなりと承諾してくれた。一般隊員よりも実力を買ってくれた上官に好意的、そんな具合である。最後の一人だけがなかなか決まらなかった。射手としてリストアップした一等兵らが、今ひとつピンとこない。仕方なく二等兵を見て回ったがはずれ、だが他とは違う雰囲気を持った者が一人だけ居た。


 話し掛けて目的をあかさずに質問をしてみたりすると、全て的確に応えてきた。こいつだ! リストには載せていなかったが、直観である。経験からそいつを確保すべきと感じた。


「俺の班の選抜射手にならないか?」


「ダー」


 ロシア語でハイと即答し、メンバーが決まった。後々に聞いてみるとその男、ウズベキスタンでロシア軍と揉め事を起こし、死んだことにして偽造パスポートで出国、その足で外人部隊に入隊したウズベキスタン軍の元少尉だったらしい。国元での勤務証明が出来ないために、一からやり直しとばかりに、二等兵での入隊にサインしたそうだ。部隊がそんな事情を知らずにうっかり契約するわけがないので、恐らくは知っていて黙って在隊させているのだろう。


 名前はニコライ・アレクサンデルヴィチ・ロマノフスキー。ウズベク人。島がロシア風に名乗るならば、島龍太郎ヴィチ龍之介になる。がっちりと握手を交わして編成表(T.O.&E.などと表すそうな)に名を連ねた。


 命令を受けて翌日、軍曹にメンバーを報告すると「まあまあだな」と絶賛いただいた。ロマノフスキーをよく拾った、誉めてやるくらい言えないのだろうか。四日後に移動命令が出るから用意しておけ、と徐に告げる。どこに訓練に出掛けるのかと問うと、あっさりと「セルビアで実戦だ」などとお吐きになられた。なんですとー!


「ダコール」と冷静を装い了解をするも、きな臭い地域を指定してきた軍曹に、文句がたくさん沸いてきた。すぐにそれを飲み込み、セルビアって何語だったかなと現地での苦労が頭をよぎるあたり、大分余裕が出てきたと勝手に解釈する島であった。


 基地の一室、会議室のような場所に班が集合している。各自がライフルをや双眼鏡など、狙撃に必要な装備など一式を持ち出し、携行品の準備を行う。


 島は個人的な装備は、好みに合わせて選ばせた。話し合いの結果、弾薬を共通させるとの意味合いでの武装統一が行われた。元々さしたる選択範囲はないのだが、自らに選ばせる行為が大切なのだと考えた。


「ところで諸君、ルーマニア語、ルシン語、ハンガリー語、スロバキア語、クロアチア語、アルバニア語いずれかを理解する者はいるだろうか?」

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