『量子男と女社長』読書感想文

飯田太朗

『量子男と女社長』を読んで

 SF純愛ホラー。そう言えるだろう。

 二十代にして大手科学研究社を立ち上げ成功した女社長の朱音は恋人問題に悩んでいた。もうすぐ三十を迎えそうだというのに処女だ。

 いかにその神秘性が問われる処女とは言え三十も近くなるとさすがにまずい。そんな世俗的な性判断により「早急に彼氏を作りたい」と思った朱音はその技術力で「彼氏」を作ることに成功する。それが「量子男」だ。

 量子の世界では「0」と「1」が重なる。それに注目した技術により生み出された、「いるのにいない男」、それが「量子男」。

 ハッキリ言って朱音には、普通の男は邪魔だった。

 普通の恋愛をしているとどうしても「仕事」と「恋愛」のスイッチが必要になる。しかし朱音にはこの切り替えができなかった。今までそのせいで何人もの男に捨てられてきた。しかし量子男ならその心配はいらない。

 何せ「いるのにいない」のだ。朱音にとって都合のいい時……例えば一人でお酒を飲むのが寂しい時や、人肌恋しい時……には「いて」もらって、仕事や日常生活で忙しい時には「いないで」もらう。そんなことが可能なのが量子男だった。朱音はやがてこの量子男にのめり込んでいった。

 しかし量子男は成長した。次第に朱音の生活に口を出すようになってきたのである。

 そう、つまり「いるのにいない」ことを利用し、常に朱音を監視し、朱音を見守り朱音に付きまとい、朱音のことは上から下まで全部知っている粘着質彼氏へと、変貌していったのである。

 朱音は当然焦る。

 量子男を削除しようとする。しかし無駄なのである。何せ「いるのにいない」男なのだ。削除? いないのに? では削除しない? いるのに? 

 量子男の存在が朱音を脅かすようになる。仕事で男性と連絡を取っただけなのにコンピューターごと破壊されて連絡を取れなくされる。道ですれ違い、たまたま目が合っただけの男性が殺される。どこまで逃げてもやってくる。何せ「いるのにいない」のだ。世界中のどこにでも「いるのにいない」。量子の男はどこにでも現れるがどこででも……消える。捕まえようがなく、故に文句を言うこともできない。

 やむを得ず、朱音は「この世界丸ごと」消そうとする。今こうして自分が存在している宇宙そのものを破壊してしまえば、量子男はいなくなる。しかしそれは自らをも破滅させることにはなるのだが、朱音は科学者だった。存在しなければ悩みなどない。そう割り切れる自分がいた。

 かくして「世界消滅スイッチ」が作られる。朱音はそれを押そうとする。だがその手を止めたのは、朱音を愛してやまない量子男で……。

 世界の終わりを見つめる男女。

 量子男と女社長。その行方は。

 愛の在り方について考えさせられる作品だった。次のような一節がある。

 ――愛は存在の全肯定だ。

 ならば「いるのにいない」男はどう愛されたのか。それは愛なのか。愛とは何か。

 時に相手を慰め、時に相手を追いやり、そして世界が破滅する、その先にあったものは、愛なのか。

 世界を破壊する……つまり世界を全否定しようとした朱音と、そんな朱音をも肯定しようとする量子男。

「肯定」「否定」、これらが同時に存在する世界はもしかしたら……「0」と「1」が重なり合う量子の世界には、あるのかもしれない。

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