1日あたり何分、君を想っているでしょうか?

大谷

1日あたり何分、君を想っているでしょうか?

「起立!礼!」

「「ありがとうございました!」」

 2時間目の算数の授業の終わりの挨拶をし、やっと業間休みに入った。

 クラスの男子たちは、挨拶が終わってすぐに「ドッジボールやるぞー!!!」と騒ぎながら、ボールを抱えてダッシュで教室を出ていった。隣の教室から、「廊下は走らない!」と先生が叱る声も聞こえる。


 しかし、今日から隣の席になった安藤あんどうあきらくんは、クラスの男子たちの流れについていかない。

 すぐに自分の席に座り、さっきまでやっていた算数の教科書とにらめっこしていた。

「どれとどれを掛ければ速度になるんだっけ?えぇっと…」

 頭をカリカリして、ぶつぶつとつぶやいている。あたかもガリ勉を装っているように見えるが、もう間違えている。


「晃くん、速度を出すのはかけ算じゃないよ。」

 晃くんと同じくらいの声のボリュームで、私はそう声をかけた。


 私―馬場ばば夏海なつみは、算数が大好きだ。

 どれくらい好きかというと、4月に教科書を渡されたときに、真っ先に読むのが算数の教科書と決めているくらいだ。中身はすぐ理解できるわけではないけれども、「こんなこと勉強するんだぁ」と考えながら読むのは本当に楽しい。


 算数の教科書だけでは飽き足らず、算数にまつわる本ならいろいろ読んでみたいと思っている。昨年は、「フェルマーの最終定理」についての本を読もうとしたことがあったけれど、「それはあまりにも背伸びしすぎ!」と、お母さんに怒られた。

 今は算数のパズル問題の本を読んでいる。今日も休み時間に解いてみようと思っていた。


 しかし、今日は一旦おあずけ。


「速さは、道のりを時間で割るの。」

 私は晃くんに丁寧に教えてあげた。というよりも、さっきの授業内容をそっくりそのまま言っただけ。

「あれ、そうだっけ?」

 晃くんはそう言って首をかしげた。

「あれ?」じゃないよ。さっき教えてもらったばっかりじゃない。というか、今日だけじゃなく、昨日も同じ授業をやっていたのに…。

 いつも読書しているくらいだから、頭が良い子だと思っていたけれど、算数は苦手なようだ。


 晃くんは「ふぅー」と息を吐いて、

「夏海ちゃんって、本当に算数得意だよね。」

 なんか、ドキッとした。真っすぐな瞳で私を見ている。

「僕は算数がほんと苦手だから、凄いよ。」

 今はただちょっと、教えただけじゃん。

 それだけで褒めてくれるなんて、なんだか小恥ずかしくなった。思わず天井を仰ぐ。


 私だけ舞い上がっている。周りには友だちが見ているかもしれないということに気づき、慌てて目線を戻すと、目の前の晃くんは、さっきまでの真っすぐな瞳を隠し、俯いていた。明らかにマイナスな感情が読み取れる

 自分が私に比べて算数ができないことで、落ち込んでいるのかもしれない。

 私にできることがあるとすれば…。


「わわ、私でよければ、算数教える?」

 私にとっては一大決心だ。少し声が震えた。


 何か怪しまれそうな言い方をしてしまい、少しだけ不安だったが、一瞬の間を置いてから顔を上げ、

「えっ、いいの!?それじゃあ教えてほしいなぁ。」

 と、目をさっきよりも輝かせて言ってくれた。私はホッと胸をなで下ろすと同時に、落ち着かせていたはずの心は勝手に踊り出した。



 どうして、この一言が決心になったのか。

 人に教えることに自信がないからではない。クラスの女の子から「算数教えて!」と言われることはしょっちゅうあるので、算数を教えること自体には慣れている。


 じゃあ、どうしてか。

 実は、晃くんのことが気になっている。


 晃くんとは5年生のときのクラス替えで、初めて一緒のクラスになった。

 25人くらいのクラスだけど、「特段明るく元気でクラスの中心にいる」というタイプでもないし、足も遅いほう。


 ただ一つ、クラスの他の男子たちと違ったのは、毎日昼休みは欠かさず本を読んでいることだ。他の男子みんなが外で遊んでいるときでも、晃くんは構わず本を読む。


 それが気に食わなかったのか、男子たちから嫌がらせをされるようになった。机にわざとぶつかったり、ものを晃くんめがけて投げたり。

 それがエスカレートしていくのを見た私は耐えられなくなって、「晃くん本読んでるのに、いたずらしちゃだめでしょ!!」と男子たちに向けて吼えた。

「だってあいつが、言うこと聞かないから」などと文句を垂れるが、そんなの関係無い。いじめる子が悪い。その信念を通していたら、他のクラスメイトも巻き込んだかなり激しい口喧嘩になったが、先生が仲裁に入ってくれた。私たちの発した言葉も注意されたが、「いたずらする人が悪い」という主張は通って、私たちが勝った。


 晃くんは「ありがとうね。」と一言お礼を言ってくれ、その日から、晃くんへのいたずらはほとんどなくなった。

 このときは、ただ自分の正義感だけだったはずだ。

 でも、この「ありがとう」の一言が、私の心には強く、長く、響き渡っていた。



 その言葉が心に響いた理由になんとなく気づいたのは、1ヶ月前くらいにあった宿泊学習のとき。

 消灯時間が過ぎた後、同じ部屋の女の子たちと恋バナになった。

 ○○くんはカッコイイとか、○○くんは優しいとか、一方で○○くんは運動神経は良いのに性格が悪いとか。恋バナというより、クラスの男子の品評会みたいな感じになっている。


 当然、晃くんの話になったけれど、「ずっと本読んでるし、暗いよね」「わかるー。『話しかけんなよ』的なオーラ感じるし~」など、あまり良くない印象ばかりが語られた。


 1つの趣味に熱中しているのはすごいことだし、人に流されない。本当はカッコいい子なんだよ、と言いたかった。

 みんなは本当の良さをなんで知らないのだろう。


 でも、言えなかった。

 マイナスなイメージを振り払うべく、私がそう熱弁すると「変なやつ」と認定されるかもしれない。そうして仲間はずれになるかもしれない。それだけは、絶対に避けたかった。


 すると、女の子の1人が「でも最近、夏海ちゃん、晃くんのこと、いっつも目で追ってるよね。」と言ってきた。暗くてもわかるくらいニヤニヤしている。

「えー、ひょっとして、晃くんのこと好きなの?」

 別の子がさらに便乗する。自分の痛いところを突かれたような感じだ。

「い、いや、違うよ、私は、また晃くんが嫌がらせを受けてないか、見張ってるの!」

 私はそう必死でごまかした。気持ちが入り過ぎて、夜なのに大きな声で言ってしまったところ、

「しー、夏海ちゃん、声が大きいよ。」

 と、注意された。

 それから30分くらい恋バナが続いたが、私の頭はうわのそら。相づちを打ちつつも、他の男子の話なんてどうでも良いと、ずっと違うことを考えている。


 あれ、なんで私は晃くんのことばっかり考えているのだろう?




 たまたま席が隣になって算数を教えるようになってから、2週間余り。

 いつも本を読んでいるのだから頭は良いのだろう。

 私は何度も問題を解いてやっと理解したものを、晃くんは一発で理解している。

 やればできたんじゃん。


 遠くから本を読んでいる姿を眺めているだけでは気づかなかったが、真剣な表情を浮かべて鉛筆を進める。

 横から見ても、その真剣な表情の中で、目を輝かせながら問題に挑んでいるのがよくわかる。

 勉強に打ち込むその姿、本当にかっこいい。

「あのさ、この(3)の問題、どうやって解くの?」

 ドキッとした。見とれてボーっとしていたせいか。不意打ちが過ぎる。


「えっと、これはね……」

 私は、問題を指でなぞりつつ、わかりやすく説明する。

 どこを聞かれても良いように、2週間前から問題の解き方を完璧に頭に叩き込んでおいたのだ。

 晃くんのためだもの。晃くんには、「私はしっかりもの」だという姿を見せたい。


 でも絶対に顔を合わせない。自分の顔は正面から見せないようにしている。

 多分、私の顔は赤くなっているから。



 算数を教えることで、晃くんと一緒にいることがふえた。

 そして、晃くんの隣でお話できている。

 これがとても嬉しい。

 だから、私はそんな晃くんに相応しい存在でいられるよう、算数の勉強を重ねている。


 やっぱり私は晃くんのことが好きなのかもしれない。

 というか、日を追うごとに確実に好きになっていると思う。


 告白したほうが良いのかな?

 その前に友だちに相談したほうが良いのかな?


 でも、誰かに知られるのは恥ずかしい。

 そして、周りの目も気になる。

「晃くんは止めておけ」と言われるに決まっている。


 じゃあどうしようか。


 何日も考えた。

 起きてから寝るまで、なんなら寝ている間もずっとそのことを考えていた。


 考えてみた結果、正面突破で当たって砕けろ!というのは自分にはできないと分かった。

 恋愛ものでみるような、あんな告白は私には絶対にできない。恥ずかしさで、倒れそう。


 こうなったら、誰にもバレないよう、回りくどい戦法をつかって、なんとか察してくれたら十分じゃないか。そう結論づけた。

 私にできる小細工とは、なんだろう。


 また考えた。




 明後日、「単位量あたりの大きさ」の単元とテストがある。

 私たちの担任の先生は、テストに関してやけに厳しく、40点取れないと放課後に残らされて、合格点になるまで問題を解かせられる。

 私も一度、漢字テストで点数が届かなかったことがあったが、放課後は本当に苦痛だった。

 もうあの思いをしたくないと思う人は多く、クラス全体でかなり真剣に勉強するムードになる。

 でも私は今回、ちっともテストに集中できていない。



 晃くんは本当に頭が良い。私が理解できなかった教科書の章末問題も、一発でスラスラと解けるようになっていた。

「もう私よりも算数得意になったんじゃない?」

 そんな姿を見て、私は何気なく言った。

「い、いや、そんなことないよ…。夏海ちゃんが教えてくれたおかげなんだから。」

 自信なさげな表情を浮かべているが、教え始めたことよりも絶対にできるようになっている。

 私はちょっぴり嬉しい。もっと自信を持ってもいいんだよ。


「じゃあ最後に、私が問題を作ってきたから、解いてみてほしいな。」

 そう言って、昨日問題を書いてきた紙を渡した。

 昨日の夜、私が1時間かけて作ってきたのだ。

 晃くんに解いてもらいたくて。


「Bさんは、Aくんのことを考える時間が、1日ごとに10分ずつ増えていきました。

(1)2ヶ月(60日)後、BさんはAくんのことを何時間考えているでしょうか?

(2)どれくらい経つと、Bさんは一日中Aくんのことを考えているでしょうか?」

 昨日この問題を思いついたとき、私としても非常に難しい問題ができたと心の中でガッツポーズした。

 これが解ければ、テストも完璧。

 私が教えられることは、もうない。

 晃くんに算数を教えなくてもよいのである。


 でも、それは嫌だ。

 もっともっと、晃くんとお話がしたい。

 算数の話じゃなくても良い。隣で一緒にいたい。


 だから、私はもう一つ、裏の問題を仕掛けている。

 私は君に出会って、好きになって、もうこれだけ過ぎたんだよ。

 ずっと、君のことを考えている。

 いい加減、気づいてほしいな。

 恥ずかしくて言えないけれど、私が晃くんを好きだってこと。


「これって……」

 晃くんが何かを言いかけたが、私はすぐに

「いいから、早く解きなよ!」

 と強く遮った。かなり強引な照れ隠しである。

 晃くんは何か言いたげな顔をしつつも、目の前に出された問題とにらめっこして、式を立てはじめた。


 勇気を出したつもりだったけれど、やっぱり気づかれるのは恥ずかしい。

 私は頑張って隠したつもりだったけれど、あまりにもバレバレすぎる仕掛けだったかもしれない。

 私はやっぱり、算数以外は苦手だ。



――――――――――――

ちなみに、問題の答え

(1)60(日)×(10分/日)=600(分) つまり10時間。

(2)6日間で1時間増えるので、24時間になるのは

  6(日/時間)×24(時間)=144日後

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