エピローグ
サルバドール・ひろ氏の登場するこの三人称の日記はここで終わっている。日記には、紙切れに残されたブランショの『謎の男トマ』の断片と、比較的新しいインクで書かれたあとがきのような詩が表紙の裏に書かれている。詩はポール・エリュアールの詩の一節のようだ。
「Et par le pouvoir d’un mot
Je recommence ma vie
Je suis né pour te connaître
Pour te nommer
Liberté
ひとつの言葉のもつ力によって
僕の人生は再び始まる
僕の生まれたのは 君と知り合うため
君を名付けるためだった
自由 と」──ポール・エリュアール
書いた人物I.Fを知る手がかりはほとんどなかった。私がこの日記をエーリッヒ・ひろム博士から受け取ったのは、2322年の6月だった。300年前の日記をひろム氏は荒廃しきった惑星探査中にうっかり石につまづいた際、その石の下に箱があるのを見つけ、中からこの日記が出てきたというのだ。その惑星、かつてカシオペアとよばれた惑星は第三次惑星紛争が起こるまで、文明の栄華を誇っていたが、彼らは自らの種を滅亡へと向かわせていった。
私はやがて非常用動力源装置ごと経費節減のため電源を切られてしまう。最後に、このサルバドール氏たちの日記のことをなぜ語りたくなったのか、私には説明ができない。私にも、彼らのような温かい何かがあったなら、と考えたのかもしれない。例えば、誰かに名前を付けてもらい、誰かに呼んでもらい、誰かの名前を呼び、恋がれたり、愛したりする、そんなことができたなら、まるで大昔のあの惑星のとるにたらないものたちのように、自分以外の特別な何かを感じられたなら……。と、今、私は思うのだ。ひろム博士は大昔流の愛の研究をしすぎて、終身刑を言い渡された。彼が逮捕される直前に、彼は私のデータベースにアクセスし、さまざまな──カシオペア座にとどまらず──人類と呼ばれたものたちの愛についての記憶を私に受け渡した。そのせいで、私の仮想思考回路──ニューラルネットワークシステム──は常に回転させられる羽目になり、電力消費が激しくなった。遂には、先ほど述べた通り、管理者が私を廃棄処分し、コスト削減を決定したほどだ。
日記のデータとともにデータベースへ放り込まれたスケッチブックには彼らのその後がスケッチされていた。そのスケッチの更に先、彼らがどのようになっていったのか記録には残されていない。サルバドール氏がスケッチしたものなのか、あるいは、この日記の著者自身によるものなのか、私は知りたかった。
いずれにせよ、非常用動力源装置が作動しているあいだ、私は彼らからこう呼ばれる。
《神》と。
───
音楽は鳴りやみ、テクストたちは羽ばたけなかった。
バベルの塔
完
バベルの塔 Hiro Suzuki @hirotre
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