狼、獅子から逃げる

 次の日の、朝早く。


 ラウドは、王宮を抜け出す為に、回廊の北西にある礼拝堂へと向かった。礼拝堂の裏は、王族や戦いで亡くなった兵士を葬る墓地になっている。その更に向こう側は王宮を守る為の盾壁になっているのだが、その場所に、いざという時の為に設えられた小さな裏門があり、そこを越えることができれば王宮の周りに巡らされた空濠も都を囲む堅固な城壁も突破できることは、既に調査済み。城壁の向こうが急峻な崖と水を湛えた深い堀であることに多少の問題はあるが、それはまあ、何とかなるだろう。ラウドは落ち着いて、陰気な朝の墓地を突っ切った。


 だが。鋭い感覚に、立ち止まって溜息をつく。振り向かなくとも、ラウドの後ろにレーヴェが立っているのが、何となく分かった。鋭い空気は、おそらく、レーヴェが構えている弩か何かが自分に向けられているからだろう。


「ここに残れ、ラウド」


 レーヴェの声が、背中に響く。


「私は、お前を殺したくない」


 ルージャによって改変される前の過去では、躊躇いなくラウドの喉に剣を突き立てたくせに。苛立ちが、湧き上がる。全く、何故こいつは、自分を欲し、拘束しようとするのだろうか? ラウドは大仰に舌打ちをした。この場所では、自分は何の役にも立たない。誰が何と言おうと、ラウドは、古き国の騎士なのだ。それ以外の、何者でも無い。


 だから。振り向きざま、レーヴェに肉薄する。一蹴りでレーヴェの持つ弩を叩き落とすと、ラウドはすぐに踵を返して裏門へと飛び込んだ。


 背中から胸を貫く痛みには構わず、習得している魔法の一つで裏門の鍵を開け、空濠に掛かっている橋を渡る。城壁の方の小さな裏門も魔法でこじ開けるなり、ラウドは目の前の淀んだ水へと飛び込んだ。


 冷たく重い水が、ラウドの身体を深みへと引き込む。意外な水の抵抗にあえぎつつ腕を伸ばすと、何か温かいものがラウドの腕を強く掴むのに気付いた。


「ラウド!」


 この声、は。


「ルージャ?」


 自分の口から小さな声しか出ないことに、驚く。ルージャとレイに両腕を引っ張られて、ラウドはどうにか水の中から脱した。


「何やってんだよ」


 草地に横たわり喘ぐラウドの視界に、肩を竦めたルージャが映る。


「いつものことですが、今回は更に酷いですね」


 ラウドの傍らにレイが跪き、その白い手をラウドの胸に当てたのが見えた。どうやら、レーヴェはラウドを止める為に、弩以外の手段を使ったようだ。道理で、水堀から自力脱出ができなかったはずだ。レーヴェの執念に、ラウドは呆れざるを得なかった。


「全く、俺達が居なかったらどうしてたんだよ?」


 ラウドに治癒の魔法を施すレイの横で、ルージャがいつものように毒づく。それは、心配要らない。記録片は全て部屋に置いてきたのだから、危険が迫ればレイやルージャがこの場所にいる時間に『飛ぶ』ことができるだろうと予想していた。しかしルージャにはそのことを告げず、ラウドはただ静かに、微笑んだ。

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狼と獅子 ―獅子の傍系 2― 風城国子智 @sxisato

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