夜明けの星 番外編

稲荷ずー

帰郷

渓谷けいこくに差し掛かったぞ! 気を引き締めろ!」

 隊列の前の方から、若い男の声が聞こえてきた。

 深い緑の髪を頭の後ろで結い、黒い馬にまたがったスルナは、前を見やった。遠くに、西オッサム区を示す赤い旗がひるがえっているのが見える。その下には長剣をたずさえた若い男が見えた。

 シアムはこの隊商の護衛がしらの息子で、この仕事が無事に終われば、次の護衛頭として父を継ぐことになっていた。そしてその横にいる白髪の男タアムは、シアムの父であった。タアムは優秀な護衛士で、タアムがこの辺りの護衛士のかしらとなってから今まで、この渓谷で死人が出たことは一度もなかった。

 スルナは馬を操り、依頼人が乗った車に近づくと、窓にかけられた布を持ち上げて、緊張した面持ちの男に話しかけた。

「ナガンさん、ここから先は山賊が出やすい場所になります。奥さんと娘さんは私が必ず守るので、何があっても慌てず、しっかり二人の面倒を見ていてください」

 スルナは、ナガンたちを怯えさせないよう落ち着いた声で言った。ナガンが頷いて窓布を下げると、スルナは馬の歩みを少し早めた。妻子にとても慕われているナガンの事だから、きっと上手いことやってくれるだろう。

 サンシン区から西オッサム区に向かう途中にあるこの渓谷は、山賊がよく出ることで知られている。途中に休める場所はなく、最も近い宿までは、走っても一ラモ(約一時間)はかかる。朝早く宿を出ても、この渓谷に辿り着く頃には日が高く昇ってしまう。そのため、崖の上にいる人影などは、逆光によりほとんど見えなくなる。この崖の上から弓を射れば一方的に攻撃できるため、このあたりは、山賊たちの絶好の狩り場となっていた。

 スルナは隊列の後方まで来ると、腰にげた剣の鯉口こいぐちを切って、いつでも戦える準備した。

「ヤクさんとライラさんは、崖上の射手をお願いします。ハワンさんとシムルさんは私と一緒に、後ろから来る盗賊たちの足止めをお願いします」

 何年もこの谷を行き来している熟練の兵士であるヤクとライラとは違い、まだ若手であるハワンとシムルは緊張した様子でそわそわしていた。

「あの……信用してないわけじゃないっすけど、本当に大丈夫なんすか? あの、スルナって〈何でも屋〉」

 ハワンが小声でヤクにたずねた。

 スルナが〈何でも屋〉を始めて、もう十年近くになる。女という立場で武器を持つスルナは、〈何でも屋〉を始めた当初は、冷やかしを受けたり白い目で見られることもあったが、スルナはそれを、腕っぷし一つで信頼に変えていった。

 ハワンを見たシムルが、ゆっくりとスルナの横に並んだ。

「スルナさん、すみません。ハワンも、悪気があるわけでは無いんです」

 シムルが言うと、スルナは優しく笑みを浮かべた。

「分かってるよ。仕方ないさ、これくらい慣れっこだよ」

 二人の会話を聞いていたヤクが、ハワンを咎めるように言った。

「全くお前は、見た目だけで相手を判断するなと、何回言えば分かるんだ。スルナさんは一流の護衛士だよ。歳はお前たちよりも下だが、経験も実力も、お前たちとは比にならない」

「ありがとうございます。ヤクさんほどでは無いですよ」

「そりゃあ、踏んできた場数が違うからなぁ。だが、純粋な武術の腕で言えば、全盛期の俺よりもずっと上だろうなぁ」

 ヤクが言うと、ハワンとシムルが興味深そうにこちらを見た。ヤクはこの辺りの護衛士の古株であり、様々な武勇伝を持っていた。その実力は本物で、ヤクは護衛士頭のタアムが最も信頼している人物だった。 

 谷の入口が見なくなってしばらく進んだところで、スルナが乗っている馬が、わずかに体を震わせた。

 それと同時に、ヒュウッと空を切って上から矢が射られた。スルナは薙刀を振り、何本か矢を叩き落とした。それと同時に、背後の荷車から弓弦ゆんづるの音が響き、その後、二本目の矢が飛んでくる事はなかった。

「スルナさん、来ました!」

 隊列の後方からときの声が上がり、山賊たちがなだれ込んできた。スルナは馬を降りながらヤクとライラに目配せすると、荷車を盾にして山賊たちと向き合った。

「タアムさんたちが道を切り開くまで、ここでこいつらを足止めしてください!」

 スルナはハワンとシムルに叫ぶと、先陣を切って突っ込んでくる男の前におどり出た。先頭にいた何人かの山賊の視線が、スルナに注がれる。

 男が走ってくる勢いに乗せて剣を振った。スルナはその動きに合わせて横に逃げると、後ろにいる三人の方へ突っ込んだ。驚いた様子の目の前の男の武器を叩き落とすと、下から突き上げるようにして、体勢を崩した男の鳩尾みぞおちに石突を叩き込んだ。

 左からの進行を阻むようにぐったりと重くなった体を投げると、右から剣を振りかぶってきた男の懐に潜り込んだ。男の足を払いつつ、薙刀の柄で頭を押さえ、脇の下に肘を打ち込む。姿勢が大きく崩れた男の腕を絡め取りながら押し倒すと、男の肩が外れた感覚が手に伝わってきた。

 流れるような動作で、次々に盗賊たちを倒していくスルナの横で、ハワンとシムルも盗賊たちを足止めしていた。

 やがて、隊商の列がゆっくりと前に進みだした。

「こっちの準備はできたぞ」 

「分かりました。私たちも早くここを抜けましょう。殿しんがりは私が務めます」

 ライラが手綱を握り、馬を走らせた。ヤクが、荷車と馬を繋ぐ縄を切り、ライラに合図を出した。

 スルナも、離れていく隊列に気を取られている盗賊たちの隙をついて馬に飛び乗り、隊商の列の後を追っていった。盗賊たちは、もうそれ以上追ってくることはなかった。


 西オッサム区は、スルナが幼少期を過ごした場所である。幼いスルナは父とともにここに来て、そこで一人の少年と出会った。名前はカザンといい、彼は必死に勉強し、今は中央レッサル区の王宮で、国をひきいていく立場にいる。

 渓谷を抜けた隊商はその後、何事もなく西オッサム区の商館に着いた。

 積荷を下ろし、話をしている人たちから少し離れたところに、スルナは立っていた。

 この後何をしようか、と考えていると、人の気配がしてスルナは顔を上げた。

「ナガンさん、お疲れ様でした」

「いえいえ……スルナさんの方こそ。ここまで護衛していただき、ありがとうございました」

 ナガンが頭を下げると、ナガンの足元に隠れるようにしてこちらを見ていたナガンの娘も、上目遣いにぺこりと頭を下げた。

 スルナがにこっと微笑むと、女の子は顔を伏せて父の後ろに隠れてしまった。


 徐々に夏が近づき、蒸し暑い日が続いている。商館の敷地内の木々は青々と葉をつけ、陽の光を弾いてキラキラと光っていた。

「……ぱり、納得できないです」

 聞き覚えのある声が聞こえて振り返ると、ハワンとヤクが話しているのが見えた。

「護衛士の仕事は、命を守ることです。護衛士として長い間貢献してきたあなたと、あの〈何でも屋〉が同じ報酬なのは、護衛士とあなたに対する侮辱です」

 この地区の護衛士たちの報酬は、その護衛士ごとに決まっていた。依頼人からの評価や、護衛士としての経歴によって報酬が高くなっていく。

 少し離れたところからハワンの話を聞いていたスルナは、気まずくなってその場を去ろうとした。

「……はあ。やっぱりお前は、何も見えていなかったんだな」

 ヤクが疲れたような声で、呟くように言った。ハワンの眉間の皺が、より深くなった。

「スルナさんは、あの谷に入る前から、射手に最も狙われやすい位置にいた。矢を弾いた瞬間も、すぐさま矢が飛んできた方を指し示して、俺たちがやりやすいようにしてくれていた。

 それだけじゃない。盗賊どもにも誰一人深い傷を負わせず、恨みを買うようなこともしなかった。お前は一番スルナさんに近いところにいたのに、そんなことにも気づかなかったのか」

 スルナが館を出ようとすると、シアムに呼び止められた。

「スルナさん、急いでいるところ申し訳ありません」

「シアムさん。どうかしましたか?」

「お礼を言わせてください。今回の護衛に加わってくださり、ありがとうございました。スルナさんのおかげで、誰一人欠けることなくここまで来れました」

 シアムの嬉しそうな顔を見て、スルナも笑顔になった。

「父の跡を継いだ感想は?」

「あはは。そうですね……。まだ実感がわかないですね。父の名を汚さないよう、頑張ります」

「……護衛士たちをまとめる立場になる、っていうのは、それなりの覚悟がいることだよね……」

 スルナはふと、気になって聞いてみた。幼馴染のカザンは、国民を代表する立場になったとき、果たして何を思っていたのだろうか。尊敬する人が、目の前で殺された時の、あの虚ろな目には、果たして何が映っていたのだろうか……。

「時には、誰かが起こした問題の責任を取らなければならないこともある。そうと分かっていて、シアムさんはどうしてかしらを継ごうと思ったんですか」

「私は……」

 シアムは少し考えると、言葉を選びながら話し始めた。

「私は、物心つく前から、ずっと父の仕事について行ってました。護衛士としての暮らしは、私にとって当たり前のものなんです」

 シアムはそういうと、少し照れくさげに言った。

「実は、私が護衛士頭ごえいしがしらになるのを推薦してくれたのは、ヤクさんなんです。本当なら、次の護衛士頭は、あの人がなるべきなんですが、歳を理由にそれを辞退しまして……」

「ヤクさんは、人のことをすごくよく見てると感じました。人を守る、護衛士のかがみのような人だと」

「ええ。私を支えてくれる人がいて、その人が私を選んでくれたのなら、私は、それに応えなければならない」

 最後の言葉を聞いて、険しかったスルナの顔がふっと緩み、優しい笑みに変わっていった。

「そう。ありがとう。シアムさん、今後の活躍を祈ってます」

「はい。スルナさんも、お元気で」


 商館を出ると、既に日が傾いていた。澄んだ蒼い空の中に、夕日の燃えるような茜色が山の端にさしている。そしてそれらが混ざり合った鮮やかな紫の雲が山の上にかかり、この世のものとは思えないほど美しかった。

 記憶の中の故郷は、色褪せ、もう定かにも思い出せなくなっている。きっと、子供の頃のこの景色も、今と同じように美しかったのだろう。子供の頃は見えていなかったものが大人になった今は見えるように、子供の頃は見えていたものが、大人になると見えなくなっていくものもある。

 あの頃は自分の事でいっぱいいっぱいだったが、だからこそ、カザンの気持ちや思いというのが素直に受け取れていたような気がする。


 スルナは、さっと踵を返し、歩き出した。深い緑の髪は、夕日のもとで、さらに深い色をかもし出している。足取りは軽く、スルナは鼻歌混じりに見慣れた街を歩いていく。

 空には星がきらめいていた。

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夜明けの星 番外編 稲荷ずー @inari_zooo

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