花菖蒲

星雫々

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焦燥を仰ぐは初夏なれど、懺悔を乞うもまた夏の運命さだめである。






それは雨のツンと鼻につく、所謂違和感を煮詰めたような白昼であった。




扇情的で湿りきったいとまを與え、

悪戯の虜であると我が蝶と重ね、女は自ら罠に飛び入ると云うのだ。


指環を失せたのは何度訊ねれど星を幾つか消したあの夜か、しいてはあの月を消し損ねた白夜の出来事であったかなどと曖昧で、その度異なる答が利口と婀娜の象徴とも感じられた。







車窓から見える剛く瑞瑞しい紫陽花の群と乖離して浮ぶ花は江戸紫を滴らせてしおらしく縮こまるのがなんとも雅で、車輪で水飛沫を掛けてやればよいではないかと膝を叩いた刹那に葉巻の灯火を分ける女にも劣りはしまい。先程迄の降雨がまるで嘘のように蒼穹であるのを人々は軈て甲乙つけ難い世界の安寧だと信じ纏わるが、それは馨しいあの、凛とした、青青と耽美な剣の花を思い出してはまた浅はかなる艶羨を与えざるを得ないのであろう。





「その宝石いしはどうしたのだ」





贈った金剛石とも違い、漆黒に艷めくその石ころを、女は面倒極まりないとでも申したそうに撫でた。葉巻に染みる唾液には先程片手で喰らった黒胡椒のたんと効く豚の腸詰めを想起させる。前歯で張り裂くは艶のある皮、喉の奥にまで痞える粗挽の肉、品格を失ったように滲み出る脂を先まで堪能し、衣擦れの音を誤魔化すように流したレコードが淡々と歌うのは、あれこそ白白しく推論を語る夏の復讐だと女は唇を突き出した。私はこの女の上唇が好きだ。まるで尖りを象ると薄く萎れ、色素を抜いた花の雌蕊。私は雄弁な雄蕊であれば良いと願っている。詰めた欲が腸詰めの犠牲であれば更に良い。傷のついた窓枠をところで蝶番を爪で抉ったあの女は達者であるかと煙を吹かす。白い光が斜めに差して、座席に翳を作る。木製の床は人が乗る度に鈍い音で啼き、脚を組み替えると長谷駅が見え、潮の、そして蜜柑の香りが通り抜ける。なるだけ平常を保つべく景色へと視線を放ったが、姿形が脳裏に焼き付いている。






「純潔も包めば淫弄ね」






女が点した紅は余暇を売買する予価でしかなかった。驟雨に襲われる卑しき葉脈の轟かす、白詰草の強かさなれど隣人の仇討ちと化し、オニキスの精悍な艶めきにすり変わった。想う良き日に手を伸ばせど掴めぬのは夢か現か、白亜に擦れる茎を眺めては憧憬に馳せ、時を待つ。ふかす列車の蒸気と、熱帯夜の唸る吐息、それこそが女の便りであったのだろうか。何処にも所在無い追憶が目の前にぶらさがっている。

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花菖蒲 星雫々 @hoshinoshizuku

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