第08話 再来

 トビの手から、紐がさっと奪われる。オオタカが紐を持ち、広がっていた後ろ髪をまとめ始めた。視線は不審げにトビを見つめている。


ったのか」

「ち、違うわよ! 落ちてたのを拾っただけ。ていうかそれ、あなたの髪留めだったのね。それをなくしたから、オジロワシと戦っていたところまで戻って探しに行こうとしてたのね」


 トビが納得したように独りで手を叩いた。

 オオタカは依然トビに訝しげな眼差しを向けていた。後ろ髪をひとつにまとめ、紐を使って襟足を結ぶ。紐の端につけられた二つの玉が、夕日の光を受けてきらめいた。


「ドロップ王国といえば、ここより東にある小さな島国よね。アタシも行ったことがあるけど、自然が豊かで人も優しくてとても平和な国だったわ。どこにも属さない中立国家で、確か、お抱えの鳥機人を二体保有しているって話だったけど、あなたがそのうちの一体だったのね」

「違う」


 トビが始めた話を、オオタカは一言で止めた。視線がトビから離れ、ここではないどこかを見つめる。


「おれはあの国の物になった覚えはない。シズクはおれを自由にしてくれた」


 言葉は淡々としていて、顔も無表情のまま。それでも、両手が強く握られているのが、トビには見えた。


「だが、おれはシズクを……」


 言葉は途中で止まり、オオタカは目を伏せる。


「ドロップ王国はアビス帝国の攻撃を受けて一夜で滅んだって、風の噂で聞いたわ。城も街も自然も、壊滅的な被害を受けたって……」


 トビが言いにくそうにしながらも、自分の聞いた話を伝えた。

 オオタカはなにも言わない。一度ゆっくりとまばたきをすると、不意に歩を進め出した。


「どこ行くのよ?」

「世話になった。おれは行く」

「だから、どこに行くのよ! まさか、アビス帝国に行って、仕返しするつもり!?」


 トビがオオタカの前に回り込み、真剣な表情で詰め寄った。


「あなた一体でなにができるって言うのよ! 殺されるか、捕まって無理やり兵士にさせられるだけよ!」


 そこまで言って、トビはオオタカがオジロワシと戦っている時のことを思い出した。


「そういえばあなた、オジロワシに『実験材料』って呼ばれていたわよね? もしかして、アビス帝国ともなにか関係があるの?」


 トビの問いにオオタカは答えない。視線をそらし、横を通り過ぎる。


「お前には関係ない」

「またそれ!? もうっ、待ちなさいよ!」


 来た道を歩き出したオオタカを、トビは追いかける。

 その時、畑の間から、何人かの子どもたちがこちらへ駆けてくるのが見えた。


「鳥機人さーん!」

「鳥機人さーん!」


 リンナを含めて五人の子どもたちがオオタカを取り囲む。リンナの腕には子猫も抱かれて、嬉しそうな鳴き声を上げていた。


「あのね、あのね。お祭りといっしょに、鳥機人さんの歓迎会を開くことになったんだよ!」

「大人のみんなが準備してるよ。早く行こうよ!」

「鳥機人さん、服が破れてるから、母ちゃんが新しいのを仕立ててくれたよ!」


 子どもたちが口々に言って、オオタカの手をつかんで引っ張り出す。オオタカはなにも言わないが、困ったようにわずかに眉を歪めていた。

 村へと戻されるオオタカの後ろ姿を見ながら、トビは笑みを浮かべる。


「無愛想なわりに、子どもには弱いのね」



   *   *   *



 その夜、村ではお祭りと歓迎会が同時におこなわれた。陽気な音楽が流れ、人々の賑やかな声が夜遅くまで響いた。

 そんな活気に満ちた村から遠く離れた崖の上に、一体の鳥機人が舞い降りた。


「見ぃつけた」


 大鎌を肩に担ぎながら、口角を上げる。深くなる闇に紛れて、その姿はだれの目にもとまることはなかった。



   *   *   *



 お祭りと歓迎会が終わり、村人たちが家に帰って寝静まった頃。


「うぅ~、やっぱり朝にすれば良かったかな……?」


 満月の光だけが照らす薄暗い夜道を、一人の少女が心許ない様子で歩いていた。お祭りの楽しさですっかり興奮してしまって眠れないリンナは、寝ている親に黙ってこっそり家を抜け出してきたのだ。


「で、でも、早く見せたかったもの。トビお姉ちゃんもオオタカお兄ちゃんも、きっと喜んでくれるよね」


 そう呟き、筒状に丸めて持っていた紙を開いて見る。そこにはトビとオオタカの似顔絵が描かれていた。ベッドの中で寝ているふりをしながら描いたものだ。リンナは笑みを浮かべ、トビの家へ向かおうと再び歩き出した。


 ガシャン。


 その時、背後で物音がした。

 リンナが小さく声を上げて、恐る恐る後ろを振り返る。そこには、大人のひとが立っていた。ゆっくりと顔を上げると、背中から翼が生えているのが見えた。


「鳥機人さん……?」


 トビでもオオタカでもない。初めて見る鳥機人が目の前にいる。リンナの顔に安堵が浮かび、胸に興奮が沸き上がった。


「新しい鳥機人さんだ! トビお姉ちゃんの知り合い? それともオオタカお兄ちゃんのお友だち?」


 トビやオオタカを見てきたリンナは、目の前の鳥機人に向かって明るく声をかける。

 一方、鳥機人はリンナを見下しながら、鼻で笑い、冷笑を浮かべた。


「鳥機人を恐れないのか。あの時の国と同じで、愚かな村だなぁ」

「えっ……?」


 相手の声を聞いた瞬間、リンナの背に寒気が走る。暗くて最初はわからなかったが、よく見ると、鳥機人の肩には自分よりも大きな鎌が担がれていた。


「人間は鳥機人に支配される物だ。身をもって教えてやる。俺様たちの恐ろしさをなぁ?」


 鋭利な大鎌の刃が、月の光を受けて怪しく輝く。リンナは言葉が出てこなくなり、手が震えて持っていた紙を落とした。

 鳥機人がリンナのもとへ近づく。地面に落ちた似顔絵が、踏みつぶされる。鳥機人の手がリンナへと伸ばされる。


「やめろ」


 リンナの目前に手が迫ったその時、横から別の手が伸びてきて、鳥機人の腕をつかんだ。


「これ以上、関係のない人間を巻き込むな」


 鳥機人の腕をつかんだのは、オオタカだった。リンナを庇うように前に立ち、相手を鋭く睨みつける。


「来たか、実験材料。人間の一人でも人質にしておびき寄せようと思ったが、手間が省ける!」


 鳥機人が反対側の手で持っていた大鎌を、オオタカに向かって振り下ろす。オオタカは鳥機人から手を離し、リンナを抱いてその場から離れた。オオタカが立っていた地面に、鎌の先が深く突き刺さる。


「あいつに伝えろ。今すぐ村人全員を避難させろと」


 片膝をつき、オオタカはリンナを降ろしてそう言った。


「あいつって、トビお姉ちゃんのこと?」

「そうだ」


 軽く頷き、立ち上がる。地面から鎌を抜いた鳥機人が顔を向けると同時に、オオタカは駆けだした。


「来い、オジロワシ」


 オジロワシがオオタカを目で追い、翼を羽ばたかせて地面を蹴った。空を飛びながら、オオタカにめがけて鎌を振り下ろす。オオタカはその攻撃を避けながら、村の中心から離れるようにして駆けていった。

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