第7話 ゴブリンスレイヤー part1

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前書き

性的な描写、陰鬱いんうつな描写が出てきます。

苦手な方は読み飛ばしてください。

(ゴブリンスレイヤー以降のエピソードであらすじを書くようにします)

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朝。

泰之やすゆきは目を覚ますと精神集中のために瞑想めいそうをしていた。

足がももの上になる様に胡坐あぐらをし、半目で中空ちゅうくうを見つめる。

力を抜いて。

深い呼吸で。

もう一段力を抜いて。

体が溶けるイメージで。

料理をする音と匂い。

鳥の鳴き声。

浅く息を吸って、深く吐く。

「……泰之、何してんの?」

リィナにかれて泰之は目を開く。

リィナは信じられないものを見る様な表情で泰之を見ている。

「瞑想だけど?」

「……それって半裸でやる必要ある?」

「この方がさ、ほら、気分がね」

「つまりは無いのね」

「無いとも」

なぐりたぁっ」

リィナは吐き捨てる様に言ったが、泰之は特に気にする様子もなく、

「ほんで何しに来たの?」

「ご飯もそろそろできるし起こしに来たのよ。そしたら性的暴力せいてきぼうりょくされたわけ」

「してないが?」

「いいから服着て食堂来て。私はエイミちゃん起こしてくるから」

リィナは扉を閉めて出て行った。

泰之は大きな欠伸あくびをすると、タンクトップだけを着て、階下へ降りて行った。


食堂には黒パン、マッシュポテト、レタスとトマトのサラダ、コーンスープが並んでいた。

泰之がサラダを食べているとリィナとエイミが降りてきた。

「おふぁよう」

「飲み込んでからしゃべりなさい」

「泰之さんほっぺにトマトついてますよ」

「サラダ食ってんだぞ、つくわけないだろ」

泰之が席に着くエイミに向き直りながら話しかける。

「ついてるから言ってるんですよ。あ、リィナさん、お水下さい」

「あいよー」

「リィナ、今日からゴブリン退治に行こうと思うんだけど」

「あれ、そうなの。どこまで行くの?」

グラスを机に置きながらリィナはたずねる。

エイミがぺこりと頭を下げる。

「細かいことはギルド行って確認してからだけど、もし泊まり込みになった場合宿代ってどうなるの?」

「えーと、一応二週間でお金貰ってたよね。居なかった日は二割引きで二週間後に改めて精算するよ」

「なるほど。十割引きにできない?」

「それ無料じゃないですか泰之さん、ほっぺにトマトついてますよ」

「俺今マッシュポテト食べてるんだが?」

「さっきのがずっとついてるんですよ。洗面所で見てきてみたらどうです?」

「ちょっと見てくる。あ、エイミ、お前。おでこにパンついてるぞ」

「私そんな珍妙ちんみょうな食べ方してないんでつきませんよそんなとこ」

泰之が洗面所に立つとリィナとエイミの目が合った。

「エイミちゃんも行くの?ゴブリンなんて危なくない?」

勿論もちろん行きます。パートナーの力量は知っておく必要があります」

「私の知る限り、人喰い鎌マン・イーターと互角くらいだったよ」

「それが本当かどうかを確認に行くんですよ」

「それでもじょうちゃんが行く必要はないんじゃないか?人喰い鎌マン・イーターとかどうせ暇してるだろうし、無理でも他の冒険者にでも行かせれば……」

宿屋の親父はエイミを心配して言うが、エイミは突っぱねて

「私、見てないものは信用できない性質たちなんです」

「ただいまっと。親父さん、そう心配するなよ。まぁ何とかなるさ」

「そうは言うがねぇ……」

「泰之さん、まだほっぺにトマトついてるじゃないですか。何しに洗面所行ったんですか?」

そうこう言いながら食事を終えると、泰之とエイミは冒険者ギルドへ向かったのだった。


「ゴブリン退治は……これか」

「ちょうどありましたか。……ていうか、もう文字覚えたんですね、凄い」

エイミは素直に称賛しょうさんする。

泰之はつい面映おもはゆい気持ちになった。

まぁ、形が違うだけでただのカタカナだしな、あれ。

ちなみにゴブリン退治のクエストいくつかありましたけど何故これに?」

「目についたから」

「そんなことだろうと思いましたよ……」

エイミは溜息ためいきいたが泰之は特に意に介さず、依頼書をケイティのところへ持って行った。


「ゴブリンの退治クエストですね。エイミさんも同行するんですか?」

「はい」

「泰之さんが強いのは知ってますけど、エイミさんを危険にさらすのは……」

「ゴブリンってそんな強いのか?」

「単独ではそれほどでもないですが、巣があったりすると厄介ですね……」

ケイティはパラパラと資料をめくる。

「あ、でもゴル村には小鬼殺しゴブリンスレイヤーが行ってるので大丈夫そうですね」

小鬼殺しゴブリンスレイヤー?」

またみょうちきりんな二つ名が出てきたな、と泰之は渋面じゅうめんする。

小鬼殺しゴブリンスレイヤー、十年ほど前から活躍している、ゴブリン退治を生業なりわいとする冒険者です」

「ゴブリン退治って生業としてやるようなものなのか?」

「普通の人はやりません」

「変なやつなのか」

「泰之さんが言わないでください」

「泰之さんに言われたくないと思いますよ」

理不尽りふじんだ……あまりにも……っ!」

涙をぬぐうフリをする泰之を無視して、エイミは続ける。

「このクエストを受注じゅちゅうするということでお願いします。なお、私は冒険者ギルドには登録していないので、。その際の違約金いやくきんも払いません」

「強気で言ってるけどそれ無理ない?」

「倫理上は問題ありますが、規則上は問題ありませんね」

「それでいいのかこの組織は?」

「同行者に責任を負わせるわけにもいかないというか……冒険者が危険におちいってる場合、同行者の安否あんぴとかというのが本音というか……」

「まぁそうか。同行者の方が大体弱いだろうしな」

「そういうことです。結局のところ倒れなければいいんですよ泰之さん」

「なるほど、シンプルイズベスト。おにぎりには沢庵たくあんということだな」

「は?」

エイミとケイティの声が重なる。

「君ら昨日が初対面なのに俺に冷たくない?」

「まぁそれはさておいて、このクエストを受注するということで問題ありませんね?」

「色々まだ言い足りないけども……ゴルの村とやらまではどれくらいかかるんだ?」

「馬車で三日くらいですね」

「馬車って借りれるの?」

「そうですね、二人乗りの馬車なら一か月までは無料で貸し出しています。御者ぎょしゃの人件費は別料金です」

成程なるほど。泰之さん、馬車は操れますね?」

「馬術の経験は多少あるけど馬車を操った覚えはねぇよ」

家の事情で武芸百般ぶげいひゃっぱん手を付けたけれど、と泰之は頭をく。

「馬術の経験があれば馬車は操れそうな気はしますけど、どうなんでしょう?」

「御者さんに教えてもらって出来そうならって感じかなぁ」

そう言って泰之は御者に操縦方法を訊きに行く。

「……泰之さんって何だかんだ万能ですよね……」

エイミがぽつりとつぶやくと、

「エイミさん、早めに名乗りを上げておくといいかもしれませんよ?」

ケイティがエイミに悪戯いたずらっぽくささやいた。

「なっ」

エイミは耳まで赤面せきめんしながら振り返る。

別にその気はなかったが、この手の揶揄からかいに素面しらふで居られるほど、少女の純情は成熟していなかった。

「きゅ、急に変なこと言わないでください!」

「ただいまー、まぁ何とかなりそう……何かエイミ赤くない?ケイティさんに殴られた?」

「ま、まぁ大体そんな感じです」

「ケイティさん、幼女に手をあげるのは……」

「あげてません」

「だ、誰が幼女ですか!!もう行きますよ!もう!」

ぷりぷりと怒っているエイミの様子に困惑しながら背を押される泰之。

そんな様子を、ケイティは微笑ほほえましく見守っていた。



バレッタ・ニーベルングは、特筆とくひつすべきところのない冒険者であった。

優秀というわけでもないが、そつなくクエストをこなしてくる。

ギルド職員の印象はその程度だった。


ある日、バレッタは何の気なしにゴブリン退治のクエストを受注した。

男性冒険者三人と女性冒険者一人、そしてバレッタ。

クエストはとても順調だった。

ゴブリンの巣を見つけ、八割方の攻略が完了。

明日朝からの調査により完全に攻略が完了する予定――。


朝。

バレッタ達は準備を整え、ゴブリンの巣へ向かった。

最後の日も、攻略は順調に進んだ。

バレッタは、一匹の小さなゴブリンを見つけた。

バレッタが剣を振るうと、ゴブリンははしこく逃げ回る。

それでもバレッタはゴブリンを追い詰め、右耳を落とし、左肩に風穴かざあなを開けた。

ゴブリンの動きはにぶくなり、哀願あいがんする様に泣き叫び始めた。

その様子を見て、バレッタは心苦しくなってしまった。

ゴブリンが小さかったことも少なからず影響していたのだろう。

がむしゃらに逃げ走るゴブリンを、バレッタは見逃してしまった。

仲間の誰かが殺してくれるだろう、そんな希望もあった。

そうして、一体のゴブリンを逃がした以外、何の問題もなくクエストは完了した。


ゴブリンとは、妄執もうしゅうのモンスターである。

我執がしゅうとらわわれている。

被害妄想に拘泥こうでいしている。

バレッタが逃がしたゴブリンが感じたのは恩ではなかった。

同胞はらからを殺した人間への恨み。

自分を痛めつけた人間への恨み。

自分は何もしていなかったのに。

ゴブリン目線ならば、あるいはそうなのかもしれない。

平穏な日常を突如破壊した人間。

そんな人間を許せるはずがない。

しかし、ゴブリン目線とは、どこまでも独善的どくぜんてきだ。

ただ平穏な日常を過ごしていただけで、退治の依頼が出るだろうか?

ゴブリンの日常には狩りが含まれる。

狩りの対象には、時に人間が含まれる。

食欲のために、性欲のために、或いは享楽きょうらくのために。

バレッタが逃がしたゴブリンは誓った。

同胞の命を、我々の土地を奪った人間を――。

残忍ざんにんな、酷薄こくはくな、貪婪どんらんな人間を――。

――殺そう、と。


それから、三年がった。

くだんのゴブリン退治に参加していたパーティーが久しぶりに結集していた。

ギルドで酒をわしながら、思い出話に花を咲かせる。

ふと、パーティーの一人が依頼の掲載されている掲示板を見た。

そこにあったのは、何の変哲へんてつもないゴブリン退治の依頼。

彼らは再びゴブリン退治に向かった。


クエストは思った以上に難航なんこうしていた。

ここのゴブリン達は妙に強い。

動きに連帯感があり、強い意志を感じる。

パーティーは一旦引き上げ、野営をした。

翌日の作戦を話し合い、早めに眠った。


バレッタは、見張りの男の叫びで目を覚ました。

月には雲がかかっている。

頼りになる明かりは焚火たきびくらいのものだ。

テントから飛び出したバレッタは、周りをゴブリン達に囲まれていることを確認すると舌打ちする。

夜襲だ。

ゴブリンが夜襲をするなどという話は聞いたことが無かったが、現に今襲われているのだから仕方がない。

ゴブリンは何体居る?

相手の武器は?

様々な思考が錯綜さくそうし、バレッタ達は後手に回るのを余儀よぎなくされる。

見張りの男は初撃しょげきで腕を落とされたらしく、痛みで叫び続けていたが、三本の槍で一斉に突かれると糸が切れたようにこと切れた。

見張りの男の死により、パーティー全体に緊張が走る。

辺りは夜の静寂しじまに包まれて、しぃんと静まり返る。

ざぁっと木の葉がこすれる。

焚火がぱちぱちと燃える。

ぱきっと、枝が踏み折られる。

感情のたかぶりか、それとも静寂による緊張か、はたまたその両方か。

見張りの男と親しかった筋肉質な男は、耐えられなくなって咆哮ほうこうした。

闇雲やみくもに剣を振り回し、敵を威嚇いかくする。

自らの身を危険に曝すだけだと分かる程度には、思慮深しりょぶかい男のはずだった。

しかし止めることができない。

友をうしなった怒り、守れなかった自責じせき、敵に囲まれている焦り。

ぜになった感情に操られて、筋肉質の男は剣を振り回す。

落ち着く様にリーダーの男が呼びかけるが、効果は無かった。

女性冒険者が距離を取ろうと一歩後ろに下がると、ゴブリンに羽交はがめにされた。

きぬを裂いた様な叫びが一帯に響いたかと思うと、鈍い音が鳴り、叫び声が止む。

バキン、と剣の折れた音が響いた。

筋肉質な男が振り回していた剣が岩にぶつかって折れた音だ。

筋肉質な男がひるむと、その瞬間を見計らってゴブリンがその頭に棍棒こんぼうを振り下ろす。

棍棒が頭に当たる。

地面に倒れる。

棍棒が頭に当たる。

棍棒が頭に当たる。

べしゃっ、と音がした。

脳漿のうしょうが、リーダーの顔まで飛んだ。

リーダーが尚も棍棒を振り下ろそうとしているゴブリンをたおそうと振り向いたところへ、矢が飛んできた。

一瞬で針鼠はりねずみの様になったリーダーは、そのままうつぶせに倒れ、しばら痙攣けいれんしていたが、三十秒も経たないうちに動かなくなった。


何だこれは。

どうなっているんだ。

バレッタは混乱していた。

一瞬で壊滅したパーティー。

逃げなければ。

何処へ?

包囲の一角でも崩せるだろうか?

何処の包囲が薄いかもわからないのに?

焚火しか明かりが無いのに?

ゴブリン達は槍と棍棒と弓を持っている。

自分が持っているのはレイピアだ。

槍と弓相手はアウトレンジでやられる。

棍棒相手は折られるだろう。

絶体絶命だ。

恐怖が限界を超え、バレッタは口の端に笑みを浮かべた。

背後から棍棒で頭をぶたれ、バレッタは昏倒こんとうした。


バレッタが目を覚ますと、そこはゴブリンの巣の中だった。

壁から垂れた鎖に繋がった手錠でバレッタは拘束されていた。

えた臭いが辺りに充満している。

かすれた視界の先から女性冒険者の苦悶くもんの声が聞こえる。

ゴブリン達の獣欲じゅうよくを一身に受ける女性冒険者は、汚泥おでい白濁はくだくまみれ、口から泡を吹いている。

その光景を見たバレッタは女性冒険者の名前をつぶやく。

女性冒険者は目を覚ましたバレッタに気づき、助けを求める様に藻掻もがいて、左手をバレッタの方に伸ばしてきた。

ゴブリンはその手に気づくと、手近な岩を取り左手に振り下ろす。

女性冒険者は手の骨が砕け散った痛みに絶叫した。

ゴブリンは再度岩を左手に振り下ろす。

手が岩に潰され、人差し指が弾け飛んだ。

女性冒険者はまた泣き叫ぶ。

数匹のゴブリンが女性冒険者を黙らせるために顔を殴りつける。

顔がれ上がった女性冒険者の悲鳴は、嗚咽おえつに変わった。

バレッタは見ていられず顔を背けた。

終わらない嗚咽を聞きながら、バレッタの頭に疑問が浮かぶ。

何故、

答えに辿り着けないバレッタの前に、一匹のゴブリンが現れた。

そのゴブリンには右耳が無く、左肩に傷跡があった。

私の逃がしたゴブリンだ、とすぐに気づいた。

一瞬、淡い希望がぎる。

生かした恩を返してくれるのではないか、という希望。

その希望は、しかし、ゴブリンの表情によって打ち砕かれた。

棍棒を手に嚇怒かくどしているゴブリン。

このゴブリンは私に恨みしか抱いていないのだ、とバレッタは理解した。

歯の根が合わないなか、必死に許してと言おうとしたが、無慈悲に棍棒を振り下ろされる。

頭を振りぬいた棍棒からはぽたぽたと血がしたたっていた。

ごめんなさい、と言えたのか、それとも思っただけだったのか。

必死に体をよじって逃げようとするが、逃げられるわけもなく。

股間から温かいものがみ出ていて。

――その後暫くの記憶はバレッタにはない――。


それから何日が過ぎただろうか。

思い出すだにおぞましい、地獄の様な日々だった。

毎日の様に獣欲と、思い出した様に暴力衝動をぶつけられ。

悔しさで眠れない日も、痛みで眠れない日もあった。

泣き叫んでいたら、いつしか声がまともに出なくなった。

女性冒険者の左手が遂に壊死えしし始めてから、幾日いくにちか経ったある日。

助けが来た。

助けが来てくれた。

助けが来てくれたのに。

バレッタは特に何の感慨かんがいも抱けなかった。

助けに来てくれてありがとう、とは思えなかった。

、と思った。

治療をしてくれてありがとう、とは、思えなかった。

?と、思った。

女性冒険者がどう思っているかは、バレッタにはわからなかった。


バレッタ達を助けたパーティーのリーダーは勇者を自称していた。

曰く、勇敢にして、賢明なる正義の使者だと。

勇者のパーティーには聖女と呼ばれる少女もいた。

曰く、如何いかなる痛みもいやすのだと。

如何なる痛みも癒すというのはあやまりだった。

彼女には壊死した腕を治す手段など無かったのだから。

勇敢にして、賢明なる正義の使者というのも、誤りだった。

彼は賢明というには頑迷がんめいに過ぎたから。


バレッタと女性冒険者は、近くの村の空き家で療養することになった。

バレッタ達は助けられてから、何もせずに過ごした。

目を覚ますと凶悪な虚脱感きょだつかんが襲ってきたから、沐浴もくよくもろくにせず、辛うじて排泄はいせつと食事をすると、また眠った。

バレッタ達の体が臭ってくると、聖女が清潔な布で拭いてくれた。

ほとんど食べたことはなかったが、毎日見舞いに来ると果物を食べやすく切ってくれた。

生きる気力が無くなると、勇者が懇々こんこんと命の大切さを説いてくれた。

村人たちは流石勇者、流石聖女だとめそやした。

そうして、無為むいな時間が何か月か過ぎた。


ある日をさかいに、女性冒険者が食後に頻繁ひんぱんに戻すようになった。

バレッタよりも食事をらなくなったのに、腹が出始めた。

ある晩、バレッタは意を決して、女性冒険者のもとへとを進めた。

蝋燭ろうそくの炎にかたどられた影が、不安そうに揺れる。

女性冒険者は、バレッタが隣に立っただけで見るからに怯え、ふるえていた。

親友とも呼べる彼女の変わり果てた姿に、バレッタは心を痛めながら掠れ切った声で話しかける。

「ねェ、あナ、た、ひょっト、シて――」

「違う!!」

女性冒険者は耳を塞いでうずくまる。

「違う、違うの、違うのよ。そうよ、違う。違うんだよ。違う、あなたは違う、間違ってるの。違うよね?違うって言って?お願いだから。間違ってたって。違うから。だって、そうよ、違うんだもの。言ってよ。違うって。ねぇ。違う、違うのよ。こんなの、違っててよ!!言ってよ!!お願いだから!!なんで!!違うでしょ!?違うよね!?ねぇ!?ねぇったら!!」

女性冒険者の感情が爆発する。

行き場のない不安や不満が一気に噴出ふんしゅつしたのだろう。

「ごめン、ナさイ、スコし、おちつ、イ、て」

「だって、だって。違う、違うんだもの」

「でモ――」

「あなたは!!関係、ないから!!だから!!そんな……口調、で……!!……ごめん、私、でも、違う、でも、あの、ごめん……!あなた、だって……。でも、ねぇ、お願いよ。一度だけで、いいの……。言ってよ、違うって……。は。って……!!」

女性冒険者がむせび泣き始める。

バレッタは何も言えなかった。

何も言わないバレッタを見て、女性冒険者は泣き崩れた。

女性冒険者の様子を見ていられず、バレッタはきびすを返した。

ふと、あるものが無力感に打ちひしがれるバレッタの目に入った。

蝋燭の炎に怪しくきらめくそれを手に取る。

――聖女が、なら――。

バレッタは無言で女性冒険者に近づいた。

女性冒険者はバレッタを見上げ、手にしているを見る。

一瞬驚いてみせたが、悲壮ひそうな決意のこもった眼差まなざしでバレッタの目を見据みすえ、うなずいた。

女性冒険者は、横になり、目をつむる。

バレッタの手は女性冒険者の首へと伸びる。

しかし、その手は震えていた。

頸動脈けいどうみゃくを切って、親友を殺す。

親友が、それを望んだから。

苦しむだけなのが、目に見えているから。

だからって、私が?

なんで、こんなことを。

手が震える。

呼吸が荒くなる。

視界が、にじむ。

「ねぇ」

女性冒険者が話しかける。

「私ね、最期さいごは、こんなんだったけどさ。バレッタと会えて、楽しかったよ。私が狙ってたやつといつの間にかくっついてた時はちょっとムカついたけどね?まぁ、そんなことはもういいんだ。こんなひどいお願い、聞いてくれてありがとう。本当に、すごく、感謝してる。難しいと思うけどさ、バレッタは幸せになってよ。これも、酷いお願いかな?バレッタ、あなたと親友になれて、本当によかった」

女性冒険者の言葉が終わると、不思議と手の震えが止まった。

首筋にナイフを当てる。

――――。

「――大好き」

バレッタは、ナイフを引き、頸動脈を裂いた。

バレッタの顔に女性冒険者の血が飛び散る。

滂沱ぼうだとして流れる涙を止めずに、末期まつごの姿をながめていた。

吐き気がした。

胸が苦しかった。

手の震えが止まらなかった。

のが、悔しくて、情けなくて。

果物ナイフを何度も何度も床に突き刺した。

果物ナイフが折れ、破片が乾いた音を部屋に響かせた。

その音が愈々いよいよ空っぽになったバレッタの心にむなしく響いて。

「せイじょ、ナンて、ワた、しの、ここロの、イたみだ、って、いヤせナい、ジゃ、なィ、か」

バレッタはそう呟いて、静かに涙をこぼした。

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異世界剣客立志編 尾中炊太 @onakasuita_1991

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