ありがとう センターマイク

紫鳥コウ

ありがとう センターマイク

 両者ともに、芸歴十八年、コンビ結成十五年、漫才コンビ「ヴィ・バ・ラ」は、解散することを決意した。


 漫才コンテストのラストイヤーは、三回戦で敗退という結果に終わった。結成六年目には、準決勝まで駒を進め、ネタ順は前半だったというのに、敗者復活枠にあと一歩のところまでいった。


 しかし、その翌年から、マハが書くネタが、ほとんどウケなくなってしまった。彼女は、準決勝で披露したネタ以上のものを書かなければならないというプレッシャーに、勝つことができなかった。あの屋外の舞台で浴びた笑い声を、もう一度聞きたかったのに。


 相方のユアは、ネタのことには口出しをすることはなかった。お笑いの能力にかんしては、マハの方が断然うわてだということを知っていたから。


 次の大会の予選は、二回戦で落ちてしまった。ウケなかっただけではない。所定の時間内に、ネタが終わらなかった。このトラウマは、何年経っても、マハの頭から消え失せることはなく、それから数年間は、漫才コンテストにエントリーすることはなかった。


 解散の話を切り出したのは、ユアだった。彼女はすでに、売れない漫才師であり続けることにたえられなくなっていた。最後の想い出――というより、不遇な人生の挽回のきっかけにしようと、決勝戦の舞台を目指して、ラストイヤーにすべてをかけて漫才に取り組んだ。しかし、三回戦で散ってしまった。


 それでも、マハは、お笑いに対する未練があった。新しい相方を探すことはできるのか、ピン芸人としてがんばっていくしかないのか、コント師へと切り替えて、コントのコンテストに挑もうとユアに提案してみたらどうか。


 そんなことを、公式サイトの結果発表ページを消したあと、マハは考えていた。けれど、いままで自分のわがままに付き合ってくれたユアに、これ以上の負担をおわせたくないという気持ちが勝ってしまった。


「ヴィ・バ・ラ」の解散ライブのチケットは、ほんの少しあまってしまった。最後だからといって、マハは自分の両親を会場に呼ぶことはなかった。お笑いの養成所に入ることに、両親は最後まで反対した。漫才師になってからも、ろくに連絡をとっていない。


 ふたりの最後のネタは、準決勝で披露したあの漫才だった。エッジの利いた、彼女たちのなかでは珍しく、設定に入る前の言葉尻をつかまえて、そこから想像をふくらませていくものだ。


「どうもありがとうございました」――深いお辞儀のあと、ふたりは舞台袖へとはけていった。ネタへの笑い声より大きな拍手が、ふたりの背中を突き刺した。


   ――――――


 その後、マハはピン芸人としてフリップ芸に打ちこんだが、二年経ってもいっこうにブレイクの芽がでなかった。


 大晦日。狭苦しいワンルームは、あのころよりずっと広く感じた。一緒に年を越す相方は、もういない。今年最後のライブで披露したネタは、大すべりだった。戯画的な絵が描かれた、折れ線の入った画用紙に、ひとつずつマジックでバツをつけていった。


 いまでも思い出すのは、コンビ結成六年目、漫才コンテストの準決勝のときに、凍えるような屋外で披露したネタの、ひとつひとつのツッコミに対して返ってきた、温かくて大きな笑い声だ。あれ以上にウケることは、もうないのだろう。マハは、どこか、あきらめきっていた。


 目の前のひとを笑わせることが、大好きだ。テレビに出演して、ひな壇でエピソードトークを披露することより、俳優やミュージシャンと共演することより、大御所がMCの番組に出演することより、劇場の舞台に立って、たくさんの観客を笑わせることが、一番好きなのだ。


 マネージャーが、番組出演の仮バラシを伝えてくるたびに、ユアはがっくりとした表情をしていたが、マハは、これで劇場に立つことができるのだと思い、嬉しくてたまらなくなった。おもえば、あのときには、ユアとの未来図の違いが現れていたのだ。


 マハの実力があれば、テレビで活躍することなんてわけがなかったはずだ。大喜利は強いし、すらすらとエピソードトークができるし、むりに笑いをとろうとしてすべったアイドルや俳優などへのフォローも、周りから一目置かれるものだった。


「ヴィ・バ・ラ」の主導権は、マハが握っていた。ユアは、ひとりでバラエティに出演したところで活躍できない。ならば、コンビでがんばればよかったのだ。自分は、ユアの人生をめちゃくちゃにしていたのだと、ようやくマハは気づいたのだった。


   ――――――


 新しい一年がはじまった。こんな深夜だというのに、ネタ番組がオンエアされている。これから数日は、いくつものネタ番組が放送されるのだろう。準決勝にまで進んだ、その翌年だけは、テレビでネタを披露していた。しかしその次の年からは、まったく声がかからなくなった。


 お笑いが大好きなはずなのに、いまは、あまりにもつらくて、ネタ番組をいっさい見ることができなかった。芸人仲間からの年始の挨拶を返す気にもならなかった。もちろん、ユアからは、なんの連絡もなかった。


 ネタをしているときに、舞台袖でふたりを見ている芸人は、いつしかいなくなっていた。いまだって、だれもいない。自分たちを――いまの自分を評価してくれる芸人はいないし、腫れ物のように扱われている。他の芸人のエピソードトークに登場させられて、バカにされることもある。


(もう、辞めてしまおうか)


 マハは、いままでの芸人人生を、あえて悪くとらえてみた。どす黒い感情が、ワンルームに蔓延した。


(先に売れていった後輩のネタでも見て、もっと嫌な気分になってやろう。卑屈になることに、酔ってやろう)


 テレビをつけてネタ番組にチャンネルをあわせると、センターマイクを前に、見知らないコンビがネタを披露していた。関西の芸人らしい。まだ上京はしていないのだろう。「ネクストブレイク」というコーナーに呼ばれたみたいだ。まだ、コンビ結成二年目の若手だという。


 つたない漫才。けれど、不思議なことに、二十代前半くらいであろうツッコミの子のセリフのチョイスが、むかしの自分にそっくりだと、マハは感じた。気のせいだろうか。マハのツッコミのフレーズは、唯一無二のものとして評価が高かった。だれも、まねができない領域のものだった。


 ネタが終わると、ふたりは万雷の拍手を受けながら、ひな壇へと迎えられた。生放送にもかかわらず、堂々と平場でのトークをこなしていた。そのベテランのような風格を、ほかの芸人たちがいじりだす。MCの大御所の芸人が、「独特なツッコミやねえ」と、賞賛の言葉を贈った。すると、彼は興奮した調子で言った。


「ぼく、ヴィ・バ・ラのマハさんのツッコミが大好きで、学生のころからまねしているうちに、こうなったんです」


 その告白にたいして、ひな壇からは、「ヴィ・バ・ラってなつかしいなあ!」というガヤが飛んだ。


 自分たちの漫才が――自分のツッコミが、こんな若い子に、それも、遠い関西の漫才師に、届いていた。


「ヴィ・バ・ラ」は、賞レースで結果をだしているわけでもない、バラエティーで活躍をしていたわけでもない。そんな自分たちのことを、彼らは知っていたのだ。マハは、しらずしらずのうちに、涙をながしていた。止まることはないのではないかと思えるほど、ぬぐってもぬぐっても溢れでてきた。


「ヴィ・バ・ラ」というコンビは、たしかに存在したのだ。自分のツッコミは、若手のひとりの漫才師に受け継がれたのだ。マハは、それだけで十分だった。


   ――――――


 マハは、芸歴二十年目に、芸人人生にピリオドを打った。その後の彼女の人生について知っているものは、まったくと言っていいほどいない。


 あのときネタを披露していた若手の漫才師、「ダイナマイト柑橘類」は、史上最年少で漫才コンテストの王者になった。


 彼らは、それから何年経ってもテレビから消えることはなかった。大忙しなのに、一日に六回も劇場のステージに立つこともあった。見事にロケをこなす腕もあった。コンビの両方ともトークがうまかった。だから、バラエティー番組に引っ張りだこだった。そして、冠番組まで持つようになった。


 売れっ子芸人になった「ダイナマイト柑橘類」――そのツッコミの彼は、質問を受ければ、いまでもこう答えている。


「ぼく、ヴィ・バ・ラのマハさんから、漫才のツッコミを学んだんですよ」

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