太極と大局 五

 あの森が白と黒で形成されてたのも、陰陽を表現していたからだ。白い部分が陽で黒い部分が陰。陸王が棘や木に触れて色が反転したのは、彼が外から入ってきた存在だったからだ。陰陽が滅茶苦茶に重なっている世界で唯一、はっきりとした形の陽が侵入した。正確には、精霊王にさらわれて封じられたのだが。それでも全てがあって、全てがない混沌としたあの世界にとって、陸王りくおうという存在は完全なる異物でしかなかった。



「混沌はさ、陸王を取り込もうとしたんだ。異物を自分と同じ滅茶苦茶なものに作り変えて、世界の一つにしようとした。それが陸王が体調を崩した原因。もし俺が攫われていたら、混沌の嵐に耐えられなかったと思う。精霊王は、本当はそれを狙ったんだろうな」

「もしお前だったら、打開出来たか」

「いいや。すぐに狂ってたと思うよ。全ての声が聞こえて」

「全ての声ってのはなんだ」

「混沌の中でぐちゃぐちゃになって存在する全て。そうとしか言えないよ。なんでもかんでもあるから、精霊障壁があってもないのと一緒だ。精霊が対応しきれない」



 雷韋らいは眉根を寄せながら言った。どこか苦しげにして。



「でも陸王は違う。精霊使いエレメンタラーじゃない。だから耐えられたって部分は大きい。それに、人間族は元々の性質が滅茶苦茶だし、耐性があったんじゃないかな?」

「性質が滅茶滅茶って、あのなぁ」



 呆れたように言うが、ふと思った。


 天使族と魔族には、精霊などの声を『聴く』力がない。


 力が備わっていないのだから、感じられるわけがない。だから陸王はあれだけですんだとも言える。もし人間族であったら、あの水音ももっと不快に聞こえていただろう。魔族である陸王でさえ、不快に思ったのだから。もし自分が人間族だとしたらどんな風に聞こえただろうかとそんな興味はあったが、内心でぞっとしない思いに囚われて、胸中ですぐに首を振った。


 ただ、あの世界で混沌が傍にいたときのことは未だにはっきり思い出せないが、自分が失われていくような感覚だけは残っていた。


 そこを雷韋と吉宗に救われたのだ。それは雷韋に引き摺り出されて、地上に躍り出た瞬間に脳裏に駆け抜けたことだった。


 助かった、と心底から思った。



「雷韋、お前、混沌を作っていたな。混沌の傍にいるだけで、俺は自分が失われて、何かほかのものに変わっていくような気分になったが、あれは危険なものじゃなかったのか?」

「あぁ、あれか」



 雷韋は嫌な顔もせず陸王に目を遣った。



「あれはさ、人工的なものだったから大丈夫だったんだよ」

「どういうことだ」



 陸王は思わず眉をしかめる。



「火と水は対極だ。この世で一番反発し合うもの。それを混ぜ合わせれば小さな混沌が生まれる。もとは火の精霊と水の精霊の産み落としたものだから、人が操っても許されるんだ。いや、人族ひとぞくに許された唯一の混沌って言った方がいいかな? そもそも、自然にある混沌とは違うし」

「何が違う」



 陸王は怪訝な様子で聞き返してきた。



「火と水の混沌は生み出す力しか持ってない。つまり、排出するだけ。でもこの世界を覆ってる混沌は、なんでも生み出してなんでも奪い去っていく。見境がないんだよ。よく『場が混沌とする』なんて言うだろ? 混沌ってそういうもん。滅茶滅茶な力なんだ」

「排出するだけのものと、見境がないものか」

「うん。それを消滅させるには、召喚獣に食べさせるのが一番だと思って、次元の穴を開いたんだ。強力な召喚獣の餌はほとんどが混沌だかんな。あれが一番安全な始末の仕方だった。でも、あれはあれで危険ではあったよな。一歩間違えたら、召喚獣が無限に湧き出てたかも知んない」

「お前も大概、滅茶苦茶だな」



 陸王は呆れて、思わずそんなことを口にしていた。



「でもさ、それっきゃ思いつかなかったんだ。それに、あんたを襲ってた混沌をおびき寄せるのにも混沌を使わなきゃならなかったし。混沌と混沌は惹かれ合うから。でも結果、全部上手くいったろ?」



 とそう言って、雷韋は邪気のない笑みを見せた。



「やっぱり無茶苦茶だな」



 言われて雷韋は、笑ったような息をつく。


 それでもまだ陸王には聞きたいことがあった。



「混沌を混沌で引き寄せて、あのときほんの目の前にいたじゃねぇか。お前はどうして大丈夫だった。お前は獣の眷属で、精霊使いだ。『聴く』力を持ってるだろう」

「人工的な混沌は、術者を護ってくれる。じゃなきゃ、いくらなんでも無茶すぎる。混沌を引き摺り出して、あのとき本当に危なかったのは陸王の方だったんだ。『心を強く持て』『自分を保て』とは言ったけど、目の前に混沌が現れて辛かったろ? あの距離じゃ辛いさ。目と鼻の先なんだもんな」



 陸王は瞬間的に、何を言われたのか理解が追いつかなかった。


 それでも、ただこう思った。


 全ては計算ずくだったのか、と。


 陸王が苦しむことまで雷韋の頭にはあったのか、と。


 いや、あのとき雷韋は『自分を保て』と確かに言った。それは陸王が辛い目に遭うことが分かっていたからの言葉だ。でなければ、決してそんな言葉は出てこない。


 知らず、陸王は眉間を指先で揉んでいた。頭が痛いというのが正直なところだ。



「お前は」



 何か言いたかったが、それ以上の言葉が出てこなかった。


 頭が痛いし、呆れも頭をもたげていた。


 策が成功したからいいようなものの、どこかで何かが狂ってしまったら大惨事だったろうに。


 だが、これは一面的な結果論で成功、不成功を論じられるものではないのも事実だった。少なくとも、雷韋には勝算のある賭けだったからだ。


 それを思うと呆れもしたが、同時に、やはり魔導士として確かな腕を持っているとも思う。


 陸王自身、戦においては無茶をすることもある。勝算が僅かでも見出せるならそれに賭けてきた。誰から見ても無理だと思うようなことをやってのけたこともある。そうやって戦場いくさばを渡り歩いてきたのだ。


 だからその点では、雷韋を認めないわけにはいかない。危険を冒しても、確かな結果が出せたのだから。そして、そんな賭に出るときの気持ちもよく分かる。雷韋は決して、考えなしで行動したわけではない。けれど、それが分かるからこそ呆れる気持ちも強かった。


 最後になったら、もう陸王からは苦笑しか出なかった。



「全く、お前は危なっかしいな」

「でも、俺の判断は間違っちゃいなかった。そりゃ、賭けだったけどさ」



 最後の言葉は、雷韋特有のねた調子だった。



「もういい。寝ちまえ、このクソガキ」



 陸王は拗ねた声を出す雷韋に、言葉を放り捨てるように言い遣った。



「ちぇっ」



 陸王の言いようが気に食わなかったのか、小さく舌打ちしたが、今度こそはとばかりに目をしっかりと瞑る。


 そんな雷韋を呆れた顔で眺めていた陸王だったが、やがて眠りに落ちたのか、規則正しい寝息を立て始めた雷韋に苦笑の目を向けた。そして呟く。



「お前は全くとんでもない奴だよ。まだ村の連中のことも頭にあるはずなのにな」



 そう、雷韋はおそらくその事から気を逸らす為に、陸王に話しかけてきたのだ。もしかしたら、うとうとしている間に何か夢に見たのかも知れない。


 その可能性は大いにある。

 びくりと震えて起きたのがその証拠だ。


 雷韋にとって、今回のことは何もかもが辛いことばかりだったろう。けれど、雷韋はそれに負けない強さを持っている。多分、明日の朝には何事もなかったように振る舞うはずだ。


 それが容易に想像出来る。



「俺にはお前のような生き方は出来ん。だが、お前が言っていたように、だからこその対なのかも知れんな。俺にはお前を真似することは出来んが、お前も俺のような生き方は出来んだろう」



 ま、俺のような生き方はしない方がいいだろうがな。最後にそう付け足すように言ってから、陸王は雷韋の頭をまたぽんぽんと撫で叩く。


 陸王には、雷韋の真っ直ぐな生き方が眩しく感じられた。曇りのない硝子を、光に当てて見ているような気分だ。


 そんなことは雷韋本人に対して、決して言えはしないが。


 今は何も考えずに眠っている雷韋だが、今回のことを心のどこかで僅かばかりの間、引き摺るだろう。


 真っ直ぐだから迷う。真っ直ぐだから思い悩む。


 だが陸王は違った。すぐに逃げ出す。物事と真正面から対峙たいじしない。それは己の中でも嫌いな部分だが、性根が腐っているから自然とこうなった。そう陸王は思っている。


 だから雷韋の生き様が眩しくて、同時にそれが鬱陶しくも感じ、逆に憧れ、惹かれもする。


 改めて、対とは面倒臭くて、面白いと思った。


 この先もこの少年を道連れにして歩んでいくかと思うと、自然、陸王の胸は高揚するようだった。


 そして、自分も変わっていくのかも知れないとも思う。


 転移の門を潜ってセレーヌの洞窟へ向かうとき、お互いのことを知ろうとして、陸王は雷韋の顔に表れた戸惑いや悲嘆に心が救われたような気持ちになった。子供のようでいて、雷韋はやはり一人前だ。人の心の機微を分かっている。触れられたくないだろう事を、あのとき雷韋はそれと知って避けた。表情に出ていたから、それは手に取るように分かった。


 その事を陸王は、有り難いと思っていた。どうしたって言えないことはある。その事に関して、雷韋は否も応も陸王に問うては来なかったのだ。

 その事で、雷韋のことが多少なりとも分かったようにも感じられた。

 一人前だが、よい意味で、子供の純粋さがあるのだと。

 要はあのとき、雷韋に陸王は救われたのだ。問わずに雷韋は、陸王の境遇を肌で感じて話題を避け、それどころか話を終わらせてしまった。


 いや、終わらせてくれたのだ。

 碌な生き方をしていない陸王に、それを問うようなことはしなかった。


 対だからか、それとも対じゃなくとも、雷韋は陸王を安心させてくれるのだろうか。

 この小さな少年は、いつか、自分を解放してくれるだろうか。

 種族の壁を越えて、雷韋は傍にいてくれるだろうかと思う。

 卑怯で卑劣で女々しい自分を変えて、そして傍にいてくれるだろうかと。


 そして、陸王自身が怯えている、陸王の本質から救ってくれるかも知れない。

 そんな気もしてくる。


 そう考えて、今は陸王も浅く短い眠りに落ちる為に目を閉じた。


 雨はまだ、しとしとと降り続いている。


 アイオイの花は名残を惜しむように、雨の闇の中から廃教会の中へ、雨で散る間際の最後の香りをしっとりと届けてきた。



          了

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