太極と大局 三
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セレーヌに見送られ、山を下りてあの廃村に戻ったときには、陽はすっかり高く昇って昼過ぎになっていた。
洞窟で朝になるまで休めばよいとセレーヌには言われたが、
山を下りる途中、アイオイの花が咲いていなかった森に差し掛かった。
だがその木々には、今更のように花芽がついていた。
こうなって
それでもその場には辛い思い出がある。最初から混沌の影響がなければ、
花梨だけを助け出せていれば、あんな結末にはならなかった。
それがいいことなのか悪いことなのか、誰にも分かりはしなかったが。
雷韋は今、教会のすぐ脇に穴を掘って、その中に入れた花梨や村人達の衣服を燃やしていた。拾えるだけ拾ってきたのだと言う。
穴の中には火影も一緒に入っていた。濡れた衣服を燃やすには、火影の炎で直接燃やした方が効率がいい。下手に木片で火をつけても煙ばかり出て、上手く燃えなかっただろう。
雷韋は穴の前にしゃがみ込んで、黙って衣服が焦げて燃えていく様を眺めていた。その隣には
「これがお前なりの弔いの仕方か?」
黙って衣服が燃えていくのを眺めている雷韋に、陸王はおもむろに声をかけた。
それに対して、ん、と雷韋は頷く。
その雷韋はまるで、魂が抜けたように見えた。
「ところで雷韋よ」
陸王は視線を遠くに投げるようにしてまた声をかけた。雷韋の方は見ていない。
「お前、泉で始末はつけてきたのか?」
その問いに、雷韋はのろのろと顔を上げる。
始末してきた、とは村人達のことだろう。彼らを楽にしてやれたのか、と言う問いだ。
雷韋は苦しげな
「殺せなかった。だって自我をなくしていても、狂っていても、生きてるんだから。みんなを見た瞬間、殺せないって思った。だから次元の穴を閉じて、そのまま逃げてきた」
その答えに対して、陸王は無言だった。内心では、さもあらん、と言ったところか。
この弔いを思いついたのは、その時だろう。泉で狂った村の者達の姿を再び目にして、雷韋は酷く動揺したに違いない。そんな状態で弔い方法を思いつく余裕などなかったはずだ。実際、雷韋は『逃げてきた』と言っているのだし。
陸王にはそれは分かり切ったことだったが、何故かどうしても聞きたくなって問うたのだ。そして返ってきた答えは、陸王の思ったとおりの顛末を辿っていた。
けれど陸王はそんな雷韋に落胆はしなかった。肝が据わっていないとも思わなかった。逆に安堵していた。状況がどうであれ、自分のように冷酷に人を斬り伏せるような雷韋は、雷韋ではないような気がしたからだ。
だからこその安堵だった。そして同時に、これでいい。そう思った。
雷韋の魔導士としての力量は本物だ。本物の魔導士だ。しかし、戦士ではない。それは己の役割だと思う。おそらく、雷韋に求めてはいけない部分だ。
その時、ふと陽が
陸王が空を見ると、真っ黒な雲が流れてきているのが目に入る。雨が降るのか、と思っていると、雷韋の声が耳に入った。
「雨、降るよ」
見下ろした雷韋はもう陸王を見ていなかった。だからと言って空も見ていなかった。少年の目に映っているのは、火影に焼かれる衣服だ。
「雨が分かるのか?」
「分かるよ。だって俺は
気落ちした声で、低く呟く。
「精霊使いは世界の流れを見てる。もし滞ってるところがあれば、それを回復する。それが俺の役目だ。ずっと前から。今も、この先も、ずっと」
「それは自分に対する言い訳か?」
陸王に切り返されて、雷韋は息をぐっと詰めた。
「お前がそれでいいなら、俺は何も言わん。そいつを本気で思ってるならな。だが、ただの欺瞞ならやめておけ。自分に嘘をついてもいいことは何もない。逃げてるだけなのはな」
言葉そのものと違って、口調は諭すようなものだった。そんな言い方に、雷韋は奥歯を強く噛み締める。
陸王の言葉は正論だ。自分自身に嘘をついてもいいことは何もない。逆に自分を苦しめるだけだ。本気で納得していない限りは。
雷韋もそれは分かっているつもりだった。それでも悔しかった。多くの人々の人生を滅茶苦茶にしたのは、雷韋の身勝手な行動なのだから。
そんな気持ちを見透かすように陸王は言う。
「お前のしたことは正当だ。身勝手じゃねぇ。誰かを純粋に思って助けてやろうと思うのはいいことだ。そして、お前は自分を省みずに行動した。今までもそうだったんだろうな、お前は。だが今回は、結果が思っていたものとは違っていたってだけだ。気に病む必要はねぇ。あの村には、既にひずみが出ていたんだ。お前、言っていただろうが。このままだとひずみが必ず生まれると。つまりはそういうことだ」
陸王の言葉を聞きながら、雷韋は膝の上で両手を固く握っていた。強く強く、固く固く。何か言いたかったが、それが上手く言葉として出てこなかった。だから、続く陸王の言葉を聞くしかなかった。
「俺には出来んな、お前のような生き方は。俺は身勝手で卑怯者だからな」
それだけを淡々と告げて、陸王は雷韋をその場に残して教会の中に入っていった。
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その日は、この廃村の教会で身体を休めることになっていた。昨日はまともに眠っていなかったし、色々あって二人とも疲れていた。それに幸い、ここには以前来たときに集めた
お互いに保存食は残り少なかったが、餓死するほど飢えているわけではない。飲み水はセレーヌの洞窟で補給させて貰っていた。水さえあれば、多少はどうとでもなる。
だが、雷韋が皆の衣服を燃やし終わって教会に入ってきたときから、二人の間に言葉はなかった。
しとしとと、まだ冷たく降る雨の音だけが空間を満たしている。この分だと、明日にはアイオイの花は皆散ってしまうのではなかろうか。
そんな中で、雷韋は
陸王も片膝を立てて、肩に吉宗を
無言が続く中で、雷韋はふと陸王に目を遣った。
視線を感じて陸王も雷韋に顔を向ける。
「どうした」
雷韋の目が何かを問うていたので、聞き返す。
「うん。陸王はさ、悩んだり、後悔することってないか?」
「今回みてぇな事か?」
率直に言い当てられて、雷韋は陸王から焚火の炎へ視線を逸らした。その視線を追うように、陸王も炎に目を転じた。
「ま、生きてりゃ色々あるさな。お前の今の気持ちは分かるが、起きちまったことは変わらねぇ。結果は覆らんのだ」
雷韋は、そう言う陸王にもう一度目を向ける。
「じゃあ、やっぱあるんだな」
「ねぇわけあるか。生きてりゃ後悔の連続だ。だからって、いちいちそいつを考えてもしょうがねぇだろう。それに、答えの出ないこともある」
「答え?」
雷韋は地べたにべったりとくっつけていた頭を少し起こす。予想外だ、と言う顔をしている。
「お前が欲しいのは、答えなんじゃねぇのか? 悩んだり、後悔したりってのは大して問題じゃねぇ。違うか?」
「答え……」
雷韋はもう一度、口の中でだけ
「答えの出ない事なんざ、いくらでもある」
「そういう時、陸王はどうしてきた?」
「蹴ってきたな」
どこか素っ気ない口調になる。
「蹴る?」
不思議そうに雷韋に問われて、陸王は炎から目を逸らさないまま頷く。頷いて、
「ま、俺のやり方は
苦笑して言う陸王は、腹の中で思った。この方法は最悪手かも知れないと。
これまで蹴ってきた答えの出ない事柄が脳裏を過り、それら問題が腐って
真似はしない方がいいと、言外に言ったつもりだ。
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