太極と大局 三

          **********


 セレーヌに見送られ、山を下りてあの廃村に戻ったときには、陽はすっかり高く昇って昼過ぎになっていた。


 洞窟で朝になるまで休めばよいとセレーヌには言われたが、雷韋らいがそれを嫌がった。人の沢山死んだこの山にはいたくないと言って。だから雷韋が泉から戻ってきたそのすぐあと、結界から出て山を下りた。


 山を下りる途中、アイオイの花が咲いていなかった森に差し掛かった。


 だがその木々には、今更のように花芽がついていた。


 こうなってようやく精霊が正しく循環し始めたのだ。それを雷韋は感じていた。


 それでもその場には辛い思い出がある。最初から混沌の影響がなければ、花梨かりんは助かっていたかも知れない。花梨がここを通れなかったから、雷韋は精霊王を散らせるという強硬手段に出たのだ。


 花梨だけを助け出せていれば、あんな結末にはならなかった。


 それがいいことなのか悪いことなのか、誰にも分かりはしなかったが。


 雷韋は今、教会のすぐ脇に穴を掘って、その中に入れた花梨や村人達の衣服を燃やしていた。拾えるだけ拾ってきたのだと言う。


 穴の中には火影も一緒に入っていた。濡れた衣服を燃やすには、火影の炎で直接燃やした方が効率がいい。下手に木片で火をつけても煙ばかり出て、上手く燃えなかっただろう。


 雷韋は穴の前にしゃがみ込んで、黙って衣服が焦げて燃えていく様を眺めていた。その隣には陸王りくおうが立っている。



「これがお前なりの弔いの仕方か?」



 黙って衣服が燃えていくのを眺めている雷韋に、陸王はおもむろに声をかけた。


 それに対して、ん、と雷韋は頷く。

 その雷韋はまるで、魂が抜けたように見えた。



「ところで雷韋よ」



 陸王は視線を遠くに投げるようにしてまた声をかけた。雷韋の方は見ていない。



「お前、泉で始末はつけてきたのか?」



 その問いに、雷韋はのろのろと顔を上げる。


 始末してきた、とは村人達のことだろう。彼らを楽にしてやれたのか、と言う問いだ。


 雷韋は苦しげな表情かおになって答える。ゆっくりとした口調で。



「殺せなかった。だって自我をなくしていても、狂っていても、生きてるんだから。みんなを見た瞬間、殺せないって思った。だから次元の穴を閉じて、そのまま逃げてきた」



 その答えに対して、陸王は無言だった。内心では、さもあらん、と言ったところか。岩室がんしつに戻ってきた雷韋の手には、誰の衣服もなかったのだ。結界を出るきわになって、急に雷韋が花梨の服を取りに戻り、広い洞窟の中に落ちている服を掻き集め始めた。


 この弔いを思いついたのは、その時だろう。泉で狂った村の者達の姿を再び目にして、雷韋は酷く動揺したに違いない。そんな状態で弔い方法を思いつく余裕などなかったはずだ。実際、雷韋は『逃げてきた』と言っているのだし。


 陸王にはそれは分かり切ったことだったが、何故かどうしても聞きたくなって問うたのだ。そして返ってきた答えは、陸王の思ったとおりの顛末を辿っていた。


 けれど陸王はそんな雷韋に落胆はしなかった。肝が据わっていないとも思わなかった。逆に安堵していた。状況がどうであれ、自分のように冷酷に人を斬り伏せるような雷韋は、雷韋ではないような気がしたからだ。


 だからこその安堵だった。そして同時に、これでいい。そう思った。


 雷韋の魔導士としての力量は本物だ。本物の魔導士だ。しかし、戦士ではない。それは己の役割だと思う。おそらく、雷韋に求めてはいけない部分だ。


 その時、ふと陽がかげった。


 陸王が空を見ると、真っ黒な雲が流れてきているのが目に入る。雨が降るのか、と思っていると、雷韋の声が耳に入った。



「雨、降るよ」



 見下ろした雷韋はもう陸王を見ていなかった。だからと言って空も見ていなかった。少年の目に映っているのは、火影に焼かれる衣服だ。



「雨が分かるのか?」

「分かるよ。だって俺は精霊使いエレメンタラーだもん。水の精霊が、もうあちこちに漂ってる」



 気落ちした声で、低く呟く。



「精霊使いは世界の流れを見てる。もし滞ってるところがあれば、それを回復する。それが俺の役目だ。ずっと前から。今も、この先も、ずっと」

「それは自分に対する言い訳か?」



 陸王に切り返されて、雷韋は息をぐっと詰めた。



「お前がそれでいいなら、俺は何も言わん。そいつを本気で思ってるならな。だが、ただの欺瞞ならやめておけ。自分に嘘をついてもいいことは何もない。逃げてるだけなのはな」



 言葉そのものと違って、口調は諭すようなものだった。そんな言い方に、雷韋は奥歯を強く噛み締める。


 陸王の言葉は正論だ。自分自身に嘘をついてもいいことは何もない。逆に自分を苦しめるだけだ。本気で納得していない限りは。


 雷韋もそれは分かっているつもりだった。それでも悔しかった。多くの人々の人生を滅茶苦茶にしたのは、雷韋の身勝手な行動なのだから。


 そんな気持ちを見透かすように陸王は言う。



「お前のしたことは正当だ。身勝手じゃねぇ。誰かを純粋に思って助けてやろうと思うのはいいことだ。そして、お前は自分を省みずに行動した。今までもそうだったんだろうな、お前は。だが今回は、結果が思っていたものとは違っていたってだけだ。気に病む必要はねぇ。あの村には、既にひずみが出ていたんだ。お前、言っていただろうが。このままだとひずみが必ず生まれると。つまりはそういうことだ」



 陸王の言葉を聞きながら、雷韋は膝の上で両手を固く握っていた。強く強く、固く固く。何か言いたかったが、それが上手く言葉として出てこなかった。だから、続く陸王の言葉を聞くしかなかった。



「俺には出来んな、お前のような生き方は。俺は身勝手で卑怯者だからな」



 それだけを淡々と告げて、陸王は雷韋をその場に残して教会の中に入っていった。


          **********


 その日は、この廃村の教会で身体を休めることになっていた。昨日はまともに眠っていなかったし、色々あって二人とも疲れていた。それに幸い、ここには以前来たときに集めたたきぎがあった。雷韋の言ったとおり、雨も降ってきたから丁度いい。


 お互いに保存食は残り少なかったが、餓死するほど飢えているわけではない。飲み水はセレーヌの洞窟で補給させて貰っていた。水さえあれば、多少はどうとでもなる。


 だが、雷韋が皆の衣服を燃やし終わって教会に入ってきたときから、二人の間に言葉はなかった。


 しとしとと、まだ冷たく降る雨の音だけが空間を満たしている。この分だと、明日にはアイオイの花は皆散ってしまうのではなかろうか。


 そんな中で、雷韋は外套がいとうを身体に巻き付けて、陸王の傍で横になっていた。横になっているが、焚火の炎を真っ直ぐに見つめているところからして、まだ寝るつもりはないのかも知れない。


 陸王も片膝を立てて、肩に吉宗をもたせている。その視線は上方にあった。天井の崩れているところから降り注ぐ、雨の様子を眺めているのだ。この間とは違って、月も星も分厚い雨雲に隠されて今夜は見えない。それでも陸王の身体は、月の昇り沈みを感じるのだが。


 無言が続く中で、雷韋はふと陸王に目を遣った。

 視線を感じて陸王も雷韋に顔を向ける。



「どうした」



 雷韋の目が何かを問うていたので、聞き返す。



「うん。陸王はさ、悩んだり、後悔することってないか?」

「今回みてぇな事か?」



 率直に言い当てられて、雷韋は陸王から焚火の炎へ視線を逸らした。その視線を追うように、陸王も炎に目を転じた。



「ま、生きてりゃ色々あるさな。お前の今の気持ちは分かるが、起きちまったことは変わらねぇ。結果は覆らんのだ」



 雷韋は、そう言う陸王にもう一度目を向ける。



「じゃあ、やっぱあるんだな」

「ねぇわけあるか。生きてりゃ後悔の連続だ。だからって、いちいちそいつを考えてもしょうがねぇだろう。それに、答えの出ないこともある」

「答え?」



 雷韋は地べたにべったりとくっつけていた頭を少し起こす。予想外だ、と言う顔をしている。



「お前が欲しいのは、答えなんじゃねぇのか? 悩んだり、後悔したりってのは大して問題じゃねぇ。違うか?」

「答え……」



 雷韋はもう一度、口の中でだけ鸚鵡返おうむがえした。



「答えの出ない事なんざ、いくらでもある」

「そういう時、陸王はどうしてきた?」

「蹴ってきたな」



 どこか素っ気ない口調になる。



「蹴る?」



 不思議そうに雷韋に問われて、陸王は炎から目を逸らさないまま頷く。頷いて、



「ま、俺のやり方は最善さいぜんというわけじゃねぇがな」



 苦笑して言う陸王は、腹の中で思った。この方法は最悪手かも知れないと。


 これまで蹴ってきた答えの出ない事柄が脳裏を過り、それら問題が腐ってはらの奥で腐臭を放っているような気がした。だから苦笑と共に言ったのだ。


 真似はしない方がいいと、言外に言ったつもりだ。

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