太極と大局 二
「これって、俺のお節介が招いた災厄なんだよな」
「またそいつを言うのか」
「だって。俺が何もしなきゃ、最低限の犠牲で済んでたんだ。村には村の秩序があった」
「人の形をした水袋をあれ以上増やすのは、気持ちのいいことじゃねぇがな」
吐き捨てるような突然の陸王の言に、雷韋もセレーヌも何を言われているのか分からなかった。
それは当然だ。あの世界に行ったのは陸王一人。少女の形をした水袋を見たのも陸王一人なのだから。
だから陸王は、精霊王の世界で見たあれらのことを二人に話してやった。精霊王の猟奇趣味、斑の森。
陸王の記憶は今ではかなり戻っていた。覚えている限り、あの世界で見たもの、感じたこと全てを話した。
「今なら分かる。雷韋が精霊王を放っておけないと言っていた意味が。あそこは狂気の世界だった。そこに巣くっている精霊王はやはり放っちゃおけん。散らして正解だ。村がどうなろうとな。第一、村の事なんざ一時的なことにすぎん。大局的に見ればな」
雷韋はそれを聞きながら、真っ青になっていた。これまで贄になっていた少女達が内側から喰らわれて、最終的には水袋のように保存されていたという事実が衝撃を与えたのだろう。セレーヌも眉をひそめていたほどだ。
「水が正常に戻って、山そのものも穢れを祓えば、またここに住み着く者も出るかも知れん。そいつらはセレーヌに護られる」
「はい。今度こそ、わたくしが護り抜きます」
陸王はそれに対して何も言わなかったが、小さく頷いていた。その陸王に、
「なぁ、陸王」
雷韋が声をかける。そして一度、固い唾をごくりと飲み下した。少年の琥珀の瞳は不安に揺れていたが、それでもしっかりと陸王を捉えている。
「村に行って、村の人達も殺すのか?」
陸王は吐き出した息に笑いを含ませ、馬鹿らしいとばかりに言う。
「んな面倒なことはしねぇ。放っておけば、そのうち全員が死ぬ。死骸も残らねぇから、後始末をする必要もねぇ。放っておくさ」
「でも、ここにいる人達は殺すんだろ?」
「セレーヌにとっては、迷惑なだけだからな。それにここは人の世界じゃねぇ。本来いちゃならねぇ連中がいる。そいつを出て行きがてら、片手間に片付けていくだけだ。飽くまでもついでだ」
なんでもないことのように言われて、雷韋の視線はゆっくりと地面に落とされていった。
雷韋もどうしたらいいのか分からないのだ。陸王の言うように、村の者達は暴走して同胞殺しをしている。それはきっと苦しいことだろう。だったら、最後まで面倒を見るのが、精霊王という、良くも悪くも村の均衡を保っていたものを消滅させた者の役割のような気がしていた。けれど、そう思う反面で、殺しは嫌だと思うのだ。
雷韋は今まで、最悪、人を傷つけることはあっても、殺したことはない。怖いという気持ちは大きい。だが、純粋に『嫌だ』と思うのだ。人殺しだけはしたくない。
責任と嫌悪の狭間で、雷韋の心は揺れに揺れた。
それを見透かしたかのように、
「何もお前に殺せとは言わん。お前に任せていたんじゃ、百年も二百年もかかっちまうだろうからな」
陸王はそう言って、自嘲めいた笑みを浮かべた。
彼はこれまで、人を殺して食い扶持を稼いできたのだ。なんの罪もない村人といえど、人を殺すことに一ミリも感情が動くことはない。
いや、あれは最早人ではない。村人という形をした異形のものだ。
だから余計、心は動かない。
「なぁ、陸王。俺の感じてた嫌な予感って、これのことだったのかな?」
雷韋に問われても、陸王は一言も発しなかった。ただ黙って雷韋を見下ろすだけだ。
「俺が動いたことで、村一つを不幸のどん底に落としちまった。どうすることも出来ない状態に追い落としちまった。だから俺、嫌な感じがしてたのかな?」
「だとしても、お前のせいじゃねぇ」
「もし誰かのせいだってんなら、そいつぁ、セレーヌのせいだろう」
言われた雷韋は何も返さず、セレーヌも目を閉じるだけだった。
「精霊王を散らして欲しいってのは、セレーヌの願いだったんだからな。だが、こいつだって精霊王を散らしたらどうなるか、そこまで分かっていたわけじゃねぇ。だから本当は誰のせいでもねぇのさ。それでも誰かのせいだってんなら、お前に助けを求めてきたセレーヌのせいだと思っておけ。お前は悪かねぇ」
雷韋から言葉は出てこなかったが、急に力が抜けたようにその場に膝を抱えて座り込んでしまった。そして、両膝に額を預ける。
その態度からも、雷韋が納得していないのは伝わってきた。けれど、これ以上の繰り言は陸王が嫌だった。同じ事を何度も言葉を変えて口にするのは面倒だ。第一、結果は出てしまっているのだ。繰り言で結果が変わるわけでもない。
陸王はセレーヌに雷韋を任せて、目先の問題解決に動き出した。この結界の中に入り込んで、そのまま狂気に身を委ねた者達を始末する、それをしに。
始末はあっさりしたものだった。洞窟内であちこちに散らばって殺し合いをしている者の首を
そんな単純作業を終えて二人のもとへ戻ると、雷韋は水の寝台の前に立っていた。両手に花梨の着ていた衣服を大切そうに持っている。
腐った肉汁が染み付いた衣服を。
「
陸王が戻ってきていることを知ってか知らずか、ぽつりと雷韋は言葉を零した。
「きっと村も、酷いことになってるんだろうなぁ。なんであのとき、やめようって思わなかったんだろう。凄く嫌な感じがしてたのに。馬鹿だなぁ、俺」
言う声は震えていて、泣いているような声音だったが、ふと振り向いた雷韋の目には
「あ……。終わったんだ」
今更ながらに呟く。悲しげとも寂しげともつかぬ、遣り切れない笑みを浮かべて。
「あぁ、終わらせてきた」
陸王は何事もなく声を返した。
それを聞いて、雷韋は吐息を零す。視線も俯けられた。そして、また繰り言の続きを口にするのかと思ったが、雷韋は意外なことを言い出した。
「陸王、あんたはここで待っててくれ。俺、泉に開けた次元の穴、まだ塞いでないから、これから行って閉じてくるよ」
「まだ村の連中がいるはずだ。一人で対処出来るのか?」
「しなきゃ。自分のしたことの後始末は自分でしなきゃさ」
再び陸王に向けられた琥珀の瞳には怯えが滲んで、その顔は困ったように笑んでいる。
雷韋は雷韋なりに考えて、迷って悩んだ末に、その答えを出したのだろう。それに、確かに次元の穴のこともある。陸王はセレーヌに丸投げをすればいいと考えていたが、雷韋は自分の後始末と考えたのだ。
だったら陸王には、それ以上の言葉は必要なかった。雷韋が自分で始末をつけてくると、はっきり言ったのだから。
雷韋は花梨の服を寝台の上に再び置くと、「じゃあ」と言って
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