第八章
太極と大局 一
洞窟の中では、あちこちで殴り合いや首の絞め合いなどの殺し合いが行われていた。中には、松明の炎を衣服に移されて火達磨になっている者もいる。
何が村人を同胞同士で殺し合わせているのか。
それはおそらく精霊王の消滅にある。だが、それとこれを結びつける理由が分からない。こうなる経緯に全く見当がつかないのだ。
端から見れば、突然、理性がなくなったようにしか見えない。理性を押し潰して狂気に支配されたという風だ。
怒号と怒声が飛び交い、松明もほとんどが投げ出されている。けれどそれが幸いした。闇に紛れられるし、多少足音を立てたところで、皆、殺し合いに夢中で分からないはずだ。
それでも二人は、見つからないよう気をつけながら薄闇の中を走り抜けた。気付かれたら襲われないとも限らない。見境がなくなっているのは明白だからだ。
そして泉があり、その先で入り口が崩れている、例のセレーヌの排出された
いや、気付かれなかったと言うよりは、殺し合いに忙しいのだろう。
岩が僅かに吸い込まれて奥の洞窟から空気が流れてきたが、その時、陸王は敢えて表情を変えなかった。岩で完全に閉じられていたときから、陸王は感じていた。だからセレーヌに連絡を取らず、岩を始末させようと思ったのだ。
これは誰のせいでもない。
運が悪かったとしか言いようがなかった。
そして完全に遮蔽物がなくなったとき、雷韋はその臭いに気付いた。
腐臭だ。それも生き物が腐ったとき特有の、甘ったるいような苦いような独特な臭い。それに気付いて、雷韋は慌てて中へ入っていった。
そこには悲しげな顔をしたセレーヌが、ぽつりと立っていた。脇には水の寝台がある。そしてその上に、変色した衣服。
「苦しまなかったか?」
陸王がなんの前置きもなく、ただ静かに問うた。
問われたセレーヌは瞼を伏せて答える。
「即死でした。それだけが不幸中の幸いでしょう」
「な、なんだよ、それ」
雷韋だけが話について行けなかった。何がどうなって、こんな臭いがこもっているのか。
それを無視するようにセレーヌが言う。
「わたくしも、少しは
「ど……、どういうことさ。
言う雷韋の声は震えていた。身体も微かに震えている。
「彼女は……」
セレーヌが言いにくそうに口を開いたが、陸王がそれを遮った。
「雷韋。一言で終わる。あいつは死んだんだ」
その言葉に、はっとしたように雷韋は陸王を見た。けれど、言葉は出てこない。
そんな雷韋に、陸王は顎をしゃくって寝台を示す。
「残骸があるだろう。この腐臭は、あいつが腐り落ちたときの臭いがこもっているからだ」
「そんな、嘘だ」
雷韋は
「嘘じゃねぇ」
「姉ちゃん、死んだ……? なんで?」
そう言う声は細かった。今にも途切れそうなほどに。
「完全に解呪されたからだろう」
陸王が感情のない声で言ったとき、
「俺、村まで行ってくる!」
雷韋が叫んでその場を立ち去ろうとしたが、陸王が止めた。
少年の細い肩を両手で掴んで、目線を合わせる。
「無駄だ。村でも今頃、殺し合いが始まってるはずだ」
雷韋の深い琥珀の瞳を真正面から見つめて、陸王は諭すような声音で告げる。すると雷韋の顔がくしゃりと歪んだ。今にも泣き出しそうに。
「セレーヌ、どういうわけでこうなったか詳しく教えてくれ。雷韋には分からんだろうからな。俺も朧にしか見当がつかん」
その言葉に頷いてセレーヌは語り出した。
村人も花梨も最初から最後まで、骨の髄まで呪われていたのだろうと。逆を言えば、呪われていたからこそ、生きていられたのだ。穢れた水やその水で育った動植物を摂取することで呪がかかる。これまでは精霊王が、あの穢れた水を摂取した者達の生命の均衡を保っていたのだ。だが、精霊王は散ってしまった。その事で、穢れを受けていた者達は内在していた呪いが表面化して暴走した。殺し合いは、その暴走の最たるものだとセレーヌは言う。
そして花梨は特殊だった。セレーヌでさえ感知できないほど呪いが薄まっていたのだ。だが、花梨も骨の髄まで呪われていた。精霊王の吐き出す穢れた水を母親の腹にいるときから受けていたのだ。いや、そんな簡単なものではない。母親も、その親も、更にその親も、代々この地で穢れを受け継いできた。血が既に汚れているのだ。だから花梨も、母親の腹の中で生を受けたその瞬間から呪われたのだ。この村の者は皆そうだ。代々、呪いを受け継いでいる。そして同時に唯一、花梨は呪いが薄まった個体でもあった。半分外の人間の血を受けていることも影響しているだろう。その点で言えば、花梨の呪いは村の者よりも僅かながら、元々薄かったのだ。その上、更に雷韋に助けられて、解呪された。それでも穢れた水は体内に残留した。しかし、その僅かな汚水で、花梨は解呪されても生きていられたと言っていい。精霊王が散ったと同時に腐り落ちたのは、水の力で完全に解呪されたからだ。呪いが人を人足るべくして正常に存在させていた。それが完全に解除されれば、最早それは人ではなくなると言うことだ。だから腐り落ちた。
そこまで濃い呪いだったのだ。
それを聞いて、雷韋はその場に力なくしゃがみ込んでしまった。
「俺が余計なことしなかったら、みんな生きていられたのか?」
「どのみち、花梨は生きられなかっただろうがな。元々が贄だったんだ。俺達が助けたことで、ほんの少し生命が延びただけだ。それを
「でも、俺がみんなをおかしくして、死ぬように仕向けちまったんだ。俺……、俺。ただみんなを助けたかっただけなのに。でもやっぱり俺のせいなんだ。こんなことになっちまったのは」
「お前のせいじゃねぇ。絶対に違うと俺は思っている。……日ノ本にも贄の慣習があるっちゃある。大雨の時、日照りの時。大勢が死に直面したときに贄を神に捧げる。若く美しい生娘なんかがな。濁流に投げ込んだり、山の中に穴を掘って生き埋めにしたりする」
「それも……村が呪われてるからか?」
力なく問うと、陸王は「いいや」と返した。
「日ノ本の神ってのは、自然そのものだからな。だから贄も自然に還るようにそう処理する。大陸で言う神ってのとはかなり違うな。だが大陸の神ってのは、
それに対して、雷韋は何も言わなかった。だから陸王はそのまま続けた。雷韋にではなく、セレーヌに。
「セレーヌ。村人が死んだとき、水に分解されていたように見えたが、そいつぁ俺の見間違いか?」
「いいえ、身体中の体液が穢れた水に変質したのでしょう。死んだ者は水になって分解されるのだと思います」
陸王はその返答に数度頷くと、
「この結界の中にいる連中は始末した方がいいな」
独り言のようでいて、セレーヌに確認しているようでもあった。
けれど雷韋はその言葉に顔を上げる。
「殺すってのか? そんな……」
「奴らは死んだも同然だ。楽に死なせてやるのが、連中の為だろう」
それにあいつらはもう、人じゃねぇ。陸王が最後に付け加えた言葉に、雷韋は目を見開く。
「そんなの……! 酷ぇよ」
「ならどうする。延々、同胞殺しをさせておくのか?」
「それは……」
「今のままだと連中にとっても辛いだけだ。それなら手っ取り早く殺してやった方がいい。俺なら苦しませずに殺してやれる」
静かに、だが、厳かに陸王は言葉を放った。
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