異界からの勝算 二

 陸王りくおうに薙ぎ払われた触手は、すぐに形を元に戻した。水はどんな形にもなれる。触手の先端を少しばかり薙ぎ払われたからと言って、それを元に戻すことは造作もないことだった。そして、すぐに雷韋らいを庇うように立つ陸王へと目標を変更してきた。


 触手がざっと音を立てて数カ所に分かれ、そこから一気に襲いかかってくる。


 陸王はそれを視認した上で、一方にはその場から斬撃を放って断ち切り、一方には駆け寄って叩き斬った。そして斬撃で断ち切った触手がもとの形に戻ると、それはそのまま雷韋に襲いにかかる。その触手を再び叩き斬る為に、陸王は泉の中を駆けた。


 雷韋に襲いかかった触手は、根元から切り払われ形をなくす。


 陸王を狙う触手はほかにもあった。槍のように先端を尖らせた触手が陸王を貫こうとするが、陸王はそれをけ、触手を水の中へとかえした。たったそれだけで、触手は形をなくして泉の一部になる。


 だが、そのあとも次々と触手は襲いかかってきた。触手だけではない。矢のように飛ばしても来る。どんな形にもなれるから、精霊王は攻撃手段を選ばない。かさが減ったとは言え、水そのものはまだ泉にはたっぷりとある。やろうと思えば、空気中の水分まで駆使してくるだろう。山そのものが穢されている為、葉の上に乗ったたった一滴の夜露でさえ凶器になり得る。


 この際、爆発で森が吹っ飛んだことは幸いだった。何故なら、根から水を吸い上げた木々の枝が飛んできてもおかしくないからだ。


 陸王は次々と襲い来る触手を退しりぞけながら、そんなことまで考えていた。


 いつまで、どこまで防ぎ続けなければならないのかと雷韋に目を向けたとき、ざわめく気配を肌に感じた。



 ──人が来る。



 陸王の頭の中で言葉が弾けた。けれどそれに構っている暇もなく、触手は襲いかかってきた。


 気が付けば、眼前に触手が三本。それの先端はいずれも槍のように尖っている。だが、躊躇することなく薙いだ。しかし薙いだ先から先端がすぐに尖って、勢いを殺さぬままに迫ってくる。それを素早く延々と斬り続けた。



 ──終わりがない。



 軽い苛立ちと焦りを覚える反面で、水が少しずつぬるくなっていることに気付いた。火影の力が浸透しているのだ。


 その間にも気配は近づいてくる。人の声も聞こえたような気がした。村の娘達に贄の証が現れたことが原因だろう。そしておそらく、陸王が水を切り裂く音が彼らにも聞こえているはずだ。切り払われた触手が立てる水音も聞こえているに違いない。それがここへ向かっているのだろう者達に聞こえて、騒ぎを起こしている。


 厄介だと思った。


 それでも始めから比べれば、触手の攻撃は少なくなっていた。回数が少なくなった分、強力な攻撃が増えたものの、その方が対処はしやすい。


 触手を切り払いつつ雷韋を目にしたが、陸王の様子など全く構っている風はない。目を閉ざして、歯を食い縛っているのが見えた。食い縛った歯の間から、小さいが牙も覗いている。


 雷韋は集中している。


 それだけに、今ここで村人達がやってくるのは厄介だった。雷韋の集中を断ち切られてしまうのは、どう考えても困る。


 それでも泉の水は今も温度を上げていた。雷韋に支えられた火の精霊が水の精霊に強く干渉して、精霊達を正常な状態に戻しているのだろう。


 あとどのくらいで精霊王を散らせることが出来るか分からなかったが、村人達がやってくれば、散らされようとしている精霊王がどう出るかも分からない。


 今のところ陸王は、雷韋に襲いかかる触手も自分を狙ってくるものも、どちらも完全に抑え込んでいた。だが、精霊王が村人達を襲う可能性もある。そうなれば流石に陸王一人では護り切れなかった。


 今ここでは、村人達は邪魔者の足手纏いでしかないのだ。


 雷韋の集中を切り、下手をしたら精霊王に狙われる。邪魔される上に、彼らの助命などしていられない。その間だって、陸王と雷韋はこれまで同様、狙われるのだから。


 そんなことを頭の中に廻らしながら、陸王は今では二本にまで減った触手を相手に切り結んでいた。


 そこへ現れたのが松明を掲げた村人達だった。全部で二十人ほどいるだろうか。



「おい、あそこに誰かいるぞ」

若衆わかしゅか?」

「いや、二人くらいしか見えん」

「おい。あの明かりは松明じゃないぞ」

「あいつら、夕暮れ時に現れた余所者だ」

「それなら村長のところの納屋にいるんじゃないのか?」

「あいつら、何をしてるんだ!?」



 遠くからがやがやと声が聞こえてくる。走ってくる足音も聞こえた。こちらとあちらを遮るものは何もないから、互いに丸見えだ。


 村人達の騒ぎに呼応したかのように、陸王と相対していた二本のうち一本の触手が声のする方へ飛んでいく。それも先端を四つに分けて。なのに同時に、残った一本は頭上に伸びて、そこから雷韋めがけて垂直に落ちてくる。その先端は一本のままだったが、槍のように鋭かった。


 その時、当然陸王は雷韋を護った。村人などどうでもいいという頭しかない。触手が鋭く雷韋を捉えようとしたが、陸王は少年をその場からどんと押し退けた。「うわっ」と声が聞こえたが、構わない。


 鋭い触手が雷韋を捉えられずに地面を穿ったとき、遠くから悲鳴が聞こえた。陸王が視線を向けると、先頭を走っていたはずの男三人の首がなかった。代わりに首のあった場所から鮮血が吹き出している。その身体はまだ立っていて、やがて馬鈴薯じゃがいもを詰めた袋を落とすような重い音を立てて崩れ落ちた。地面に真っ赤な血溜まりが出来ていく。それを目にして、風に乗ってむっと香る血の臭いを嗅いで、瞬時に触手に断ち斬られたのだと言うことを理解した。


 その様子を雷韋も見ていた。首が刎ねられた瞬間は見ていないながらも、陸王に押し退けられて、意識を集中していたのが解かれたからだ。


 そして男達からの悲鳴。


 雷韋の口から「あっ」と小さく悲鳴が上がる。大きな目は、更に大きく見開かれていた。


 そんな雷韋に、陸王は言葉を投げつけた。



「雷韋、精霊王はどのくらい散った」



 その声が聞こえないかのように、雷韋は突然走り出した。村人達の方へ向かって。そこにはまだ触手が伸びて、荒れ狂っている。しかしそれほど威力は保っていられなかったのか、首を叩き落としたはずの触手は、村人達の身体に傷をつけるくらいの勢いでしか動けないようだった。村人達も喚き散らしながら逃げ惑い、時には立ち向かっている。



 それを助けに行こうとしたのだろう雷韋を、陸王は泉から飛び出して止めた。背後から羽交い締めにしたのだ。



「放せ! 放せよ、陸王! 村の人達が!」

「落ち着け。触手の根はすぐに俺が斬ってやる。だからお前も自分の役割を果たせ」



 そう言う陸王を、雷韋はどこか呆けたように見上げた。



「根……、根を斬ってくれ。すぐに」



 陸王は震える声に対して頷くと、雷韋を放してまたすぐに泉の中へと取って返した。そうして触手の根を断ち切る。


 触手は根を斬られて、一気に宙へと四散した。


 だが、それで終わりではない。精霊を完全に正常に戻して始めて終わりが来るのだ。



「雷韋!」



 呆然とした風な雷韋を怒鳴りつけた。その声に、雷韋は身体をびくりと震わせる。はっとした様子で陸王を振り返り、今度は慌てたように泉に駆けつけてきた。そして再び泉に火影の刃を突き立てる。



「あともう少しなんだ! もう少しで精霊王は散る!」



 雷韋がやけくその如く荒い声を上げた。


 陸王はそれを聞きつつ、今度はどこから触手が伸びてくるのかと身構える。


 さや、と水面みなもがさざ波立った。それは陸王の右側からだ。


 陸王はそこ目掛けて吉宗を振るった。音が鳴るのと同時に攻撃を仕掛けてくるのは分かり切ったことだったからだ。


 眼前で、触手は二本ずつの細い触手を展開させていた。


 瞬時に真っ二つになったことで、四つに分かれていたものが二本ずつばらばらにされたのだ。──が。


 その下からまだ触手が伸びてくる。先が分かれた触手によって、もう一本が隠されていたのだ。


 その触手はこれまでと同じ、先端が槍のようになっているものだった。それが陸王の左肩を貫く。


 しまったと思う。けれど、すぐに振り下ろしていた吉宗を下から上へと薙いだ。


 つもりだった。


 気が付けば、触手に囚われて、そのまま水の中へと引き摺り込まれてしまった。


 ざぱんと大きな水音が立ち、水飛沫が上がる。



「陸王っ!」



 雷韋が叫んだときにはもう、陸王の姿はそこにはなかった。


 精霊王の気配もなくなっている。


 陸王が精霊王の世界に攫われたのだと、すぐに雷韋は理解した。


 精霊王の気配がなくなり、泉の水からは清浄な気配しか伝わってこなかったからだ。

 更には、陸王のあらわした光の球が明かりを失って消滅した。


 雷韋はそれを感じ取って、陸王を失ったことに悲痛な叫びを上げていた。

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