第七章

異界からの勝算 一

 セレーヌの結界から無事地上に戻り、そこから雷韋らいが転移の門を開いた。村の泉から開いた時と同じように、山の泉近くのあの崩れていた場所へと門を繋ぐ。


 そこは相変わらずしんとしていた。ざわめく木立がないから尚更だ。



陸王りくおう、明かりつけてもいいぜ」

「あ? そういうことは、言い出しっぺがやるもんだ」

「俺、別に明かりなんかいらないもん。必要なのは陸王の方だろ? だからあんたが明かりつけろよ」

「ったく、このクソガキ」



 陸王は面倒臭げに髪を掻き上げつつ、言霊封じで光の球をあらわした。


 明かりが灯った途端、雷韋の開いていた瞳孔がきゅっと狭まる。小さく「眩しっ」と声が聞こえてきたが、陸王は無視した。明かりをつけろと言ったのは雷韋なのだし、その際、光に目を痛めないよう気をつけるのも雷韋自身だ。ただ、多少は急な明かりに気をつけろと言えばよかったか、とも思ったが、それもなんだか今更のように思えて、結局陸王はその思考自体を蹴った。蹴ったついでに、



「行くぞ」



 ぶっきらぼうに言い捨て、陸王はさっさと歩き出した。



「あぁ~、待てよ。明るくなった途端、勝手になるんだもんなぁ」



 雷韋が呆れたように言うと、陸王は特に感情のこもらぬ声音で返してくる。



「勝手も何もあるか。村の連中が動き出す前に事を済ませた方がいいだろう」

「そりゃまぁ、そうなんだけどさ」

「お前は余計なことを考えずに、精霊達を正常に戻して、精霊王を散らすことにだけ注力すればいい」

「言われなくったって分かってる」



 ねたような声が返ってくるが、陸王は前を向いたままだ。


 そうして、爆発によって出来た崖に沿って回り込むように泉に近づいていく。けれど近づきすぎないよう、泉から少し離れた場所で二人は足を止めた。


 そこから泉までは六メートルほどあるだろうか。だが、二人が同時に足を止めたのは、そこから空気ががらりと変わったからだ。近づきすぎない為だけではない。


 酷く攻撃的な気配に包まれる。それに、酷い圧だった。身体だけではなく、意識さえもが押し潰されそうになる。


 発生源はあの泉だ。そちらから周囲を圧迫するような感情に似たものが流れてくるから分かる。


 精霊使いではない陸王にさえ分かるほどだ。


 いや、陸王にはそれが殺気として捉えられた。おそらくは、殺意に満ちる戦場いくさばで立ち回る者だからそう感じるのだろう。


 そして雷韋には、はっきりと精霊の意識として感じられた。精霊達が害意を以て迎えようとしているのが分かるのだ。


 それぞれに違う形、けれどもその根底に流れるのは全く同じものを感じていた。


 それを感じながら、陸王は雷韋に問う。



「どうする、雷韋。野郎、この距離からでも俺達を殺るつもりらしい。俺達が贄だとでも思ってやがるのか?」

「それはないと思うぜ。ただ、苛立ってるとはセレーヌが言ってた」

「早く贄を出せってわけか」



 陸王は嫌悪をそのまま吐き出した。



「多分。でも兎に角、敵意が凄い。花梨姉ちゃんを俺達が連れ去ったからだ」

「だったら、精霊使いエレメンタラーとしてどう対処する」

「こんなところで突っ立っててもしょうがないさ。突っ込むのみだ。俺が先行して泉に火影の刃を突き立てる。その時、精霊王の激しい抵抗があるから援護してくれ。俺が先に行くのが危険なことは百も承知だけど、それっきゃない。こんな圧で引き下がれるもんか。水と火は反発する。そんで、火は水には勝てない。それをひっくり返すのが俺の役目だ。俺がどこまで火影を支えられるかどうかで勝負が決まる」



 陸王は言う雷韋を横目に見遣った。そして言うのだ。



「それしか方法はないんだな?」

「ほかにもあるのかも知んない。でも俺の考えつく方法はこれだけだ。精霊使いだなんだって言ったって、今は火の精霊達を支えて、水に勝てるだけの力を与えることしか出来ない。今の俺にはそれが限度だ」

「よし、分かった。突っ込むぞ!」



 陸王の言葉と同時に、二人は駆け出した。それこそ全速力で。そうなると、自然と雷韋の方が先行することになる。


 雷韋の言っていたとおりの形で走り、闇の向こうから水の触手が飛んできた。


 雷韋は先に自分に襲いかかってくる触手を、召喚した火影の赤い刃で次々薙ぎ払っていく。その後ろに続く陸王も水の触手を叩き斬っていったが、昨日、花梨を助け出したときの触手と今斬り裂いているものの硬さが違うことに一撃目で気付いた。


 今斬っているものの方が硬いのだ。それどころか、重さや勢いまで違う。


 いや、勢いがあるからこそ重く硬いのだ。


 間欠泉などでも吹き出す穴が小さいほど、水柱は高くまで形を変える事はなく、また、その部分は硬い。硬いから水柱の形を保っているのであって、水柱の先端に行けば行くほど勢いがなくなるから、形を保っていられずに散ってしまうのだ。


 自然に吹き出す間欠泉の水柱でさえそうならば、意思を持った精霊に操られている触手は自在に硬さも重さも勢いも変えられる。しかも一直線に飛んでくるばかりではない。自在に湾曲してくる。


 雷韋もそれを意識しているのだろう、上手く身を躱している。硬さを維持したままの触手は、雷韋の腕力では力押しに出来ないのだ。もとより盗賊組織ギルドで育った雷韋は、相手の攻撃から身を躱すことの方が得意だ。だから薙ぎ払いに身を任せたりせず、最低限、躱しきれない触手を斬っているだけだ。そうして雷韋は走る速度を緩めもせずに、どんどん泉に近づいていった。闇の向こうから迫り来る幾本もの触手を掻い潜って。


 だが、闇の中でも雷韋にとっては昼間と変わりない。触手の動きは手に取るように分かる。それでも掻い潜れない触手だけを叩き斬っていった。手に重い衝撃が伝わるが、構わずそのまま火影の刃を振り抜く。


 その時、雷韋の耳元で、ばん、と派手な音が鳴った。


 水と火の精霊が凝った火影がぶつかり合って、小さな爆発を起こしたのだ。


 しかし、それももう終わりだ。

 泉は既に目前にある。

 あとは火影を泉に突き立てるのみ。


 雷韋が泉の眼前に立った瞬間、泉から重い音を立てて水壁が現れた。それは高波のように逆巻いている。その壁を目にして雷韋は、威嚇だ、と思ったが一瞬、躊躇した。


 このまま頭から水を被れば、呪いをかけられると思ったのだ。


 その時、背後から圧風が襲った。途端、眼前にあった水壁が真横へ真っ二つになり、そのまま崩れ落ちる。


 雷韋にはそれがどんな現象だか分かっていた。

 陸王だ。


 陸王が背後から鋭い斬撃を放ったのだ。振り向いて確認せずとも、それくらい雷韋には分かる。援護をして欲しいと言ったのは雷韋なのだから。それより、それを確認する暇があるなら一秒でも早く泉に火影を突き立てることが先決だった。


 雷韋は大きく息を吸い込んで、火影を思い切り振り上げると真っ赤に光る刃を泉に突き立てた。


 瞬間、焼けた鉄を水の中に突っ込んだような音を立て、水面がぼこぼこと泡立つ。


 だが、泉の水が沸騰したわけではない。水の精霊が火影を形作る火の精霊と反発し合って暴れているのだ。


 雷韋にもその激しい反発が火影を通して伝わってきた。反発と言うよりは抵抗と言った方がいいだろう。


 火影からは純粋に世界をめぐるものとしての力が送り込まれている。その力が強ければ強いほど、狂った水の精霊が純に結晶化されていくのだ。


 つまり、水となる。


 その水に狂ってしまった精霊が引き寄せられて宿るのだが、その時に水の精霊達は火の精霊が与える、廻る純粋さに影響されて正常に戻る。そして散っていくのだ。だが、狂った水の精霊は簡単に廻りになびくわけがない。だから火影は水の精霊の異常さに対抗する。水の精霊もまた同様に。


 その火影の廻る力を支えるのが雷韋だ。決して、狂った水に負けぬよう。


 しかし、そんな雷韋を精霊王が許すはずがなかった。雷韋が泉に火影を突き立てたと同時に、精霊王も小さな精霊使いを排除しようと仕掛けてきた。


 無数の触手が雷韋に迫る。


 が、泉の中に突っ込み、硬い触手を一度で薙ぎ払ったのは陸王だった。


 その間も雷韋は、精霊に力を送る為に火影に全神経を集中している。

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