贄の証、発露 五

 そうして思考の海にいたが、不意に陸王りくおうの声が聞こえてきた。



「ほかに聞きたいことは?」



 雷韋らいが急に黙り込んでしまったので、陸王から再び水を向けられたのだ。

 雷韋は問われ返して陸王の顔をじっと見つめたが、不意に首を横に振った。笑みを唇に乗せながら。



「今はいいや。もういいよ。あんたは日ノ本に渡って侍になったんだもんな。聞きたいことは、ほんとは色々ある。でもさ、これからも一緒にいれば少しずつ分かってくると思うから、もう俺からはない」



 そして、今度は逆に雷韋が問うた。



「じゃあ、今度は陸王の番な。俺の何が知りたい?」



 陸王はそれを聞いて、ふっと笑った。



「いや、俺からは今はねぇ」

「なんでさ? あんたが言ったんだぜ、お互いに知らないことばっかりだって」



 雷韋が文句を言うように唇を尖らせると、陸王はまた小さく笑った。



「今のでなんとなく分かった気がする」

「今のって、何さ?」

「色々だ。俺の話を聞いていたお前の顔を見れば、何を考えているのか大体想像が出来たってこった。お前、裏も表もねぇからな」

「なぁんだよ、それぇ! まるで俺がなんにも考えてないみたいじゃんか」

「まぁ、そう臍を曲げるな。くだらんことをごちゃごちゃ考えていたんだろうが。そいつが全部顔に出ていたからな」

「ふん、だ」



 文句を表すように唇を尖らせ、頬も膨らませている。


 その様はまるで小さな子供のようだった。見てくれは十四、五だが、こんな顔をするともっと幼く見える。それは年のわりには華奢な身体をしているせいもあるのだろうが。


 陸王はそんな雷韋の意識を変える為、額を指で軽く弾いた。



「あ、いて」

「もう随分歩いてきた。セレーヌの結界があるのはこの辺りじゃなかったか」

「ん? あぁ、そうだな。もうちょっと向こうだ」



 雷韋はそう言って、ずっと放さなかった陸王の腕を更に引っ張って、どんどん先へと進んでいった。


 この辺りはもう普通のアイオイの森で、花もちゃんと付いている。幹が折れたり枝が折れたりはしていない。しかしそのせいだろう。噎せ返るような花の匂いに、空間全体が包まれている。


 そのまま歩いて行って、その途中でふと雷韋の歩みが止まった。



「人がいる」

「何?」



 目を見開いている雷韋の横顔を見た。


 陸王も闇の中に目をこらしていると、今度は松明の明かりが遠くに見えた。ぽつりと小さな明かりだけが、闇の中で動いているのだ。


 まだ遠くに見えるだけのそれが、不意に消える。だが、陸王は雷韋のように闇の中で目が利くわけではない。



「雷韋、どうなってる」

「セレーヌの結界があるあの崖の方に人が消えた。なんか、見回りに来たみたいに辺りを見てたよ」

「って事は、あの場所が見つかったか」

「うん、多分」



 雷韋が頷きを返してくる。その言葉に、陸王は舌打ちをした。


 それを聞いていたにも関わらず雷韋は言う。



「陸王、もっと近くまで行ってみようぜ。出来るなら、中に入ってみたいし。何やってるか知りたいよ。花梨かりん姉ちゃんだっているんだ」

「だが、あの娘はまだ見つかっていないようだな」

「え?」

「見つかっていたら、もっと大騒ぎになってるはずだ。無理矢理引き摺り出されて、とっくに贄に戻されてるだろう」

「もう、贄の印なんてないのに?」

「そんなもん、連中からしてみりゃ関係ないだろう」



 陸王の言に、雷韋は僅かに視線を俯けたが、すぐに陸王を見上げた。



「そんじゃ、音を立てないようにゆっくり近づこうぜ。どのくらい見張りがいるか知んないけど」



 陸王が頷くと、雷韋は森の奥へと移動した。下草や茂みが多い為、そちら側から近づこうというのだろう。


 そうして森の奥から崖の切れ間を窺えば、松明の明かりが二つ。


 見張りは二人らしかった。少なくとも雷韋の目にはそう映っている。


 雷韋はそのままじっと二つの明かりを眺めて、身を屈めるようにして少しずつ近づいていった。陸王も雷韋と同じく身を屈めている。


 見張り達は今、結界の入り口付近にいた。


 茂みを利用して陸王と雷韋は前進したが、途中で止まる。それ以上近づけば、見張り達に見つかってしまう可能性が高くなる。


 そこまで来て、雷韋は陸王を見た。その目は、どうする? と問うている。


 それを見て、陸王は小さく口元を笑ませてから言った。



「どうせなら、真正面から堂々と行くってのはどうだ」

「え? そんなことしたらほかの奴らに知らされるかも知んないじゃん」

「こそこそしている方が怪しいだろうが。こんな時は堂々としている方が怪しまれん」



 言ったかと思うと、陸王は森から抜け出そうと歩き出した。雷韋は僅かの間、躊躇していたが、すぐにあとを追った。



「陸王、やっぱまずいんじゃないか?」

「いいから、堂々としていろ」



 陸王は大胆不敵なまでに、まだ遠い明かりに向かって歩き続ける。


 崖の合間にまでやってきた時、見張りの片方が人の気配に気付いたように振り返った。


 それを見て、雷韋が慌てて陸王に駆けよる。少年は頭の中で「何を考えてんだ」と毒づいた。陸王の考えている事が全く分からない。このまま歩いて行って、彼らをどうするつもりなのか。



「おい、誰だ?」



 大きな声で誰何すいかされる。


 その声に、もう一人の見張りが振り返った。


 途端、陸王が駆け出す。


 誰何すいかした見張りの手には、手斧が握られていた。けれど、陸王はまだ吉宗の刃を抜いていない。


 見張りの男達は動いていなかったが、二人との距離はどんどん狭まっていった。


 そして、松明の明かりの中に陸王の姿を見つけた若い男は、思わずといった風に手斧を掲げる。その目には驚愕の色がありありとあった。おそらく彼は、自分が手斧を振りかざしたことにも気付いていないだろう。


 もう一人の見張りは突然走り込んできた陸王に、唖然としたように顔を強ばらせている。


 その様を目に入れた陸王は、既に二人との距離が吉宗の刀身一振り分まで近づいていた。そこで刃を引き抜くのと同時に、相手の手斧を弾き飛ばす。


 いや、違う。飛んだのは手斧だったが、それは刃の付いた頭の方だけだった。見張りの手には、途中から断ち切られた柄だけが残されている。


 だが、見張り達は何が起こったか分からないというような顔をして、揃ってぽかんとしていた。跳ね飛ばされた手斧が岩壁に当たって鈍い音と共に落ちたとき、彼らは音のした方へと目を遣り、二人とも同じ仕草で振りかざしていた手斧の柄に目を遣った。


 その時には陸王は、鞘に吉宗の刀身を収め終わっていた。それどころか、二人の見張りの青年に、呆れたような嘆息までついている始末だった。


 何が起こったのかまだわからんのか、という風に。


 見張りの青年達は陸王の嘆息を聞き、あるはずの手斧の刃が柄でしかなくなっているのを認識して、同時に短い悲鳴を上げた。悲鳴を上げただけではなく、岩壁に挟まれた道のど真ん中に突っ立っていた雷韋を弾き飛ばして、そのまま我先にと逃げて行ってしまった。


 雷韋もその尋常ではない様子に、ぽかんとして見送ってしまう。



「陸王……」



 雷韋がぽつんと呟くと、



「中に入るぞ」



 陸王は雷韋に目を向けて、来いというように顎をしゃくった。


 結界の入り口は開かれたままのようだ。地面から光がふつふつと湧き出している。松明の明かりは既になくなっているから、闇の中で光が湧き出すのがはっきりと分かった。


 結界を閉じなかったせいで、まるで村人に発見してくれと言わんばかりの有様だ。おそらく、この場所は見つからないと踏んでいたのだろう。ここを知るのは花梨以外には陸王と雷韋だけだと油断したのだ。捜索の手がここまで伸びてくるとも考えなかったに違いない。



「中に人がいるかな? 村の連中」



 雷韋が陸王の隣に来て問うた。



「十中八九」



 それに対して、陸王は短く答える。



「中、入って大丈夫かな?」

「見張りがいたら問答無用で張り倒しゃいい」

「あんたなぁ」



 げんなりした声を出す。そして続けた。



「いきなり見張りに突っかかっていくし、中に入っても同じ事するって言うし。もうちょっと穏便にやれないのかよ?」

「性分なんでな。それより、行くぞ」



 それだけ言って、陸王は光の湧き出している結界の入り口へと歩いて行った。


 陸王の姿が消えたのを見つつ、



「も~。なんか知んないけど、なんでもかんでも勢いだけなんだから。理解しろってんならもっとさ、そういうところを分からせろよ」



 ぶつくさ言って、雷韋も光の中へと飛び込んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る