贄の証、発露 四
そのあと二人は、ただ黙々と歩くのみだった。
そしてどうしてか、徐々に二人の間の空気が悪くなっていった。どこか張り詰めたような、凍り付いたような、そんなぎこちない空気が二人の間に
しかし、それもさもあらんという状態だ。それぞれに胸中にある不安を隠しきれず、だからと言ってそれを相手に伝えることが出来ないのだから。口に出した途端、それが言霊となって雷韋の不安視する予言となってしまう気がする。
二人とも、神経がぴりぴりしてどうにもならない。しかもその気配を二人が同時に発しているのだから、全く世話がなかった。
互いに対だと認めるものの、まだ出会ってから日が浅い。相手の人となりを充分に理解し切れていないのだ。自分がどう出たら、相手がどう反応するのか、それが分からない。まだまだ手探り状態だ。
そんな中での『悪い予感』だ。
それも『悪い予感』という見えない先のことだからこそ、言い出した雷韋自身にだってそれがなんなのか分からない上に、陸王が信じたかどうかすら少年には分からないでいた。雷韋にはこの感覚は馴染みのあるものだが、陸王には初めての出来事だ。分かって貰うのは難しい気がした。
そして、陸王の予想が当たれば最悪だ。そこで何もかもが終わるのだから。精霊王がどうしたと言うことなど、簡単に捨てられる。それどころではない。
ただ雷韋の場合は、漠然と未来に対する不安を持っているだけだ。陸王の抱えている悩みとは比べものにならない。この先どんな恐ろしい出来事が起ろうとも、おそらくは打開できることだろう。雷韋の持つ悩みなど、それほど深くはない。
それでも、相手が何を考えているか分からない。それが二人に余計な距離を作らせていた。
このままの状態は絶対によくない。陸王は胸の内で呟いた。そして、ぎくしゃくとしたこの硬い空気もよくないと思う。互いの為にならないと。だったらすることは一つだけだ。
覚悟を決めて陸王は口を開いた。頭のどこかで、こんな事をするのは自分らしからぬ振る舞いだと己を嘲りながら。
「雷韋。言いたいことがあるなら言え。聞いてやる」
思い切り上から目線の問いだった。陸王は言いながら腹の中では、これが限界だ、と独りごちる。
「なんだよ、その上から目線」
雷韋が斜め下から
「俺もお前も、まだ互いのことを知らねぇ。お前がさっき言ってた『よく当たる予感』なんてのも、俺は始めて知った。まだまだ知らねぇことだらけだ。セレーヌの結界にいく道々、俺のことを教えてやる」
ま、無理がねぇ範囲でな。陸王は言葉尻に、そう付け加えるのを忘れなかった。
「なんだよ、急に。それも『教えてやる』ってさぁ。俺のこと馬鹿にしてるのか?」
雷韋の口調は憤懣やるかたなしと言った調子だ。
陸王はそれを特段
「俺だけじゃねぇ。お前も俺に教えるんだ。俺達は互いに対だと言うことでしか繋がってねぇ。俺もお前のことを
陸王は雷韋の方を見ようとはしなかったが、雷韋からどこかまだ不満がありそうな、それでいて得心したような小さな呻きが上がった。
少しの間、雷韋は考え込んでいたようだが、やがて口を開いた。
「んじゃあさ、陸王はなんで大陸に渡ってきたんだ? やっぱ金稼ぐ為か?」
ほんのりと拗ねた声音だったが、それよりも好奇心の方が強く表れた声で聞いてくる。
月並みな問いだと思いつつも、陸王は答えてやった。
「俺は元々大陸出身だ。日ノ本で生まれたわけじゃねぇ」
その答えに、雷韋はばっと顔を上げて陸王を見た。
「大陸? 大陸の人だったのか? あんた」
大きな目を更に大きくしている。
「そうだ」
「どこで生まれたのさ」
「大陸の東側だな。地理的に、日ノ本に近い場所だ」
「なんで日ノ本に渡ったのさ? 家で反対する人はいなかったのか? だって、家族はいただろう?」
「俺にそんな大層なもんはいねぇよ。親の顔も知らん」
面倒臭げに嘆息をついて言うと、雷韋が顔を覗き込んできた。
「じゃあ、どうやって生きてきたのさ。赤ん坊が一人で生きてられるわけないだろ? 父親は置いといても、生んでくれた母親はいたはずだ」
「父親のことは知らんが、俺が生まれたのと同時に母親は死んだそうだ。俺をある程度まで育ててくれた奴がそんなことを言っていた」
「なんだ。やっぱ育ててくれた人がいたんじゃんか」
ほうっと安堵の溜息をつく。
「だが、そいつには見捨てられたがな」
「へ!?」
安堵したかと思った端からとんでもないことを聞かされて、雷韋は目を白黒させた。
「見捨てられたって、どういうことさ!」
「俺が不祥事を起こしてな、そこから追い出されたんだ。まだ小さかったが、よく覚えている」
「小さかったって、何歳くらいの頃さ」
「五つか、六つだな。そのあとは色々した。俺も黙って捨てられたままじゃなかった」
雷韋は何故かそれ以上聞いてはいけないような気がして、話題を少し変えた。
「日ノ本に渡ったのはなんでだ?」
問いかける声には緊張が含まれていた。果たして教えてくれるかどうか、と言う緊張だ。いくら教えてやると言っても、陸王は無理のない範囲でとも言っていたのだから。
雷韋のその緊張を感じ取って、陸王は小さく笑った。そして返す。
「拾われたんだ。
「玖賀って、陸王とおんなじ名前じゃん」
「童白は俺を拾ったその足で、日ノ本に戻った。俺は日ノ本で童白の養子になったんだ。だから姓が同じだ」
日ノ本の者と違って、大陸の者には姓がない。だから、人間族に拾われて育った雷韋にも姓はなかった。鬼族は獣の眷属だから、当然、雷韋には神代語の名があるはずなのだ。だが、一族は滅んでしまった。今更本当の名前を知ることは出来ないし、出来なくていいと雷韋も思っていた。姓がなくとも、自分の本当の名を知らずとも、別に困ったこともなければ気になったこともない。
だが陸王は……。雷韋には少しだけ不憫に思えた。陸王は立派な侍だと思う。きっと、童白という養父は陸王によくしてくれたんだろう。剣の手ほどきをして、立派な侍にしたのだから。けれど小さな頃に捨てられて、童白に拾われるまで一体何をして暮らしていたのだろうかと思う。勘でしかないが、それはあまりよくないような気がした。
だからだろう。それを聞くのが躊躇われた。聞けないな、と思うのだ。
それに何故、陸王が日ノ本から大陸に戻ってきたのかだ。これまで雷韋は日ノ本の話を聞きたがって話を
否か、諾か。
それくらいなら答えてくれそうな気はする。
たったそれだけのことではあるが、それでもやはり雷韋の中には憚りがあった。
少年には心の傷を抉る趣味はない。だから、否か応かを聞くことすら、やはりやめた方がいいと思ったのだ。
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