蠢動 五

          **********


 月が欠けていく下弦に入ったからか、魔族にもっとも利する満月だった昨日よりは陸王りくおうは落ち着いていた。


 落ち着いて目を醒ますことが出来た。


 そして目を醒ます前から、僅かに欠けた月が頭上に昇っているのを感じていた。


 陸王はすっかり眠りこけている雷韋らいを起こしにかかる。



「雷韋、時間だ。起きろ」



 と肩を揺すって起きるような雷韋ではない。寝汚いぎたなさにかけては天下一品だ。それでも一応肩を揺すってはみるものの、雷韋からはなんの返答も返っては来ないし、目を醒ます気配もない。


 陸王は嘆息をついてから、少年の頭をひっぱたいた。


 すぱん、と小気味よい音が納屋の中に響く。



「い……!」



 雷韋が叫ぶより早く、陸王の手が少年の口を塞いだ。



「静かにしろ。そろそろ行くぞ」



 そう声をかけるも、雷韋の目元は不機嫌そうに歪んでいる。雷韋としては寝ているところをいきなりひっぱたかれたのだから、堪ったものではないはずだ。けれど、ひっぱたいてでも起こさなければ、きっと雷韋は目を醒まさなかっただろう。



「そら、起きろ」



 陸王は言いながら、雷韋の腕を掴んで引き摺り起こした。それでもまだ不機嫌そうな顔をして、雷韋が言う。



「なんでいちいちひっぱたくのさ。肩でも揺すってくれればいいだろ?」

「そうしたが、一向に目を醒まさなかったお前が悪い。あとはひっぱたいて叩き起こすしかねぇだろうが」

「ちぇっ」



 雷韋は小さく舌を鳴らして、身体中についた寝藁をはたき落とした。


 その間に、陸王は納屋の壁を調べてから離れ、吉宗の刃を縦に一閃、二閃した。空を切るような音と共に、木片が打ち合うような軽い音が鳴る。と、陸王はその壁に近寄り、しゃがみ込んで板壁を軽く叩いた。すると、しゃがんだ陸王の目線の高さほどで、横に組んである板の一枚が外へと崩れた。そのあとを追うように下の板も次々と崩れていったが、余計な音を立てないよう、陸王は素早くそれを手で受け取っていく。



「あんた、何したんだよ?」



 雷韋が半ば驚きの声を上げた。



「斬撃で穴を開けただけだ」

「転移の術があんだから、別に穴なんて開けなくてもよかったじゃんか」

「少し気になることがある。山に行くのはそれを確認してからだ」

「そっか」



 雷韋は半ばつまらなそうに、それでも納得したようにして頷いた。


 陸王は外の様子を窺うようにして光の球を消し、表を眺めた。


 光の球を消すと瞬間辺りが真っ暗になるが、下弦になったばかりのまだ大きい月が辺りを照らして仄明るいことに気付く。


 辺りには人の気配もほかの気配も何も感じられない。ただ月光のもとに畑が闇溜まりを作っているだけだ。そもそも、誰もこんな風に二人が納屋を出ようと考えもつかなかったのだろう。常識的に考えれば、それは当然のことだ。しっかりと扉はかんぬきで施錠されているのだから。



「行くぞ」



 陸王が呟いて、大人一人が潜り抜けられる程度の抜け穴を潜っていく。雷韋も無言でそのあとに続いた。

 そうして外に出たのは、納屋の裏側だ。扉がある方とは真逆に位置する。



「陸王、どっから行く?」

「まぁ、待て。見張りは最低でも二人はいるだろうが、一人は連れて行きたい」

「何すんのさ」



 雷韋のその言葉に答えず、陸王は納屋の角から表の方を見た。人の姿は見えないが、向こうの角の方に、闇の中で松明の灯りが仄かに揺れているのが確認出来る。



「雷韋、お前素人じゃないだろ。一人だけ引きつけろ」

「は? 一人だけとか難しいんだけど」



 陸王の顔の下から角向こうを覗く雷韋の言葉だった。

 その雷韋の頭を軽く叩き、



「馬鹿。難しいからこそ、盗賊の技でなんとかしろってんだろうが。全員が気付いていいなら端から自分で行く」



 陸王はそう返した。


 それを聞いて雷韋はぽりぽりと顎を掻くと、数瞬だけ思案した。それから思い切ったように真上の陸王を見上げる。



「分かった。何人いるのか知んねぇけど、取り敢えず一人だけなんとかしてみるよ」



 それはどこか頼りなげな声音だった。



「それでも盗賊組織ギルドの一員か。もっと自信のある声を出せ」

「あのなぁ、俺は確かに盗賊組織で育ったけど、組織ギルド構成員じゃないの。どっちかってぇと魔導士だよな、うん」

「何を一人で納得してるんだ。いいから早く行ってこい」

「わーったよ」



 口をへの字に曲げて返事をしてから、雷韋は中腰になってそのまま壁伝いに音もなく歩き出した。しかも歩く速度が早い。ほとんど走っているような勢いだった。


 雷韋はそうして納屋の三分の二ほどまで進むと立ち止まって、辺りに落ちている石を物色した。その中から一つを拾い上げる。


 それは三センチ四方ほどの大きさの石だった。その石を建物のきわまで上手く放る。石は大きな音を立てることなく、無事地面に転がった。そして、雷韋は更に石を拾い上げる。さっきのものよりもずっと小さい石をだ。それは、人に投げつけても気付くか気付かないかも知れないほど小さな小石だった。その小石を、さっき放り投げた石に向かって投げつける。


 と、小さな硬い音が鳴った。


 雷韋はその音を聞いて、思い通りの音だと思った。音の基点は人から近すぎず遠すぎず、更に、音自体も小さすぎず大きすぎずが丁度いい。複数に聞こえても、様子見に動くのは一人程度の音だからだ。


 そう判じて、雷韋は転がっている石に向かって、更に小石を投げつけた。一拍おくこともあれば二拍おくこともある。かと思えば、連続して投げてもみた。


 暫くの間、雷韋は不規則に小石を投げつけて音を立て続ける。


 と、角の向こうで灯りが揺れた気がした。「なんだ?」と言う声も聞こえてくる。やっと小石の音に気付いたらしい。


 雷韋はそこで小石を投げるのをやめた。すると、男二人分の会話が聞こえてくる。



「さっきから何か音がするような気がしていたんだが」

「納屋の中からじゃないのか?」

「いや、中じゃない。外だ。何か硬い音が時々鳴っているような」

「俺には聞こえなかったがなぁ」

「そうか?」



 そこで会話が途切れた。雷韋も動かない。一人だけ注意を向けてくれればいいのだから、二人が同時に耳を澄ましているのなら今は動かない方がいい。


 少しの間沈黙が続いたが、やがて男が口を開いた。



「やっぱり何も聞こえんぞ」

「あぁ、聞こえないな。でもさっきは本当に何か聞こえていたんだ」

「動物じゃないのか?」

「かも知れんな」



 そう言って、首を傾げた風の気配が雷韋のところにまで伝わってきた。その気配を読んで、一つだけ小石を拾って、もう一度放る。


 かつん、と再びの音が鳴って、



「ん? やっぱり何かいるな。少し見てくる」



 と、今度は動き出した。もう一人の男は特に反応を返していない。


 仄明るさが少しずつ迫ってきた。それに合わせて徐々に炎の揺れも大きくなる。


 雷韋は背後を見遣ったが、陸王の姿はない。注意を引けと言っていたから、陸王は陸王で動いているのだろう。だから雷韋は納屋の角へ向けて二、三歩歩き出した。無論、足音など立てずに。気配も完全に殺して。


 そして雷韋は、左手に炎を呼んだ。その炎はすぐにかき消え、代わりに不思議な形の赤い剣が現れた。中央に赤い石を削ったような柄があり、その両翼から赤い刃が伸びている。


 それは雷韋の武器、『火影ほかげ』だ。


 火の精霊がこごった武器で、刃の伸縮も、切るも切らぬも自在に変化する。全ては雷韋の意思次第だ。火の精霊が凝ったものだけあって、小規模の爆破まで起こせる。


 これは雷韋の故郷のセネイ島にある、火の神殿に安置されていたものだ。雷韋がこれを見つけたとき、精霊達が雷韋を主だと認めた。精霊達の方から従ってきたのだ。雷韋が従わせたのではない。吉宗が陸王を選んだように、火影も雷韋を選んだのだ。


 火影の柄に巻かれている組紐が、炎が消えた余韻でふわりと揺らめく。


 雷韋はそのままそこにしゃがみ込んで、男が角を曲がってくるのを待った。松明の明かりに目が慣れている男には、角を曲がったその瞬間には雷韋の姿は見えないはずだ。松明を闇に翳してやっと雷韋の姿が目視出来るだろう。壁のきわに身を寄せていれば尚更だ。


 その一瞬のを逃す手はなかった。

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