蠢動 四

 途中、村長はゆっくりと歩みを進めながら、



「今夜はお客人に宿を貸す。皆はこのままそれぞれに作業を続けてくれ」



 そう言って皆の顔を見渡した。村の者達は各々おのおの顔を見交わしつつも、その場から散ってゆく。村長についていた者達四人だけはそのまま老人に従った。


 そして泉の脇を通りかかったとき、雷韋は横目に水の量を確認したが、随分とかさが減っているのを見止めた。記憶違いでなければ、昨夜の半分以下になっているように思う。それに、岩壁から溢れ出していた水も今は流れ出していない。そう確認した雷韋だったが、耳にぽちゃりと水音が届いた瞬間、酷く気分を害したように眉根を寄せた。



「くそ。笑ってる」



 雷韋はぎゅっと拳を握りしめて、呻くように低く呟いた。


 それを聞いた陸王がちらと少年を見遣ったが、すぐに村長の背に顔を向ける。雷韋の言葉が確かなら、精霊王は村人に対して攻撃するでもなく、自分の敵となる陸王と雷韋を嘲ったのだろう。


 村人の手前、精霊使いの雷韋にも手出しは出来ないからだ。


 果たしてそこまで精霊王に知能があるのかどうかは陸王には窺い知れないが、少なくとも雷韋はそう感じてさっき言葉を発したのだろうから。


          **********


 山を下り始めの頃は倒木があったり、山が崩れて道を半ばまで飲み込んでいるようなところもあったが、途中からは急な下り道がいくつかある程度で、ほとんど問題もなく下りて行けた。山道の終わりにさしかかったのは、泉のあった広場から離れて半時はんとき(約一時間)も経たないうちだった。山が崩れていなければ、もっと早く下りてこれたかも知れない。


 山麓の森を抜けて少し歩いて行くと、暗い中に人家がぽつぽつ見えてきた。その周りを囲むように、広くいびつな闇溜まりがある。何かと思えば、その正体は畑のようだった。おそらく春になって耕されたものだろう。畑と畑の間を通る小道から、松明と光の球の明かりに照らされて、掘り返された軟らかそうな土が見えた。そして人家がそれと分かったのは、ランプの明かりが窓から漏れていたからだ。村人の家はそれほど大きなものではなかったが、見えた限りではほとんどが木造の二階建てだ。


 それらを越えて最終的に連れて行かれたのは、ほかの家より大きな建物だった。平屋だが、幅が広い。その建物が村長の家なのだろう。家の隣に、同じ大きさほどの建物が建っている。だが、その建物は天井が高い。けれど、二階建てと言うほどには高くはなかった。それが人の住む住居ではなく、納屋だからだろう。


 村長は納屋だろう建物の前に立って、ようやく振り返った。その後ろでは、大扉のかんぬきを抜く二人の男の姿がある。残る二人は扉の両脇に立って松明を掲げていた。



「今夜はここで休んで貰おう。ここは村にいくつかある、冬の間の飼料に藁を納めている納屋の一つだ。寝藁くらいはまだ充分にある」

「で、俺達を中に入れて閂で閉じ込めようってのか?」



 陸王りくおうは、外された閂を顎でしゃくって示す。



「そうはしたくはないが、用心の為だ。余所者に村をいたずらに掻き回されたくないのでな」

「分かった」



 そう返して足を進めようとしたとき、陸王の外套が引っ張られた。


 雷韋らいだ。



「陸王、こんなのって」



 ぼそぼそと不満げに言うが、陸王はその雷韋の頭をぽんぽんと撫で叩いた。



「文句を言ってもしゃあねぇだろう。明日にはここを発つんだ。それまでの間辛抱しろ」

「だって、それじゃ」

「いいから来い」



 まだ何か言いたそうな雷韋の背に手を回して、そのまま納屋の目の前まで連れて行く。その間、雷韋はむっつりと口を閉ざしていた。雷韋にとっては泉が目的だったのだから。ここで一晩大人しく休んで、そのままこの山から道なき道を下りていくのでは洞窟から飛び出した意味がない。


 雷韋はどうあっても精霊王を散らしたいし、嘲られたそのことに怒りも含んでいる。


 それを分かっていて陸王は無視するのだ。そして納屋の中に先に雷韋を押し込めて、陸王は村長に向き直った。



「まるで虜囚だな」



 村長はその言葉にゆるゆると首を振って、どこか遣る瀬ないと言う風に口を開いた。



「申しわけないがこの村から出るまでは辛抱して貰うしかない。俺としても気乗りはしておらんよ」

「そりゃ、気を遣わせて悪いな」



 陸王の言に村長は小さく嘆息すると言う。



「何か必要なものはあるかね? 食べものが必要なら用意するが」

「いや、必要ない。何もな」



 陸王はそれだけ言って、自分も中へ入っていった。

 その後ろ姿に、



「ランタンもいらんかな?」



 村長はそう言葉をかけてきた。



「ランタンよりこいつの方が明るいからな。それに、うっかり火を出してこれ以上面倒事を増やしたくない」



 陸王は傍らにふわふわと浮遊する光の玉に目を遣って言う。



「なるほど、確かにその明かりの方が明るいな。魔術と言うのは便利なようだ」

「あぁ。だから何もいらん」

「そうか。ならば、今夜はゆっくり休んでくれ。なんのもてなしもないが」



 陸王はそれに対して言葉はないが、頷きで返した。


 そのあと陸王と雷韋の目の前で、大扉がゆっくりと閉められ、がたがたと耳障り悪く閂がかけられる。


 雷韋はその音を面白くなさげに聞いて舌打ちすると、納屋の奥へ向かった。


 納屋の中は乾いた草の匂いが充満している。


 陸王もその匂いを肺に取り入れながら、雷韋のあとを追うように奥へ向かった。


 中は真ん中をあけて、両側をいくつかに仕切ってある。仕切られたそこに、藁が積まれていたのだろう。


 一番奥にはまだ藁が残っているのが見てとれたが、その藁の小山には既に雷韋が不機嫌そうな様子で大の字に寝そべっていた。


 そんな雷韋に陸王は言葉をかける。



「雷韋、そう臍を曲げるな。あとでお前のいいようにしてやる」



 それを聞いて、少年は宙にやっていた視線をつまらなげに陸王へ向けた。



「何さ、いいようにしてやるって」

「泉に行きたかったんだろうが」

「そうだけど、でも、どうやって外に出るつもりさ。……いや、多分、出られるけどさ」



 唇を尖らせて、もそもそと言う。



「どういうこった」



 陸王は怪訝げに片眉をあげた。



「楔を打ってきたから、泉に行くことは出来ると思う。精霊王の結界の中でなら門を繋ぐこと出来るだろ?」

「ほう。よくそんなところに気が回ったな」

「だって、俺一人でもやろうと思ってたもん」

「そうか」



 陸王は小さく苦笑していた。



「ま、行けるなら行けるでいいが、暫く待て。山に人が少なくなる頃合いまでな」

「どういう意味さ」



 完全に不貞腐れた言いようだった。



「だから、山に人が少なくなったらと言っているだろうが」



 それを聞いた雷韋はがばっと起き上がって、



「え!? もしかしてあんた、力貸してくれる気になったのか?」



 やや興奮気味に言うと、陸王は小さく笑った。



「でなけりゃ、さっさとあの場所から逃げ出してる」



 それを聞いて、雷韋はぱっと顔を明るくさせた。



「行くんならすぐ行こうぜ」

「だから、待てと言っているだろう。あの場所にはまだ人が大勢残ってる。せめて夜が更けるまで待て。真夜中まで人が彷徨うろつくことはねぇだろうからな」



 雷韋は少し考えてから、うんと大きく頷いた。



「だったら今のうちに飯を食って、少しでも身体を休めておけ」

「分かった」



 どこか浮き浮きとした調子で返してくる。


 陸王はそんな雷韋を見て、小さく嘆息した。単純だと呆れたのだ。


 それを傍目に、雷韋は荷物袋の中から水袋と保存食の干し肉を一枚とりだした。そして、ふと思いついたように陸王に目を遣る。



「そう言やさぁ、真夜中になるまで待つって言っても、時間分かんないんじゃん。こんなところに閉じ込められてんだから」

「心配するな、俺には分かる。時間がきたら起こす。だから飯を食ったら身体を休めておけ」



 それを聞いて雷韋は僅かに考えこんだが、頷いて、干し肉に齧り付いた。陸王には陸王の考えがあると思ったからだ。雷韋自身、精霊使いエレメンタラーの自分にしか分からない事があるように、陸王には陸王にしか分からないこともあるだろうと。


 兎に角、まだ時期尚早なのだろうと思う。こんなときに闇雲に騒ぐ必要はない。確信はないが、陸王に任せておく方が結果としてうまくいく気がした。


 そして、陸王。


 雷韋には細々こまごまとは言わなかったが、陸王には時間の経過が本当に分かる。月の昇り加減を身体が感知するからだ。


 全く陸王の思いを無視して。


 ある意味便利な身体ではあるが、こんな身体は不本意だった。うんざりすれば、気も滅入る。けれど今は、この忌まわしい身体に頼るしかなかった。反吐を吐きたくなるほど呪わしい能力に。でなければ、雷韋の思いを遂げてやることが出来ないのだから。それにこれは、陸王も腹を括っている。


 山中で、雷韋の思いに負けたのだからしょうがない。


 陸王はそう諦めて、小山に背を預ける形で座り込み、自分も荷物の中から水袋と干し肉を取り出した。

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