蠢動 三

 様子を見ていると、最初から泉の前にいた者達と何事か話しているようだった。おそらくは陸王りくおう雷韋らいのことを伝えているのだろう。


 陸王と雷韋はその場に立ち止まって様子を窺った。


 男達の中心には初老の男がいた。見間違いでなければ、昨日、花梨を精霊王の贄に捧げる口上を述べていた老人だ。


 その老人が四人の男を従えて、輪の中から出てくる。そして陸王達から少し離れた場所で止まると話しかけてきた。



「俺がこの村の村長だが、お前さん達はこの山に異常があると登ってきたそうだな」



 そう言う村長の目には訝しげな色がある。陸王達のことは、ただの村人には理解の範疇を超えているからだろう。


 そしてそれに返したのは当然、雷韋だった。



「そうだよ。この山はおかしい。水の精霊王がいる」

「せいれいおう?」

「言って分かるか知んないけど、狂った精霊の塊だ。それを俺達魔導士は精霊王って呼ぶんだ。あそこに」



 雷韋は言って、泉を指さした。



「あの泉に精霊王の気配を感じる。狂った水の精霊達が水を穢してる。その水の影響で、山だけじゃなくあんた達も穢れてる。呪いを受けてるんだ」

「泉には水神様がいらっしゃる。村に恵みを与えてくださる神様だ。我々が呪われるわけも、穢されるわけもない」



 酷く不機嫌な調子で村長は言うが、雷韋はそれに対して首を振った。



「違う。あんた達が水神って呼んでるのは水の精霊王だ。狂ってるから呪いを発動するし、全てを穢すんだ。それにあんた達からも呪いを感じる。穢されてるって分かる。精霊王は放っておいちゃ駄目なんだ。どんどん辺りを穢していく。ここの精霊王も散らさないと、清浄な水は湧き上がってこない。このままにしておけば必ずひずみが生まれる」

「何を根拠にそんなことを」



 村長が吐き捨てるように言うも、雷韋は拳を作って反論した。



「感じるんだから仕方ないだろう? 俺には精霊の声が常に聞こえるんだ。この世の森羅万象から声が聞こえてくる。全てのものには精霊が宿ってるからだ」

「俺を始め、村の者が何かの声を聞いたことなどないが?」

「当然じゃんか。あんた達人間族が聞くことが出来るのは風の精霊の声だけだ。でも、修練を積んでないから風の声だって聞けるわけない」



 村長は雷韋の物言いに反応した。



「ん? お前さん、人間ではないのか?」

「俺は鬼族おにぞくだ。その中の夜叉族」



 言うと、村長は僅かに目を見開いた。



「ほう。人間のほかにも人族がいるとは聞いたことがあるが、お前さんがそれか」

「もうずっと外との行き来はないんだって? そうやってずっと陸の孤島をやってるあんた達には、世界の常識さえないんだな。人間族のほかに沢山の人族ひとぞくがいる。それに、人間が絶対ってわけでもない」



 雷韋は憤懣やるかたなしとでも言うかのように言葉を放った。



「だが、天慧てんけい様はこの世を創ったお方だ。お前さん達も崇めているだろう」

「天慧を崇める? 冗談じゃない」



 何かをかなぐり捨てるように、雷韋は腕を振った。



「本当に何も知らないんだな。この世界を創ったのは天慧じゃない。光竜こうりゅうだ。光竜が天地を開闢かいびゃくして世界を形作った。天慧と羅睺らごうは混沌の中に浮かんでいるこの世界に光と闇をもたらしただけだ。そして人間族と天使族を創った。ただそれだけだ。外の世界じゃ、天慧を崇めてたって、光竜が創造神だって事は子供にだって知られてるぞ」



 雷韋の言葉に村長を始め、男達がざわめく。それに追い打ちをかけるように雷韋は言った。



「こんな山の中に閉じこもってるから知識が偏るんだ。あんた達の村にも教会があるんだろ? そしてあんた達に世界創造を教えたのは教会の神父なんじゃないのか? いつからかは知らないけど、閉じこもってるうちに教えが捻じ曲げられたんだよ。外の常識が通じないのがその証拠だ。精霊すら知らないなんて! だから精霊王にいいようにされるんだ。あれは危険なものなのに」

「し、しかし。我々は水神様と上手くやってきた。それは何世代も重ねて。だと言うのに、今更どうしろというのか」



 村長は困惑しきった顔で問うてきた。



「だから言ったろう? 散らすって。一塊ひとかたまりになってる狂った精霊を正常な状態に戻して、ばらばらに散らす。やることはそれだけだよ。俺にはそれほど難しいことじゃない」

「細かいことは分からんが、まさか水源を涸らそうというわけではあるまいな」

「そんなことするかい。精霊王を散らしても水はちゃんと湧き出してくる。それも穢れてない水がさ」



 雷韋がそう言っても、村長の目は疑いを持っている。陸王も雷韋も余所者だ。突然、余所者がやってきて水が穢れている、そのせいでお前達も穢れていると言われても、簡単に納得出来るわけがないのだ。雷韋が何をどう説明しようと、信ずるに足る実績が何もないどころか、村人には精霊の概念すらないのだ。外の世界で通じる常識はここでは全く通じない。


 村長は雷韋を見つめたまま暫く黙っていたが、やがて首を振った。



「駄目だ。余所者に村の何が分かる。お前さんの言っていることが真実正しいと証明出来るか? この水源は昔から俺達村民が生命をかけて確保してきたものだ。その為に犠牲も払っている。それをお前さんの不確かな言葉一つで投げ捨てるわけにはいかん。ここにはここのやり方がある。勝手は許さん」

「なんでだよ! あんた達は山諸共呪われて、汚染されてんだぞ? 言ったじゃんか、ひずみが出るってさぁ」

「もしお前さんの言うとおり、山や村が汚染されているとしても、今までなんの問題もなかった。だから村も俺達も今まで通り生きていくだけだ。これまでと何も変わらずに。それが村の為、いては我々の為にもなる。余所者は黙っていて貰おう」



 最後の言葉にははっきりとした拒絶の響きがあった。所詮、二人は余所者なのだ。そもそも閉鎖された空間では、外部からの干渉は快く思われない。それが正しくても間違っていても関係ないのだ。閉鎖空間には排除する力だけが働く。古いものを大切にし、新しいものを受け入れない土壌が出来上がっているのだ。この村もしかり。村長が断言したように、村は旧習を貫き通す意志で纏まっているのだ。それを村長が村の責任者として村人の意思を代弁しただけのこと。むしろ、ここまで話を聞いて貰えただけ僥倖ぎょうこうだ。雷韋の言葉に頭から一切耳を傾けてくれない可能性だってあったのだから。



「雷韋、お前の負けだな」



 ぽつりと言葉が降ってきた。


 その言葉にはっとして見上げると、陸王が感情の色ない瞳で見下ろしている。



「説得出来なかったお前の負けだ」



 再びの言葉。



「そんなっ。だって」

「説得はお前がしろと言ったはずだ。結果、連中は説得に応じなかった。これで気が済んだだろう」



 その言葉に、雷韋は悔しげに眉根を寄せて俯いた。まさに手も足も出ない状態だ。


 そんな雷韋の様子に頓着することなく、今度は村長が二人に声をかけてくる番だった。



「さて、それでは山を下りて貰おうか。それとも今夜は俺の家に来るかね? この暗い中を戻るのは大変だろう。山を下りるまでどのくらいの距離があるかは分からんが、少なくとも、小さな山ではあるまいからな。もしお前さん達がよければ、今夜一晩なりと納屋でよければ貸すが、どうだね」

「もうちょっと俺の話を……」



 言う雷韋の口を押さえて陸王が返す。



「そりゃ有り難い申し出だな。ここまで来るのにかなりの時間がかかったんだ。村から外に出る道はあるか?」



 それに対して村長は緩く首を振った。



「いや、そんな道は既に消えておるよ。俺が生まれた頃にも外に通じる道はなかったと言う事だ。だが、出ていくなら道を探してそこから出ていって貰うしかないな。ご苦労だろうが」

「この山には二度と登るなって事か」



 陸王が皮肉げに言うと、村長は厳かに頷いた。



「この山は我々にとって神聖な場所なんだ。それがこの有様だ」



 村長は言って、崩れた山肌を眺める。



「こんな言い方はお前さん達には悪いが、余所者にこれ以上触れて欲しくないのだよ。分かって貰えるかな?」

「あぁ。分かりすぎるほど分かるさ。何せ、神聖なんだろうからな」



 どこか苦笑めいて、陸王は答えた。



「そう、ここは我らにとっては聖なる場所だ」



 村長は、では行くか、と呟くように口にして踵を返した。

 それを追うように陸王が続き、更に雷韋があとを追う。

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